第2話 -帝国は一日にして成らない- (01)
朝の光と、鳥の囀りが聞こえた。
善は、もう一度眼を閉じる。夢だと思ったからだ。こんなに気持ちの良い布団で、こんな心地の良い朝が迎えられる筈がない。またあの家の、薄暗い部屋で目をさますのが現実の筈だと。
だが、部屋の外から聴こえてくる声が、これが現実であると告げていた。
「ですから、姫様、そのような事は下女に任せて……」
「いーえ、私自身がやります。救い主様のお世話こそ、下女にやらせるような物ではありませんから!」
「ステラリラさんに見つかったらなんと言われるか」
「なんとかします。ですから、貴女は自分の仕事にお戻りなさい」
外でのやり取りの後、オーシェが部屋の中へと入ってくる。昨日のドレス姿とは異なり、少し地味めだが、動きやすそうな長袖シャツとズボンを身に着けており、とてもこの国の皇女とは思えない。
「善様、おはようございます」
すっかり目を覚ましていた善にご機嫌な様子で話しかけるオーシェ。満面の笑みで、クリクリとした藍色の瞳を何時もの数割増しで輝かせている。
「すっかり元気になられたようで何よりです。昨日はあれからずっと眠られてましたから」
「ああ、すっかり眠りこけちゃったよ、よっと」
善は寝間着姿で立ち上がり、姿見でひどい寝癖姿の自分を確認する。
「はは、ひでえ顔」
「ですね、失礼致します」
オーシェは手際よく彼の髪を梳かし、素早い手つきで服を着替えさせていく。まばたきする間もなく、マントも着ればまるで冒険者といった様子の軽装に着替え終わった。
善がもう一度姿見で自分の姿を見ると、先程と同じ人物であるのが自分ながら信じられないほどに小奇麗な格好になっていた。
「あれ、昨日まで俺が着てた学生服は?」
「あれでしたら洗濯を行わせています。夜には届くかと」
そう言いながら、オーシェは一旦部屋の外へと出ると、料理の乗ったワゴンを押して部屋の中へと入ってきた。
ワゴンの上には、焼き立てで香ばしい匂いのする薄切りのパンを始めとした料理達がまだ暖かさが残ったまま載せられていた。
「朝食の準備も出来ています!」
オーシェはテーブルの上に素早く料理を移していく。大皿の上には薄切りパン、その上にチーズが載せられ、その横にはソーセージとスクランブルエッグが添えられ、豆のトマト煮が小さな深皿に分けられ、ワンプレート朝食が出来上がる。
しかし、善の前に用意されたのは、その一枚のみ。それに彼は違和感を持った。
「オーシェはどうするんだ?」
「えっ……と、善様、どういう意味ですか?」
「オーシェの分が無いじゃないか」
「わ、私は善様の食べる所を見てるだけで、その、ご一緒するなど、恐れ多いというか」
「一緒に食べない方がおかしいだろ、見たところまだ随分残ってるじゃないか」
善の言う通り、ワゴンの上には彼があと二回、いや三回は軽く食べれるほどの量が載っている。
「ほ、本当にご一緒しても……?」
「むしろこっちからお願いしたい位だよ、一人で食べる飯ほど寂しい物って無いからさ」
「は、はい!」
オーシェは恐る恐る、もう一枚用意されていた大皿に自分の分を取り分けている。少しばかり期待はしていたようだ。
そして、彼女の分を取り分けた後、ワゴンの中から水差しを取り出し、二つのコップにミルクを注ぎ、善と自分の前に置いた。
そして、二人は向かい合う形となる。そこで初めて彼らは目が合い、互いに昨日の事を思い出した。
「あー、うん。じゃあその、いただきます」
「イシュリアの恵みを感謝し、その糧をいただきます。祝福をお与え下さい」
二人はそれぞれのやり方で、食前の儀式を終えた。だが、それを終えてもどちらも赤面したまま顔を上げようとはしない。昨日のオーシェの行動を思い出していたからだ。
勿論、どちらに取っても初めてのキスであった。
「あう……善、様」
「な、なんだよ」
「昨日は、出過ぎた行為をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「謝る事無いだろ、だってその、何というか、俺も嬉しかったし」
照れ隠しのように、善はソーセージを口に運ぶ。
「う、美味い」
