どうやら生き返ったようです。
どうやら私は死んでいたらしい。
泥のような眠気から何とか浮かび上がり目を開けると、いつもの安っぽいクロス張りの天井ではなく、見覚えのない木の横木と、それに支えられている、薄汚れた白い布が見えた。
体が、釘で打ち付けられたように動かない。
まさか、金縛り……?
ぞっとして手足をばたつかせると、意外にもあっさりと解放された。勢いあまって飛び起きた瞬間、びっくりするほどの至近距離で、驚愕に満ちた低い声が叫んだ。
「シャラナル!」
シャ、シャラナル?
耳慣れないきらびやかな響きに、思わず声の方へ顔を向ける。その時、目の前にあった顔を私は生涯忘れることはないだろう。
濡れたような漆黒のまつ毛の下の琥珀色の瞳。しっかり撫でつけられた短い黒髪――しかし、ところどころ乱れて顔にかかっている。頬には切り傷。
そして、その日に灼けた男らしい顔には、信じがたいものを見た人の表情が浮かんでいた。
「シャラナル……」
その美丈夫はもう一度、今度は感極まったようにその名を呟くと、がばっと私を抱きしめた。
「なっ……」
なんて良い夢だ。
じゃなくて!
「ちょっと何するんですか!」
放してもらおうともがいたが、大きな体はびくともしない。独特の響きを持った低い声が、耳元で呟く。
「神よ……」
は? 宗教?
「やめてください!」
私は力いっぱい両手でその人の身体を押した。
長身の身体が派手な音を立てて床に落ちた。
よく見ると、金の獅子が縫い取られた黒いコートのような胴衣に革ベルトを締め、そこに銀製の鞘に納められた短剣をさしている。胸元や袖口からは銀色に光る鎖帷子がのぞき、革の肩当をしている。
何かのファンタジー衣装か、もしかしたら民族衣装かもしれないが、今はそれどころではない。
私は違和感に打ち勝って、彼の前に仁王立ちになった。
「どういうことです、これは? ここはどこなの?」
顔を上げた端正な顔に呆然とした表情が浮かぶ。
たとえ夢だとしても、残念ながら顔のいい男に手加減できるような優しい感情は、かなり以前から絶えて久しい。
「覚えて、いないのか?」
彼は立ち上がると、心配そうに私の額に手を置いた。
こいつ、ぐいぐい来るな。
「何がなんだかさっぱりです!」
私は手を払いのけながら言った。
覚えていることと言えば、連日の徹夜の末、やっと仕事を一区切りつけるところまで持っていき、最終電車に滑り込んで、駅から7分のワンルームに何とかたどり着いたところまでだ。
確か、玄関で倒れて、そのまま眠り込み……。
眠り――?
「あ、じゃあ私、起きますんで」
私はそう言うと、朽ち果てた担架みたいな粗末なベッドに横たわり、目を閉じた。
「目を閉じるな、シャラナル!」
必死で叫ぶ声が、がんがん響く。
「誰か!サールを呼べ!」
これは夢だ。明らかに夢だ。ここで眠ればきっと――。
「殿下、何事ですか?」
「どうされました、殿下?」
がちゃがちゃという金属の音と、男たちの野太い叫びが部屋に飛び込んでくる。
「サールはどうした?」
「呼びにやってます!」
あー、もう!
「うるさい!」
私は跳ね起きると同時に、力の限り叫んだ。
「眠れないでしょ!」
普通ならここで目が覚める。目が覚めて、なんだー、夢か。叫んだりして恥ずかしー。となる。
が、辺りの状況はまったく変わらなかった。
いや、厳密には登場人物が増えている。
革の胸当てを着け、重そうな黒マントを羽織った大男。シンプルな鎖帷子に、土埃に汚れた布を巻いた兵士たち。緋色の生地に、獅子が刺繍された胴衣を着た男の子。
全員が一様に恐怖の表情を浮かべて凍り付いている。
これ、あれだ。この前深夜番組でやってた海外ドラマ。確か、ゲート・オブ・スローン……?
などと思っていると、兵士たちの後ろで戸口代わりらしい布が、ひらりと舞い上がった。陽光を背にして、すらりとした長身の若い男が入ってくる。流れるような銀髪に、白く長いローブをまとい、ちょっと人間離れした雰囲気だ。
「おや、これは」
その人は私を見ると、一瞬目を見張ったが、すぐににこりと微笑んだ。
「奇跡が起きましたな」
その一言で、硬直の呪縛から解放されたらしい大男が叫んだ。
「司祭殿、何を悠長な! 死人が立ち上がっているのですぞ!」
は? 死人?
部屋の男たちは、美丈夫と銀髪を除いて、みな幽霊を見るような目で私を見ている。
私が、死人?
「ですから、奇跡と申し上げております」
司祭、と呼ばれた男がいたって冷静な態度で言い返す。すかさずその肩を黒髪の男がつかんだ。
「サール! シャラナルの記憶が無い!」
「落ち着いてください、殿下」
サールと呼ばれた男は静かに言うと、周りにいる男たちに有無を言わさない口調で命じた。
「皆様は、とりあえず、一旦外に出て待機してください」
それを合図に永久凍土のように固まっていた男たちは、互いに顔を見合わせるとそそくさと出て行った。
マントの大男だけは、まだ何か言いたそうだったが、私の方にもう一度目を向けると、額に手を当て、頭を振りながら出て行った。
「さて」
銀髪の青年がこちらを見る。黒髪の男とは対照的な、色白の美人だ。
やっと話の通じそうな人が来――。
「服を脱いでください」
「…………」
何言ってんの!?
私は思わず後ずさり、ベッドにしりもちをついた。
「な、何言ってるんですか!?」
「傷口を見せてください、と言いました」
「傷なんてありません!」
大声で否定しながら、さらに後ずさろうとすると、黒髪の男が突然私の両肩をすごい力でつかんだ。
「覚えていないのか? お前は俺をかばってバルスク兵の槍に貫かれた。俺の、代わりに……」
そこまで言うと、彼はぐっと唇を噛んだ。
え、泣くの?
さすがの私も大の男に目の前で泣かれたりしたら……、と思ったのが油断だった。
「これがその傷だ」
彼は決然と顔をあげると、私の服の前をばりっと開いた。
私の非常にささやかな胸があらわになる。
「え?」
「おや?」
男二人はそれを見て、拍子抜けしたような声を上げた。
「ふざけるなあー!!」
次の瞬間、私は人生で初めて、男の横っ面を拳で殴った。