表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/35

奥方様が女神です。


『真矢』


 誰かが、私を呼んでいる。

 風が通り過ぎ、緑の葉がざわめく。


『真矢』


 もう一度、その声に呼ばれて、私は顔を上げた。


『母さん?』


 背の高い女の人が、泉のほとりに立っている。

 風が吹き、ほどけた長い髪がなびいた。

 金色の、髪……。

 私は、はっとした。

 あれは母ではない、祖母だ。


「おばあちゃん!」


 私は叫んだ。

 祖母は、いつかの幻で見たように若く、美しかった。

 白い手が、ゆっくりと伸び、私の手をつかんだ。

 何かが掌に置かれる。

 もう一度見上げた時、その姿は光の中に溶けるように、消えてしまった。




「シャラナル兄ちゃん?」


 目を開けると、目の前に大きな緑色の瞳があった。


「イエルク?!」


 驚いて飛び起きる。

 あたりを見回すと、そこは塔の一室だった。謹慎処分を受けて、もう3日になる。


「兄ちゃん、大丈夫? ご飯、持ってきたよ」


 イエルクはそう言うと、粗末な木の机に慎重にスープ皿を置いた。


「ありがとう。イエルク~」


 後ろから抱き着いて、ふわふわの髪をなでる。


「や、やめてよ。子供じゃないんだから」


 イエルクはされるがままになりながらも、不満そうに言った。

 めっちゃ、可愛い。


「うんうん、ごめんね」


 私は全然反省していない笑顔で、もう一度イエルクの頭をなでた。


「みんなは元気?」

「うん。でもヴァクルの機嫌が悪い」


 そっか、出立の準備でただでさえ忙しいところに、私が従士チームから抜けちゃってるんだもんね。

 しかも謹慎処分、と言っても、何もすることはないし、アレウズからイエルクを通して、従士にはちょっと贅沢な柔らかい枕ももらったし(多分、アレウズの寝室にあったやつだ)、丁度いいごろ寝休暇になってしまっている。

 他の子たちに悪いくらいだ。

 謹慎解けたら、その分頑張ろう。

 

「兄ちゃん、それ、何持ってるの?」


 ふと、イエルクが私の右手を見て言った。


「え?」


 見ると、意識していなかったが、右手がしっかりと握られている。

 そういえば、さっき、夢の中で何かを渡されたような……。

 金髪の綺麗な女の人。私はその人を、祖母だと思った。でも、おばあちゃんが金髪なわけがない。

 私は恐る恐る手を開いた。

 白い石に彫られた、半分欠けた女神像。

 大砲を奪うためにシュルター城を出た時、アレウズに渡された物だ。

 返そうと思っていたのに、アレウズの怪我やら、講和の話やらに気を取られて、まだ返せないでいたのだ。


「それ、殿下のだ」


 イエルクが、私の横にしゃがんでのぞき込む。


「うん。ヴォスタイン将軍の隊に参加したときに、殿下に渡されたんだ。お守りだ、って」

「良かった!」


 イエルクがにっこり笑った。

 私は首を傾げる。


「どうして?」

「それ、殿下が大切にされていた物だから。最近着けてないのは、失くされたからかと思って、ちょっと心配だったんだ。でも、兄ちゃんが持ってたなら、良かった」


 うんうん、いい子だね。

 私は、イエルクの頭をぽんぽん叩く。

 しかし、そんなに大切なお守りなら、早く返さないと……。

 私はその白い石を眺めた。半分欠けてはいるが、石本来の形を利用して彫られた、素朴で優しい女神の表情が見て取れる。


「これが戦女神ネインなの?」


 何気なく聞くと、元から大きいイエルクの瞳が、さらに大きくなった。


「兄ちゃん……。それ、異教徒の女神様だよ」

「え? そうなの?」


 意外な言葉に驚いて、もう一度手の上の石像を凝視する。

 確かに、祈るような穏やかな表情は、戦とは無縁そうだし、むしろ女神というより普通の女性に見える。


「殿下も、何の神様か知らない、って言ってた。でも、誰にも言っちゃダメだ、って言われたよ。だから、兄ちゃんも、人に見られないようにした方がいいよ。特に、サール様以外の、聖庁の人には気を付けてね」


 聖庁は、王都の宗教を司る機関だ。サールは司祭なので、そこに所属している。


「うん。分かった」


 名目上仏教徒の人でも、おしゃれで十字架着けたりする国からきているので、イマイチぴんと来ないが、異教の神を信奉している、と思われるのがまずい事だ、くらいは分かる。

 しかし、いつの間にこれを取り出していたんだろう?


「じゃあ、戻るね」


 イエルクが立ち上がった。


「うん。ありがと」


 イエルクは部屋から出かけて、思い出したように振り返った。


「そうだ! 殿下が、『後で窓から中庭見てみろ』って言ってたよ」

「え? うん。分かった」


 イエルクは、じゃあね、と手を振って部屋を出て行った。

 なんだろう? と思いつつ、イエルクの持ってきてくれたスープをすする。

 本来なら罰を受けているので、固いパン一個とかが妥当なんだろうけど、多分アレウズの配慮で野菜や肉まで入っている。

 ほとんど食べ終えたところで、城門の方から、人々のざわめきが風に乗って聞こえてきた。

 なんだろう?

