御忍びにも、もってこいの日のようです。
「サールはずいぶん遅いな」
広場に戻ったアレウズが、辺りを見回す。
私も一緒になって、人ごみを見渡した。その時――。
「こっちへ!」
突然襟首をつかまれたかと思うと、私とアレウズは近くの露店の影に倒れこんだ。
「え? サール様?」
「何のつもりだ!」
抗議の声を上げるアレウズの口を、サールがふさいだ。
「あれを」
サールが指さす方向を見て、アレウズの目が鋭くなった。
「厄介な奴がいるな……」
アレウズの視線の先には、一見すると行商人のように見える、明るい髪色をした細身の男がいた。
「あの人……」
私はここ数日の記憶をたどった。間違いない。バトハーン卿と一緒に門から出てきた、青マントの男のうちの一人だ。
サールが小声で言った。
「バトハーン卿の腹心、マラーフ殿です」
「厄介なんですか?」
私が尋ねると、サールはすこし複雑な顔をした。
「枢密院の書記官で、頭のよく切れる有能な人物です。殿下の事をお好き、というわけではありませんから、御忍びで街に出ているところなど、見られぬに越した事はありません」
成程。あのバトハーン卿の腹心だもんね。
「しかし、妙だな」
アレウズが言った。
「なぜマラーフが、あんな格好でこんなところに?」
「私たちと同じ理由じゃない?」
私が言うと、サールが首を振った。
「買い物は買い物でも、明らかに剣呑なモノをお求めになられるおつもりのようですね。一緒にいる男たちを御覧なさい」
私とアレウズは目を細めて、サールの周りにいる男たちを見た。
いかにも旅疲れしたようなマントを羽織っているが、その下には、贅沢な生地を使った上衣が見える。重そうな金の剣を、腰に帯びている者もいた。
「キリタリアの商人でしょう。それも、かなり勢力がある者のようです。商船委員会の者かもしれません」
商船委員会とは、キリタリア連合国の力ある商人たちで作られた委員会で、連合国の君主ともいえる総督も、この委員会で選ばれる。つまり、委員会のメンバーは全員何らかの商品を扱う豪商であり、総督になる可能性を有している。
サラヴァルトの王都がこうして栄えているのも、キリタリアの西の海での貿易が、成果を上げているからでもあり、商船委員会は重要な同盟相手とも言える。
同盟国との外交は枢密院の仕事なので、枢密院の書記官ならば、キリタリアの人間と御忍びで会う必要などないのだ。公的な外交である限りは……。
やがて、マラーフと男たちは広場を離れて歩き出した。
「追うぞ!」
アレウズが抑えた声で言う。
「え、追う?」
訳が分からず問い返す私に、サールが言った。
「バトハーン卿の腹心と、キリタリアの非公式の接近を見過ごしにはできません。行きましょう」
「は、はあ」
二人がさっさと男たちの後を追い始めたので、私はあわててその背中について行った。
「そこの旅人、止まれ」
旅籠の立ち並ぶ通りに来た時、突然背後から居丈高な声がした。
振り向くと、トルコ帽のような房飾り付きの円形帽に、黒い胴衣を着た兵士風の男が二人立っていた。胴衣には、両刃の剣と月がデザインされた紋章が縫い取られている。
都市の警備隊!
まずい人たちに見つかった。
彼らは都市の治安を守るいわば警察のような役目を果たす人たちで、その構成員は都市の住民だ。
王宮の関係者ではないので、顔だけで私たちの素性がばれるような心配はない。しかし、明らかに私たちを不審人物だと思っている様子だ。
ぐずぐずしていたらマラーフたちを見失ってしまう。
「ここは私が引き受けます。早く追ってください」
サールが素早く言うと、男たちの前に出た。
「行くぞ!」
私の襟首をつかむようにしてアレウズが走り出す。
「え、ええっ?」
追おうとする男たちの前に、サールが立ちはだかり両手を広げた。
何する気なの?
