08話 噂⑦観覧車から聴こえる声
「廃園になった遊園地、人なんか誰もいない筈なのに……観覧車の近くを通ると声がするらしいわ。小さい声で、『出して……』って」
他の奥様方と違いを出すために、熟女奥様は後半は声音を変え、それらしい雰囲気を出した。前髪はピンでとめ、おでこを出している。作った表情も男にはよく見えた筈だ。
「ほーう、誰もいない筈の観覧車ですか。誰が近くを通ったんでしょうかね」
『やはり、そうきたな』と熟女奥様は思った。
今までの会話を聞いていて、この男のパターンは把握した。サンダルをつっかけた足を広げ、三段腹になった土偶のような体を堂々と、男の前に晒す。
何ら恥じるところはない。自分は体型管理の厳しいアメリカ人ではない。相撲を国技にしている日本人だ。この体型は豊かさの証明。裸婦像の婦人のようなものだ。決して裸の象などではない。
若い娘どもは棒のような体になりたがるが、男というものは柔らかい肉の方が好きなのだ。肉に包まれる方を好むのだ。
「迷いこんだ浮浪者か何かじゃないかしら」
熟女奥様は余裕をみせて答えた。
「ふむ、浮浪者ですか。では観覧車の側に、別の浮浪者もいたのかもしれませんね。観覧車の影で用でも足していたのでしょうか。ウン〈ピーッ〉が詰まって、苦しんでる声だったんでしょうかね。本当は『出してぇ……』とか?」
「…………」
男の言葉に熟女奥様はポカンと口を開けた。美形の口から飛び出した、美形が言ってはいけない言葉──ジワリと熟女奥様の額に汗がにじんだ。
この予想外の事態に奥様の頭は混乱していた。
「いやあ、素晴らしい語り口でした。ありがとうございます」
男は輝くような笑顔で熟女奥様の片手を握った。熟女奥様の全身がカーッと赤鬼のように染まる。
若い男に手を握られる。しかも美形だ。
男は今、熟女奥様の中で、すべてが許される存在になった。
男は熟女奥様の手を離すと、近くを囲んでいた奥様方から数歩距離をとった。
「奥様方、親切にお話しくださり、ありがとうございます。そろそろ、行かなくてはいけません」
そう言った後、奥様方を見つめた。
「お別れするのが、本当に名残り惜しい。もっとじっくりと、親密にお話ししたかったのですが」
男の視線は意味深に、奥様方一人一人に投げかけられた。
「また、どこかでお会いできたなら幸せです。では失礼します」
胸に手を当てた芝居がかった優雅な一礼をして、男は去っていく。
その後ろ姿を奥様方は、熱におかされたような眼差しで、ボウッと見送った。