40.獣人の事情
前話のあらすじ
要塞都市ブラードから司令官の率いる兵隊が獣人領へと向かった。
隠れ里からツザの町に帰還したハヤテは、イヌ族軍の上官の下へと報告に訪れていた。
「ツザの住民から離反したと思われる痕跡ですが、途中で途絶えており、ツザの住民の陽動工作だったと思われます」
石造りの堅牢な建物の中、ハヤテの成果無しの報告に静かに一つ頷いたイヌ族軍の大隊長は、十年前にオオカミ族の村を襲撃した部隊の隊長、犬獣人のシヴァだった。
「わかった。人間共が砦を出たとの報告が入った。時期に戦闘に入るだろう。それまで待機して休んでくれ」
叱責も無く、ただ休息を命じられたハヤテは、一抹の不安を覚える。
「シヴァ大隊長、俺たちの参戦については……」
「悪い。イヌ族の古株を抑えきれなかった。お前たちは予定通り後方待機だ」
「しかし!」
「名を上げたいお前たちの気持ちは分かるが、他種族ばかり重宝するわけにはいかないんだ。分かってくれ」
傷だらけの強面の顔に沈痛な表情を浮かべ、真摯に頭を下げるシヴァに、ハヤテもそれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。
焼き払われたオオカミ族の村で初めて目にした時、殺したい程憎いと思った男であっても、十年という時は憎しみを薄れさせ、今では二人には奇妙な信頼関係が芽生えていた。
他部族を次から次へと併合していったイヌ族は、当然のように犬獣人を頂点とした階級が出来上がり、他種族は少しでも立場を上げようと躍起になっている。
そんな中、勝ち馬に乗り続けたことで傲慢さの表れ始めた犬獣人たちに代わり、汚れ仕事も厭わぬ献身さで文字通り死に物狂いで働く他種族を重用しているのが、オオカミ族の怨敵シヴァだった。
しかし数十年ぶりの人間との戦争という大舞台を前に、他種族の小間働きを静観していた犬獣人たちも、大きな手柄と名誉を求めて先陣に名乗りを上げたのだ。
会議の場でシヴァは部下たちとの約束を下に全ての種族をイヌ族として扱うべきと主張したのだが、その意見が通ることはなかった。
さらには、シヴァ本人はイヌ族躍進の功労者として参戦が命じられたのだという。
「そんなわけで第一陣では、お前たちは俺の隊を離れ、ミツルギの指揮で動いてもらうことになる」
「ミツルギ、ですか!?」
「何かあるのか?」
目を見開いて声を荒げたハヤテに、困惑したシヴァが問う。
「っ……いえ、その、あまり良い噂を聞かないもので……」
「たしかにいけ好かない奴だが、あいつが鉄を仕入れてこなければお前たちに回せるほどの鉄の装備は無かっただろうさ。あまり悪く言うな」
そう言って去って行ったシヴァに、シュリからミツルギの所業を聞いていたハヤテは爪が食い込む程に拳を握り締めるしかなかった。
◇
「随分思いつめた表情をしているじゃないか?」
数日後、ツザの町から出立する第一陣を見送ったハヤテたちに声を掛けたのは、後詰めとして第二陣を指揮するミツルギだった。
ハヤテの喉元まで込み上げた罵倒は、背中に添えられたアヤリの細い手に遮られ、
「……っ、俺たちも、第一陣で戦功を上げたかったんですよ」
「おや、そうだったのか。命を賭けてまで名誉が欲しいとかよくわかんないねぇ」
どこか小馬鹿にしたように、ミツルギが笑う。
「ミツルギ、さんは第一陣で目立たなくてよかったんですか?」
「俺? 興味ないもの。だってさ、戦争の美味しさって色々あるんだよ?」
何を思ってか楽しそうに舌なめずりするミツルギに、ハヤテたちは薄ら寒い物を感じるのだった。
◇
要塞都市ブラードとツザの町の間、遮る物の何一つ無い大草原で陣地を構築し待ち構える王国軍五千人をイヌ族の先方が発見すると、睨み合うように立ち止まって後続を待った。