サールよりむしろ警備さん達を心配してしまうが、その姿はみるみるうちに道の向こうへ小さくなっていった。
「ちょ、離してよ!」
いきなり立ち止まったアレウズの背中にぶつかり、私は文句を言った。
アレウズの手は、相変わらず私の襟首をつかんでいる。
「見ろ。ナーヴ商会の宿に入った。やはり、商船委員会の関係だな」
私はアレウズの背後から顔を出して、道の突き当りにある、立派な石造りの建物を見た。
通常の家屋を三軒つなげたほどの広さがあり、一階の大部分は食堂のようだ。左に食堂とは別に入り口が設けられ、羽振りの良さそうな商人たちが荷物を持ったお付を従えて出入りしている。
見上げると、高さもかなりあり、三角にとがった屋根裏部分を入れると5階はありそうだ。
どうやら2階3階は宿になっているようだが、4階は増築されたように少しせりだしており、窓には優美な装飾がされている。
男たちは左の入り口から建物の中へと消えていった。
「ナーヴ商会は、実質的には商船委員会が動かしているからな。この宿に入るということは間違いなく、キリタリアの者だ」
「うん、それは分かったけど、何がそんなに気になるの?」
アレウズは一瞬押し黙ったが、私の襟首から手を放すと、短く言った。
「大砲だ」
「え!?」
「セノンテス伯に大砲を売ったのは、商船委員会の連中でほぼ間違いない」
「そんな……」
同盟国なのに……?
唖然とする私の横で、アレウズはナーヴ商会の宿から目を離さずに言った。
「あの大砲は船に取り付けられていた形跡がある。船にあんな物を取り付けられるのは、サマナ島のスカヴィア人くらいだろう」
サマナ島……?
私は脳裏に地図を呼び出す。確か、アルイール大陸と海を挟んで西に、かなり大きな島があったはずだ。サールに、キリタリアの貿易相手だと教えられた。フイース様の素晴らしい布地の素となる糸は、サマナ島の特産品だ。
建物の方へ歩き出すアレウズに、慌てて付いていきながら、私は聞いた。
「で、そのサマナ島の人たちが大砲を作ったの?」
「おそらくな。だが、サマナの王国イルティスアは、武器を海外に輸出したりはしない。技術の流出を防ぐためだ。だが、スカヴィア人はイルティスアの臣民ではない。言うなれば海の民、海賊だ。イルティスアから大砲を分捕った後、理由は不明だが、キリタリアの商船委員会の息のかかった者に売ったと推測している」
「それを何でセノンテス伯に……?」
「セノンテス伯に渡せば、必ずバルスクの手に渡ると踏んでの事だろう」
アレウズはそこまで言うと、足を止めて私を見た。
「ミレトスの戦いは、俺と俺に従う旗司たちを片付けるために張られた罠だった。実行したのはバルスクだが、周到すぎる。おそらく、大砲と共に、こちらの情報も渡されていたのだろう。そして、その情報は辺境伯では知りえないものだ」
「裏切った人がいる、って事? 商船委員会の人か、それとも――」
「俺を邪魔に思う人間は少なくない」
アレウズは、なんでも無いことのようにそう言うと、商人たちが出入りしている入り口をくぐって、宿の中に入った。
「これは、騎士様。何か御用でしょうか?」
ものすごく自然に見える愛想笑いを浮かべて、木の机の後ろに座っている男が立ち上がった。机の上には、分厚い紙のノートが広げられている。
アレウズは男の前に仁王立ちになると言った。
「今、ここに外套姿の男が5人、入っただろう」
「5人どころか、旅装のお客様は今朝から何十人もいらしていますが」
男は笑顔のまま答えた。
「俺は、今、と言ったんだ」
「ちょ、アレウ……若!」
私はあわててアレウズを押しとどめると、振り返って男に微笑んだ。
「すみません。うちの若旦那は口のきき方が悪くて。私たち、さっきここに入った人たちの連れなんです。通してもらえますか?」
「お連れ様?」
男は口元の笑顔はそのままに、目を鋭く光らせた。
「失礼ですが、おっしゃっている意味が分かりかねますな」
そう言うと、すとん、と椅子に腰を下ろした。
「あいつらは何者だ?」
アレウズが鋭く言う。
いやいや、そんな聞き方で答える人いないから。
「あなた方こそ、どういうご身分の方ですかな?」
アレウズを見上げる男の顔に、もう笑顔はなかった。
「ここはナーヴ商会の宿ですよ。紹介状を持っていない方には、お帰り頂いています」
背後から大きな影が差す。振り返ると、ザ・用心棒、といった感じのガタイのいいお兄さんが3人も立っていた。
アレウズがにやり、と笑う。
「そういうことなら相手に――」
「だめーーー!」
私は力の限り叫んだ。
部屋にいた全員が動きを止めてこちらを見る。
「ほんっと、すみません! なんか場所間違えたみたいです!」
私は高速で頭を下げながら、アレウズの腕を引っ張って出口へ向かった。
「もう~、あんな所で騒ぎ起こしたら大変だよ! 今日は御忍び! 御忍びなんだからね!」
何とかナーヴ商会の建物の横路地に、アレウズを引っ張り込んで叱りつけると、アレウズは憮然として言った。