 イエルクに言われたとおり、窓から中庭を見る。

 あれは……。

 私は目を見張った。

 高い塔の上からでも、たくさんの女性たちが、粗末な荷馬車から降りて来るのが見える。

 もしかして……。


「ミレトスの女たちです」


 突然、背後で凛とした声がした。

 驚いて振り返ると、いつの間にかフイース様が一人でそこに立っていた。光に透けるような、優雅な薄紫のヴェールをかけている。


「奥方様」


 私が跪こうとすると、奥方は手をのばしてそれを止め、私と一緒に窓から中庭を見下ろした。

 ミレトスの兵士たちが建物から駆け出してくると、馬車から降ろされた女性たちと抱き合って喜ぶ。

 私たちはそれを、塔の上から見つめた。

 帰してもらえたんだ……。


 それでも、村が焼かれた時に殺された者、つかまってから死んでしまった者、他にも様々な悲劇により、全員が戻ってくることはできなかっただろう。

 そして、帰ってきた人たちも、さらわれたことによってできた傷は、一生消えることのない暗い影になるだろう。

 それでも、再会した人たちの中に、確かに希望と喜びをを見ることができるのも事実だ。

 そう信じることで、私は心がすこし軽くなるように感じた。ただの自己満足だとしても、何もできなかった、と思うよりは幾分かましだ。

 人間は生きていくものだ。

 サールの言葉は正しい。でも、絶望の中でただ息をすることと、わずかでも希望のかけらを手に入れて生きていくことは全然違う。


「誰が何と言おうと、あなたのした事は立派です」


 奥方の青い瞳が私を見た。


「奥方様……」


 私は胸が熱くなった。その言葉だけで、本当に報いられた気がした。


「ありがとうございます」


 私はにじんだ涙を拭った。


「でも、そのせいでこのシュルター城への補償は――」

「問題ありません」


 奥方は、きっぱりと言った。


「わたくしの実家はお金持ちです」


 おお、カッコいい!

 なんか、後光が差して見える。

 その輝きの中で、奥方はにっこりと微笑む。


「もちろん、このシュルター城を守ってくださった騎司の皆様にも、御礼をさせていただきます。そして、あなたにも」

「私?」


 驚く私の手に、フイース様の柔らかい手が触れた。そのまま、何かを渡される。


「これを差し上げます」


 私は渡されたものを見た。白い絹布で何かを包んである。そっと開くと、中から葡萄の細工が繊細に施された、銀の櫛が出てきた。

 私はあまりの美しさに見とれてしまったが、すぐに我に返った。これは、どう見ても女性が使う物だ。


「奥方――」


 フイース様は私の言葉をそっと手で制し、その指で私の髪に触れた。


「殿方は本当に愚かですね。あなたは、こんなに美しいのに」


 その言葉に、私ははっとした。フイース様はやっぱり私が女だと気が付いていたんだ。でも、何も言わないでいてくれた。女だから、と侮ることも止めることもなく、黙って協力してくれた。

 胸がいっぱいになって、銀の櫛をぎゅっと抱きしめた。

 フイース様は微笑むと言った。


「今のあなたには、そう、魔法がかけられています」

「魔法?」


 何かの比喩だろうか?

 フイース様は静かに続けた。


「私たち、微睡(まどろみ)の種族にはそれが分かります。でも、本来の姿に戻りたいときは、その櫛をお使いなさい。いいですね?」


 言葉の意味は、はっきりとは分からなかったけれど、私はうなずいた。

 アレウズの従士として、男として生きると決めたけど、この櫛を見る時だけは、女の子らしい気持ちを取り戻せる気がした。


「ありがとうございます。フイース様」

「それは、私が言わなけれないけないことですよ」


 フイース様の青い瞳が揺らめき、その唇が、何かを言った。

 『レイラ』と、私の耳には、そう聞こえた。




 その翌日、私たちはシュルター城を発った。

 ヴァクルには、殿下の前での不敬な行動について、改めてガミガミ怒られたけど、意外にも将軍たちの間の私の評価が高まっていることも、教えられた。


「トルヴァの戦士は義を重んじる。おまえが、金よりも領民を救うように主張したことで、骨のある奴、と思われたんだな」


 はあ、ホネ、ですか。

 なんだかよく分からないけど、取り合えず反感は買わなかったみたいで、本当に良かった。


「ノールト伯とそのご家来衆にしてみれば、割に合わない取引だろうけどな。まあ、奥方が上手になだめたみたいだし、運が良かったな」

「そうだね」


 私はフイース様を思い出して、シュルター城を振り返った。

 どこかの塔の上から、私たちを見送ってくれているはずだ。

 私は、感謝の気持ちを込めて、銀の櫛に触れた。


 アレウズ率いる王都の戦士たちは、ミレトスの住民の歓声に見送られて、シュルター城を後にした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