よく妄想する事+理想の死に方とあらぬ方にそれていく話。
死にたくない。
年齢的にもまだまだ人生は長い。
病気したり事故にあったりした場合は別。
死にたくはないけど、ふと死ぬ時のことを想像する。
例えばベッドに入った時。
仰向けに寝ているところをナイフで刺されたらどうなるか、
刺された時の痛みや血液の溢れる感覚を想像し得るだけ想像する。
例えば風呂に入っている時。
水中で頭を押さえつけられて呼吸ができなくなったらどうなるか、
肺に湯が流れ込んでいく感覚や苦しさを想像し得るだけ想像する。
例えば歯を磨いている時。
歯を磨いている途中で転び、喉に歯ブラシが刺さったらどうなるか、
これも痛みや苦しさを想像し得るだけ想像する。
例えば高いところにいる時。
バランスを崩してここから落ちたらどうなるか、首がおかしな方向にねじ曲がって骨の砕ける痛みを想像し得るだけ想像する。
大体こんなところをよく想像する。
想像が終わると殆どの場合足の力が抜けて、心臓の音がよく聞こえる。
一度自分が死んだ気分がして少し不思議な感覚に陥る。やってみるとちょっと楽しい。
でも本当に死ぬ時はもっと楽に死にたい。
今の所の理想の(楽に死ぬということに重きを置いた場合の)死に方は、寝ている間にギロチン等で首を落としてもらうというものだけれどこれは実現が難しいかなと思う。
まだ死にたくないので実現してしまっては困るけれど、近々苦しんで死ぬことになると確定しているならば実現してほしい。
首を落とされてもしばらくは首のままで生きているなんて話も聞くから果たしてこれが一番楽な方法なのかは怪しいところではある。
何処かの研究者が人間は首を落とされてからどれくらいの時間首だけで生きられるのかという実験をしたという話を聞いた事がある。
実験方法は、首を切られた研究者が意識の続く限り瞬きをするので他の研究者がその時間を計測するというものだ。
それを聞いて、おっかない事をするもんだなぁと思った記憶がある。今思えば、そんな実験が許されるはずがないので恐らく小説かなにかで見たのだろうと思う。首が落ちても生きていると言えば、首なし鶏のマイクが有名だけれど、あれは首の方でなく体の方が生き続けているという話だった筈だ。ということは首の方はすぐにでも死ねるのだろう。
また話が逸れるが、首吊りというのは、案外苦しみなく逝く事ができるらしい。というのは。首を圧迫するとあっという間に意識が飛んでしまって苦しむことすらできなくなるからなのだそうだ。僕がそれを知りつつ別の方法がいいと思うのは、首を括って跳び下りるというのは凄まじい恐怖だろうと想像するからだ。すると、寝ている間に首に縄をかけ、橋なんかから突き落として貰えばいいじゃないという話になるのだが、それでも何となく体にかかる衝撃を思うと意識が飛ぶとわかっていても何となく怖いものがある。
さて、もうこれがなんの話をしようと書き始めたものなのか分からなくなってきたのでここらでやめようと思う。
思いつくまま書いただけなので仕方ない。
読んでくださりありがとうございました。
書きたいことは全て書きました。
これで思い残すことはありません。
ただ、本文に書いたことは本来、ここに書くべきことだったと今更ながら反省しています。