「騒ぎを起こせば、連中が下りてくると思ったんだ。そうすれば、そこで締め上げて、全て吐かせる事ができるし、マラーフが商船委員会と密会をしていた現場も押さえられる」
いやいや、そんな脳筋な作戦、絶対うまくいかないから。
それに、王太子がキリタリアの有力者を締め上げるとか、酷い外交問題だよ……。
「とにかく、アレウズが商船委員会を疑ってることは、バレないようにしないと! 大事な同盟国なんでしょ」
「……確かにそうだな。それに、商船委員会そのものが、この件に噛んでいるわけではないだろうしな」
私は大きく頷いた。
「そう! 今必要なのは、誰が誰の味方なのか、っていう情報だよ」
そう言ってから、私は宿を見上げた。
今が、まさにそれを知るチャンスなんだけど……。
「中に入る方法があればな……」
ため息をつく私の横で、アレウズがあたりを見回すと、ふと視線を止めた。その視線の先には、太い縄にくくられ、地面と水平に吊るされた板があった。
縄は建物の上階から吊るされているようだ。
見上げると、屋根裏の開かれた窓の上に滑車が取り付けられており、縄はそこから垂らされ、私の背丈くらいの所に取り付けられた、巻取り用と思われる手回し付き歯車に結び付けられている。
「荷物の搬入装置か……」
そうつぶやくと、アレウズは板に乗って、それをどん、と踏みつけた。
「うん。なかなか丈夫だな。マーヤ、その縄を……」
と言いかけて、アレウズは暗い顔つきになった。
「俺の体重を、おまえ一人で引き上げるのは無理だな」
要するに、板の上に荷物を置き、歯車を回すことで一気に屋根裏の倉庫まで引き上げる、という構造らしい。
「いやいや無理でしょ、明らかに」
私はため息をつくと、板に乗っていたアレウズを手回し歯車の方へ押しやり、代わりに自分が乗った。
「やるなら、こうだよ!」
アレウズなら、私の体重を引き上げることくらい朝飯前だろう。まあ、かなりの高さなので、それなりに重労働かもだけど。
「だめだ」
今度はアレウズがため息交じりに言った。
「なんで、おまえはそうやって、自分から危険に飛び込もうとするんだ」
「大丈夫、大丈夫。とりあえず建物の中に入って、さっきの人たちがどんな顔か見てくればいいんでしょ? で、あわよくば話も盗み聞きしてくるから」
「だめだ」
「ぐずぐずしてたら誰か来ちゃうよ! 早く!」
私が言うと、待っていたかのように、表通りからがやがやと人の声が聞こえてきた。泊り客の一団が来たようだ。
「ほら、早く!」
私が言うと、アレウズはじっと私を見て言った。
「いいか。見つからなかったら無茶をせずにすぐに戻れ。何か危険を感じたらそれ以上は絶対に追うな。万が一何かあったら、さっきみたいにでかい声で――」
「もー、分かったから!」
あんたは私のばあちゃんか? とツッコミを入れたくなるところだ。
アレウズは気乗りしない様子ながらも、縄をぐっ、とつかんで強度を確かめる。
「よし。しっかりつかまってろよ!」
そういうなり、歯車を一気に回した。
「う、うわ!」
私は危うく大声を上げそうになった。構造が優秀なのか、アレウズが馬鹿力なのか分からないが、とんでもない速さで板が上に上がっていく。
落下防止の柵なんてもちろんないし、掴まれるものは板を押さえている縄だけ。そのうえ、バランスも悪いので、今にもずり落ちそうでめちゃめちゃ怖い。
目を閉じて縄にしがみついていると上昇が止まった。
下を見ないように気を付けながら窓に飛び移る。中に入って窓から顔を出してみると、アレウズが心配そうに見上げていた。
安心させるために手を振った。
内部は荷物が雑多に置かれた、かなり広い空間だった。
置かれている荷物が大量過ぎて、どこが出口かもわからない。
荷物の間をすり抜けて、出口を探す。
やっと、部屋の奥に両開きの木のドアを見つけた。
だが、押しても引いてもまったく開く気配がない。
鍵穴を見ると、外側からも内側からも鍵がないと解除できない構造になっていた。
「あー、しまった」
私はため息をついて座り込んだ。まあ、荷物を保管する場所なんだから、鍵付きなのはよく考えれば当たり前だ。大陸一の商売人たちが経営している宿なわけだし。
無茶をするな、と言われたけれど、このまま帰るのもどうかと思うので、他に出入りできそうな場所がないか探すことにした。
壁を端から丹念に調べてゆく。すると、窓とは丁度反対側に当たる壁に、少し色の違うはめ板を見つけた。
酒樽と思しき、木の大樽がそれを隠すかのように並べられている。
私は大樽の間に入って、慎重にそのはめ板に手をかけた。
拍子抜けするほど簡単に、縦横15センチ程度の小さい板がするりと外れた。
そこから、入り組んだ木の梁が見える。
どうやら、この倉庫の隣の空間に部屋はなく、4階の部屋からいわば吹き抜けのような構造になっているようだ。
私はそこから下をのぞきこんだ。
いた!
