第3話 -国家の内部における国家- (01)
「お待ちしておりました、救い主様、オーシェ様」
そう言った後、シスターが恭しく頭を下げる。
「あ、ああ」
善はただ、それに返事をする事しか出来なかった。
「手荒な招待方法となってしまった事をお許し下さい。如何せんこの街には私達以外の眼が多すぎますので」
その途端、善は察する。彼女こそ、白い花怪盗団の"彼女"であると。
「どうぞこちらへ。マシュー、彼女に先程の物をお返しなさい」
セリアには少年から財布が返され、シスターに導かれるままに教会の中へと足を踏み込む。
厳かな空間だった。開口部が入り口以外に存在しないが、そこかしこにランプが灯され、その柔らかい灯りがそこまで広くはない室内全てに満ち溢れ、暗さは感じられない。
異教の神が壁に描かれ、入り口から正中線上にある説教壇と思わしき台の後ろには、アンダーゲイトの入り口の門にも描かれていたクトゥス神が、今度は慈愛の象徴のように柔らかく描き出されている。
シスターは礼拝所を進んでいき、脇の扉へと足を踏み込む。
「本当に付いていっていいのかい」
セリアはこの教会の中に足を踏み入れた瞬間から警戒心を丸出しにし、剣を抜けるように手を添えている。
「行くしか無いだろ。あの調子だと逃げても意味はない」
「ったく、エラい所に来ちまったよ」
シスターの後ろを付いていくと、随分と騒がしい声が聞こえてくる。
更に進むと、広間のそこかしこで遊び回る子供達の姿が見えた。孤児たちなのだろう。子供達の数は少なくない。少し広めの広間が手狭に感じる程だ。
子供の姿を見て、カチコチに凍りついていたセリアの表情が和らぐ。どうやら彼女は子供好きのようだ。
「こちらです」
シスターが一行を通したのは応接室を思われる部屋で、調度品は少なく、申し訳程度のラグマットの上に簡素だが頑丈そうな大きめのテーブルと椅子が置かれている。
一行は椅子に座り、改めて向かい合う。
黒い修道服に身を包んだシスターは左眼を包帯とそれを隠すように伸ばされた髪の毛で覆い隠している。隻眼なのだろう。残された右眼もどこか虚ろな印象を与える。
彼女はオーシェ以下の身長と体格であり、少女と言うべき年齢なのだろうがその口調も、表情も、何かを隠しているかのように奥底をうかがい知る事が出来ない。得体が知れない、というのが一行の第一印象であった。
「……では、貴方が白い花怪盗団の長であると考えて良いのですね」
善から切り出した。
「ええ、そうです」
シスターはあっさりと認めた。表情に変化はなく、特に悩んだ様子すら無かった。
ここまであっさりと認めてしまった事で、逆に話を続けづらくなってしまった善であった。どうしようかと悩んでいると、オーシェが話しかける。
「えっと、シスターさんはどうして私達の名前を?」
「貴方がたは自分が思っている以上に顔が知られている、という事です。ウギシマ・ゼン、第六皇女、オーシェ・リヴィニア・ゼイミア、そしてセリア・テキトゥス」
シスターの表情には何の変化も無い。だが、その口調はまるで問い立てるかのように冷たく、かつ平坦だった。取り付く島もないというのはこういう事か、と善が思い始めた時だった。
その時、一人の少女が部屋の中へと入り込んで来た。喋れないのだろうか。ただ黙ってシスターの方を見つめている。
それを見たシスターは、少し困ったような顔をすると、少女の方へと向かう。
「どうしたの」
少女はシスターの修道服の裾を掴むと、広間の反対側を指差す。そこでは子どもたちが取っ組み合いの喧嘩をしていた。
「返せ! 泥棒!」
「しまっとかないのが悪いんだよ!」
「お前が開けたんだろ!」
手にしているおもちゃが喧嘩の原因なのか、取った取らないで大騒ぎをしていた。
「止めなさい、あなた達」
シスターは喧嘩を止めようと平坦に言うが、彼らは聞く耳を持たない。仕方なく子どもたちを引き剥がそうとした時だった。
「なーにやってんだ、こら」
セリアと善が互いに目配せしながら子供達の振り上げた拳を掴む。
「なんだ! 離せよ!」
「離さなーい」セリアは楽しそうに子供の腋をくすぐる。
「これ以上喧嘩がしたいなら俺が相手してやろう。ほらほら掛かってこい」
