表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/35

どうやら生き返ったようです。

 どうやら私は死んでいたらしい。


 泥のような眠気から何とか浮かび上がり目を開けると、いつもの安っぽいクロス張りの天井ではなく、見覚えのない木の横木と、それに支えられている、薄汚れた白い布が見えた。

 体が、釘で打ち付けられたように動かない。

 まさか、金縛り……?

 ぞっとして手足をばたつかせると、意外にもあっさりと解放された。勢いあまって飛び起きた瞬間、びっくりするほどの至近距離で、驚愕に満ちた低い声が叫んだ。


「シャラナル!」


 シャ、シャラナル?

 耳慣れないきらびやかな響きに、思わず声の方へ顔を向ける。その時、目の前にあった顔を私は生涯忘れることはないだろう。

 濡れたような漆黒のまつ毛の下の琥珀色の瞳。しっかり撫でつけられた短い黒髪――しかし、ところどころ乱れて顔にかかっている。頬には切り傷。

 そして、その日に灼けた男らしい顔には、信じがたいものを見た人の表情が浮かんでいた。


「シャラナル……」


 その美丈夫はもう一度、今度は感極まったようにその名を呟くと、がばっと私を抱きしめた。


「なっ……」


 なんて良い夢だ。

 じゃなくて!


「ちょっと何するんですか!」


 放してもらおうともがいたが、大きな体はびくともしない。独特の響きを持った低い声が、耳元で呟く。


「神よ……」


 は? 宗教?


「やめてください!」

 

 私は力いっぱい両手でその人の身体を押した。

 長身の身体が派手な音を立てて床に落ちた。

 よく見ると、金の獅子が縫い取られた黒いコートのような胴衣に革ベルトを締め、そこに銀製の鞘に納められた短剣をさしている。胸元や袖口からは銀色に光る鎖帷子がのぞき、革の肩当をしている。

 何かのファンタジー衣装か、もしかしたら民族衣装かもしれないが、今はそれどころではない。

 私は違和感に打ち勝って、彼の前に仁王立ちになった。


「どういうことです、これは? ここはどこなの?」


 顔を上げた端正な顔に呆然とした表情が浮かぶ。

 たとえ夢だとしても、残念ながら顔のいい男に手加減できるような優しい感情は、かなり以前から絶えて久しい。


「覚えて、いないのか?」


 彼は立ち上がると、心配そうに私の額に手を置いた。

 こいつ、ぐいぐい来るな。


「何がなんだかさっぱりです!」


 私は手を払いのけながら言った。

 覚えていることと言えば、連日の徹夜の末、やっと仕事を一区切りつけるところまで持っていき、最終電車に滑り込んで、駅から7分のワンルームに何とかたどり着いたところまでだ。

 確か、玄関で倒れて、そのまま眠り込み……。

 眠り――?


「あ、じゃあ私、起きますんで」


 私はそう言うと、朽ち果てた担架みたいな粗末なベッドに横たわり、目を閉じた。


「目を閉じるな、シャラナル!」


 必死で叫ぶ声が、がんがん響く。


「誰か!サールを呼べ!」


 これは夢だ。明らかに夢だ。ここで眠ればきっと――。


「殿下、何事ですか?」

「どうされました、殿下?」


 がちゃがちゃという金属の音と、男たちの野太い叫びが部屋に飛び込んでくる。


「サールはどうした?」

「呼びにやってます!」


 あー、もう!


「うるさい!」


 私は跳ね起きると同時に、力の限り叫んだ。


「眠れないでしょ!」


 普通ならここで目が覚める。目が覚めて、なんだー、夢か。叫んだりして恥ずかしー。となる。

 が、辺りの状況はまったく変わらなかった。

 いや、厳密には登場人物が増えている。

 革の胸当てを着け、重そうな黒マントを羽織った大男。シンプルな鎖帷子に、土埃に汚れた布を巻いた兵士たち。緋色の生地に、獅子が刺繍された胴衣を着た男の子。

 全員が一様に恐怖の表情を浮かべて凍り付いている。

 これ、あれだ。この前深夜番組でやってた海外ドラマ。確か、ゲート・オブ・スローン……?

 などと思っていると、兵士たちの後ろで戸口代わりらしい布が、ひらりと舞い上がった。陽光を背にして、すらりとした長身の若い男が入ってくる。流れるような銀髪に、白く長いローブをまとい、ちょっと人間離れした雰囲気だ。


「おや、これは」


 その人は私を見ると、一瞬目を見張ったが、すぐににこりと微笑んだ。


「奇跡が起きましたな」


 その一言で、硬直の呪縛から解放されたらしい大男が叫んだ。


「司祭殿、何を悠長な! 死人が立ち上がっているのですぞ!」


 は? 死人?

 部屋の男たちは、美丈夫と銀髪を除いて、みな幽霊を見るような目で私を見ている。

 私が、死人?


「ですから、奇跡と申し上げております」


 司祭、と呼ばれた男がいたって冷静な態度で言い返す。すかさずその肩を黒髪の男がつかんだ。


「サール! シャラナルの記憶が無い!」

「落ち着いてください、殿下」


 サールと呼ばれた男は静かに言うと、周りにいる男たちに有無を言わさない口調で命じた。


「皆様は、とりあえず、一旦外に出て待機してください」


 それを合図に永久凍土のように固まっていた男たちは、互いに顔を見合わせるとそそくさと出て行った。

 マントの大男だけは、まだ何か言いたそうだったが、私の方にもう一度目を向けると、額に手を当て、頭を振りながら出て行った。




「さて」


 銀髪の青年がこちらを見る。黒髪の男とは対照的な、色白の美人だ。

 やっと話の通じそうな人が来――。


「服を脱いでください」

「…………」


 何言ってんの!?

 私は思わず後ずさり、ベッドにしりもちをついた。


「な、何言ってるんですか!?」

「傷口を見せてください、と言いました」

「傷なんてありません!」


 大声で否定しながら、さらに後ずさろうとすると、黒髪の男が突然私の両肩をすごい力でつかんだ。


「覚えていないのか? お前は俺をかばってバルスク兵の槍に貫かれた。俺の、代わりに……」


 そこまで言うと、彼はぐっと唇を噛んだ。

 え、泣くの?

 さすがの私も大の男に目の前で泣かれたりしたら……、と思ったのが油断だった。


「これがその傷だ」


 彼は決然と顔をあげると、私の服の前をばりっと開いた。

 私の非常にささやかな胸があらわになる。


「え?」

「おや?」


 男二人はそれを見て、拍子抜けしたような声を上げた。


「ふざけるなあー!!」


 次の瞬間、私は人生で初めて、男の横っ面を拳で殴った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