心臓が跳ねた。
4階は大広間になっており、豪奢な毛織物の絨毯が敷かれている。王宮のものにも負けないくらい立派な机の周りに並べられた椅子の一つに、マラーフが座っていた。その他にちょうど5名の男たちがいる。残念ながら、顔はあまりよく見えない。
私は耳を澄ませた。
「陛下のご容態は――」
「思わしくない、との報告です」
「思わしくない、というのはどの程度なのだ?」
「ご寝所から出られることは、ほとんどありません」
マラーフが軽やかな口調で答える。
「現在、政務のほとんどを、我が主バトハーン卿にお任せになっておられます」
「ふむ、それはよいことだ」
港で金の剣を持っていた男と、同一人物らしき男が言う。
「そうでもありません。最近、王太子が枢密院会議に出ては、意見を述べられております」
「あの戦馬鹿がか?」
恰幅のいいおじさんが、驚いたように言う。
戦馬鹿って……。
「一時は王位を継ぐことを嫌っているようにも見えましたが、どうも違ったようです。最近では、自分の従士だった者を聖騎士にするなど、聖庁にも接近しております」
「聖庁か。あのサールとかいう司祭の差し金だろう」
「厄介だな」
私はひやりとした。
やっぱり、これは反アレウズの集まりなんだ。
「もう、こちらはあまり時間が無いぞ。弱腰な連中が、我々とスカヴィアのランゴル船団との関係を探っておる」
「いくら探したところで、何も見つかりはしませんよ。我々の手元には何も残っていない」
別の男が顔をマラーフに向けて、やや皮肉っぽく言った。
こちらは大分若そうだ。
「全部そちらにお渡ししましたからね」
マラーフは何も言わない。
顔が見えないのでよく分からないけれど、余裕の笑みでも見せたのか、男の口調が少しきつくなった。
「あの小鳥を、バトハーン卿はどうなさるおつもりです?」
「もちろん、大切に飼いならしますよ。金の卵を産みますからね」
小鳥……?
「鉄の卵の間違いでしょう? 我々にお任せいただいて、初めてそれが金の卵になることをお忘れなきよう」
やや険悪な雰囲気になったのを察したらしい、隣の男が若い男の肩に手をかける。
「言葉を慎め」
あー、そこで名前呼んでくれたら良かったのに!
男は私の思惑などもちろん知りもせず、ゆっくりと言った。
「今は互いに胸襟を開いて協力する時だ。イルティスア攻撃のために――」
イルティスアへの攻撃!?