善は殴りかかってくる子供の拳を軽く受け止めると、パシパシと手のひらで叩き合う。
その間にも、オーシェは発端となったと思わしき、泣いている少年をあやしていた。
「何が原因で喧嘩をしていたのですか?」
「あいつがぼくの馬を取ったんだ、ぼくが作ったものなのに」
「あなたがこれを? 随分と手先が器用なんですね」
オーシェに褒められた子供は照れくさそうに笑う。
三人を見ていたシスターは溜息を付くと、手を叩いて子どもたちの注目を集めながら喋り始める。あまり子どもたちの前で喋る事に慣れていないのであろう。困ったような表情を浮かべながら、ゆっくりと喋っている。
「どういう理由であれ、喧嘩を行うのであれば夕飯を抜きにしてお掃除をさせる事になります。それが嫌なのであれば、互いに謝って仲直りをする事。いいですね」
口調は善達に対するように平坦で、声色も優しいものではない。だが、彼女の子どもたちに対する眼差しはどこか優しげな物であった。
「はーい」
「はーい」
子どもたちは不満そうにしているが、オーシェとセリアの仲介もあって、互いに照れくさそうに謝罪の言葉を口にした。
「……ありがとうございました」
「別に構いやしないよ、アタシも楽しかったしね」
部屋へと戻ったシスターは一向にお茶を出しながら、話を続ける。
「まだ名前を告げていませんでしたね。ユーライナ・メーザンズ。それが私の名前です」
先程よりは柔らかくなった物の、淡々と平坦に喋る事に代わりは無かったが、これが彼女の地であるという事が分かった今はそう気後れする事は無くなっていた。
「ユーライナさん、俺たちがここに来た理由はただ一つ。俺たちに力を貸してほしいって事だ」
「……その答えならば、あなた方をここに迎え入れた時点で既にもう決まっています。条件がありますが、それを守っていただけるのであればお受け致します」
「ありがとうございます」
「先に言っておきますが、私は確かに白い花怪盗団、と呼ばれる物の長をしております。ですがそれはこの街の人々――というよりは、この街の支配者達――が勝手に呼称した物が広まったに過ぎません。私が行っていたのは奪うか殺すか。それ以外の事は何一つとして行っていません。そして私はそれ以外の事を知りません。先程見られたように、シスターとしては今も半人前以下です。これから話す事は一種の懺悔であり、それをお伝えした後にあなたが判断を翻したとしても、私は恨みません」
ユーライナは、そう言って胸に手を当てる。そして善をしっかりと見据える。自分の言ったことの正否の判断を委ねたという事だ。
「貧しい人々に施しを与えるために盗みを行っている、と聞いた。何故そのような事をやってるんだ?」
「それ以外に彼らを助ける術を私は知らなかったからです。そして私は彼らを……貴族達を憎んでいた。ただそれだけでした」
「憎んでいた、という事は今は違うという事か?」
「ええ。……私はある時、盗みを行う事それ自体がアンダーゲイトの支配者達が使う政治的カードの一枚になっていた事に気が付いたのです。彼らは利益を得る為に私を使い、対立する貴族達への攻撃として私を使っていたのです。盗みを止めれば、私は貴族たちではなく彼らに殺されるでしょうね」
ユーライナはその言葉すらも淡々と口にした。まるで今日の天気を告げるかのように。
「考えてみれば当たり前です。他人から奪い取りながら幸せになろうとする事自体が間違いなのですから。ですが、それに気が付くのがあまりにも遅すぎました。私一人でしたらどうにでもなりましょう。ですが最初からあの子達を人質に取られているような物です」
「あの子達というのは、先程の」
「はい。私の兄妹達のようなものです。私もこの教会出身で、その後に"皇帝の剣"と呼ばれる諜報機関に属していました。この左眼は最後の仕事の際に失った物です」
皇帝の剣。その名前が出た途端にオーシェの表情が凍りつく。
それもその筈である。皇帝の剣と呼ばれていた諜報機関は、最高責任者たる彼女の父親、つまりはゼイミア皇帝その人の命令によって取り潰されていたのだから。
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