思わず声に出るほどの代物だった。香草が一緒に詰めてあるのか、フワッとしたハーブの香りと一緒にジューシーな肉汁が口の中に溢れ出す。
「お。お口に合ったようで何よりです。そうだ、身体の調子はどうですか!?」
半ば強引な会話の方向転換だったが、ここで善は妙に身体が軽い事に気がつく。
これまでに無いほどに身体のキレが良く、どこまでも走っていけそうな位に調子が良い。
これがキスの力という訳か。善は納得しながら食事を食べ進めていく。良く考えてみれば、朝にこれほど食欲があるというのも珍しいと思いながら。
「疲れが全部どっかに行ったどころか、まるで別人みたいだ」
「ふふっ、あのアーティファクトの力というのは本当だったみたいですね」少し気恥ずかしそうにオーシェは笑う。
「そうだ善様、食後に運動はいかがですか?」
「運動?」
「ええ、剣の稽古に付き合って頂けたら有り難いのですが」
「あんまり自信無いけど、俺で良いなら付き合うよ」
その言葉を聞いた途端、パッとオーシェの顔は明るくなった。
兵士達は驚愕の目で息もつかせぬ程の速度で繰り広げられる剣技を見つめていた。
謎の男が城内でも有数の剣士である第六皇女と互角に打ち合っているというのだ。非番の兵士すら集まり、兵舎は空となって普段は閑散としている稽古場が埋まるほどの大騒ぎとなっていた。
オーシェの剣は疾かった。重さよりも、手数と決して動きを止める事のない動作によって、相手の行動を封じ込める。だが、善はその剣を巧みに交わしながら確実に痛撃を繰り出す。
善の返しすらも一連の流れに押し留める物の、既にオーシェは数度危うい場面に遭遇していた。
『予想よりも、ずっと速い。力試しのつもりだったけれど……!』
オーシェの表情からは笑みは消え、氷の様な冷たい目で善を見通す。
彼女にとってもこれは予想外であった。昨晩彼が見せた洞察力は確かに非凡な物であった。だが、彼女の身体能力などが若干上乗せされているとはいえこれは間違いなく経験者の動きだ。
その証拠に、幾度とないフェイントにも彼は完全に付いてきている。勝負を何度も決めに行ったというのに、逆に追い詰められて肝を冷やす場面が何度もあった。
「姫様、あれ本気じゃないか」
「木剣が本物に見えるぜ、あれが噂の救い主様って奴か」
兵士達は二人から目を離さないまま、ワイワイと盛り上がっていく。
しかし、それとは裏腹に善とオーシェは無言のまま、汗を光らせながら幾度となく剣をぶつかり合わせる。
そして、一度大きな衝撃が稽古場に響く。オーシェの剣にヒビが入った音だった。
「止めとくか?」
「いえ、まだまだ」そう言ってオーシェは不敵に笑う。
二人は距離を取り合う。試合が始まって初めての事だった。ジリジリと距離を取りながら、相手のスキを伺い、睨み合う。
やいのやいのと盛り上がる外野の声は二人には一切届いていなかった。ただ、互いの呼吸音だけが聴こえている。
ある程度の加減がされている、というのは善も理解していた。だが、その加減というのは相手を怪我させない為の最後の一線であろう。そこを越えてしまえば文字通りの死合でしか無くなる。
先に動いたのは善だった。身体を低くしながら一気に距離を詰め、下段からの振り上げで勝負を決めに掛かった。
だが、オーシェはその攻撃を読み切っていた。善の剣の軌道から半身身体をずらし、右から左へと剣を薙ぐ。
善はそれを待っていた。剣を素早く持ち替えると、強引にオーシェの方へと剣を持っていこうとする。しかし、彼の視界からオーシェが消えた。次の瞬間には彼女の木剣の柄頭が彼の喉元へと突きつけられていた。
「参った」
善は手を上げて降参の意を示す。
「実戦でしたら、私が負けていました」オーシェの試合中の氷の様な表情は消え去り、楽しげに笑う。
「実戦だったら最初から別の動きしてたろうに、よく言うよ」
おおお、兵士達の間から歓声が上がった。
「いつの間にこんな人が」
「いつもならもっと閑散としているのですけどね、この稽古場は。……ところで善様、私の与えましたスキルとは別に、何かやってられたでしょう」
「昔、少しね」
そう言って善は笑ったが、少しばかりの陰があった。