私は息が止まりそうになった。
「それについては、ご安心を――」
マラーフが再び口を開いたとき、突然、背後で空気が動いたのを感じた。
「!」
素早く振り向いた途端、口を塞がれ、両腕を拘束された。
「ここは、俺の特等席なんだけどな、ネズミちゃん」
からかうような男の声が耳元でした。
「!!」
私は、咄嗟に思いっきり背後の足を踏んだ。と思ったがあっさりよけられた。
「気をつけろよ。音出したら連中に気付かれるぜ」
声が言う。ということは、彼らの仲間ではないのか。
私は暴れるのをやめた。
「よしよし、聞き分けがいいな。手を放してやるから、声を出すなよ」
そう言うと同時に手の拘束が解かれる。
私は飛び退るようにそこから離れ、声の主をにらみつけた。
そこには、丈の短い胴衣に革の長靴を履いた、旅芸人風の恰好をした若い男がいた。
肩のあたりで黒い巻き毛を束ね、窓からの光を受ける肌は健康的な褐色をしている。
美男子、というより、親しみやすいクラスメート、といった風貌には少し驚いたような表情が浮かんでいる。
「あれ? 女の子だと思ったんだけどな」
私はぎくりとする。
「お、女じゃありません。これでも一人前の男です」
なるべく声を低くして言うと、男がぷはっと笑った。屈託のない、感じの良い笑い方だ。
「一人前、ってのはいいな。それなら俺は三人前くらいの男だね」
そういうと、しなやかな身のこなしで、一気に私との距離を詰めた。
「それじゃ、少年。君は誰の命令で、なぜ連中の話を盗み聞きしていたのかな?」
私は壁際に追い詰められつつも、焦りを悟られないように、さらに男をにらみつける。
「答える義理はありません。貴方こそ、何者ですか?」
「俺? 俺は見てのとおり、旅芸人だ。特技はナイフ投げだけど、コルルも弾けるから、この街じゃ吟遊詩人ってことになってるよ」
男はにっこり笑うと、私に顔をぐいっと近づけた。
「変わった目の色だな」
「近づくな!」
私は思わずその男の身体を押した。
「うわっ」
男の身体がバランスを崩して、横の木箱にぶつかった。衝撃で積まれていた荷物が落ちてくる。
「やばっ」
荷物は派手な音を立てて散らばった。
まずいー!
下の階の男たちには間違いなく聞かれただろう。
私は男の横をすり抜けて、窓に向かって突進した。
「おい、待てよ!」
男の声が背後から追いかけてくる。
「下ろして!」
私は下にいるアレウズに声をかけて板に飛び乗った。下ではアレウズがもう歯車に手をかけている。
次の瞬間、信じがたいことが起きた。
下がり始めた板に、自称旅芸人の男が飛び移ってきたのだ。
「きゃあああ!」
板が一気に傾き、急激に下降する。
「つかまれ!」
アレウズの叫ぶ声が聞こえ、私と謎の男は縄に必死でつかまる。
一瞬、下降が止まった。見ると、アレウズが歯車に棒きれを突っ込んで、無理やり回転を止めているのが見えた。
ほっとしたのも束の間、板はバランスを失い、私たちは2階くらいの高さから投げ出された。
「マーヤ!」
アレウズの声がする。
もう無理!
と思った瞬間、大きな腕が私の身体を抱きとめ、そのまま石畳を転がった。
「アレウズ!」
「大丈夫だ」
私を抱きとめたアレウズは素早くそう言うと、次の瞬間には剣に手をかけて立ち上がっていた。視線の先には、猫のように着地から立ち上がる男がいた。
「アレウズ、ね」
男がこちらを見て、にやり、と笑う。
しまった!
思わず口に手を当てる。さっき咄嗟に名前を叫んでしまったのだ。
「それは俺の名前だ」
冷静にアレウズが言う。
「おまえは何者だ?」
「素性なら、その子に言ってあるよ」
男はアレウズの鋭い視線を軽く受け流すと、親指で背後を指した。
「とりあえず、今は逃げるのが先決じゃないか?」
表通りから、大勢の人間が叫びながらこちらに走ってくる音がする。
しかし、逃げようにもこの路地は高い石壁に阻まれた突き当りである。
だが、男は躊躇せずに壁に向かって駆け出した。
壁の出っ張りに足をかけ、まったく人間業とは思えない速さでたちまち壁を登りきると、こちらを振り向いた。
「それじゃ、少年。またな」
手を軽く振って、ひらりと壁の向こうに姿を消した。
「なんだ、あいつは?」
アレウズが不快気に言う。
「それどころじゃないって!」
私が叫んだ瞬間、大勢の足音が建物の影から現れた。
「くそっ」
アレウズが剣に手をかける。
しかし、現れたのは何とサールだった。背後に都市警備兵を大勢従えている。
「見つけましたよ!」
サールが叫んだ。
「抵抗しないでください。あなたたちを拘束します!」