「ふふ、獣共め、慌てて陣を作っておるわ」
「流石はロマス様、ご慧眼感服いたします」
王国軍陣地の中央、豪奢な天幕からイヌ族軍を見下ろし、高笑いをする老年の男は要塞都市ブラードの司令官ロマス・ディメリア。
部下たちの賛美にさらに機嫌を良くすると、休息していた兵士たちに方陣を組むように指示をする。
「ふはは、こちらは十分に休んだ兵士。獣には行軍から休む間を与えんぞ! 所詮獣は獣だなふはははは…………ぬ?」
散らばっていた王国軍が緩慢と整列する一方で、ロマスの予想通り次々に草原の奥からイヌ族の獣人たちが姿を現し一塊になると、休憩はおろか陣形を整えることさえもなく王国軍へと向かって走り出した。
「な、なに!?」
「ロ、ロマス様!? て、敵が動き出しました!」
「お、落ち着け! まだ距離はある! それに名乗りもまだだろう!」
上官たちの動揺が部下たちにも伝わり、騒めき隊列を乱す王国軍兵士たちを、ロマスが一喝する。用意された台座の上に立つと、
「我こそはレムリア王国軍大将ロマス・ディメリア伯爵だ!」
ロマスの大音声が草原に轟いたが、この大将格の名乗りはレムリア王国の人間たちが幾度かの内紛の中で作った人間の戦争の規約である。獣人領の住人が従う由はない上に、そもそも多くの獣人がそのような事を知る術が無い。
「大将、あいつら何か言ってますが」
「ほっとけ。ただの阿呆だろう。盾を持て! 固まって行くぞ!」
「うぉぉぉぉっ!!」
イヌ族の族長であり、イヌ族軍大将のドグマが、副官として任命したシヴァに取り合わず、当然のようにロマスの名乗りを聞き流す。
「っく!? 獣は言葉も理解しないのか!? ええい、弓兵! 奴らを討て! 近づけさせるな!」
やっと整列が終わったばかりの王国兵に、ロマスが檄を飛ばす。
「弓兵、構え! 訓練通りにやれば大丈夫だ!」
弓隊長の掛け声も空しく、重々しい雄叫びを挙げて迫りくる獣人たちに、実戦経験の乏しい王国兵たちは浮足立ち、狙いも定めず矢を放つ者まで現れた。
「落ち着け! まだ距離はあるぞ! 俺の掛け声に合わせろ! 構えろ! 放て!」
ようやく持ち直した弓部隊が、壁のような大量の矢を放つ。王国軍弓兵の数はおよそ五百。対するイヌ族軍も五百ほど。
兵数の差は圧倒的。王国軍の誰もが近づく前に勝負は決すると思っていた。
「矢が来るぞ! 盾、構え!」
ドグマの指示に合わせ、獣人たちが盾を構え身を隠す。
王国軍は、視界を埋め尽くしそうな程大量の矢に覆い隠された獣人たちの死を確信した。が、
「なに!?」
「ロマス様!? あいつら鉄の、王国制の鉄の盾を持っています!」
甲高い音を立てた矢の多くは弾かれ地に落ち、その下からはほとんど無傷のイヌ族軍の姿が現れた。手に持っているのは、上半身を覆い隠せる程の大きさの鈍く輝く鉄の盾。
「くっ!? 焦るな! 第二射準備! 放て!」
次に放たれた矢は、しかし獣人たちを飛び越えてわずかな後方に突き立った。
「どこを狙ってる! 下手くそ共!」
指揮台の上からロマスの怒声が飛ぶ。しかし、彼らが外すのは無理もない。彼らの訓練相手は同じ人間であり、鉄の盾を持った獣人など想定していないのだから。実戦で戦う獣人軍の突撃速度は、想像以上に速過ぎるのだ。
「第三射……ぐ!?」
弓隊長が部下たちから獣人軍に視線を戻すと、すでにその姿は恐ろしい顔まで視認できるほど迫っていた。
(これでは射角はもう……)
「前列の者だけでいい! 足を狙え! 放て!」
弓隊長の指示で、矢を放てたのは最前列の百人だけだった。半分以下に減った矢は水平に飛び、狙い通り獣人軍の先頭を走る者たちの盾に収まりきらない脚部に命中した。
「やった!」
崩れ落ちる獣人たちに、思わず歓喜の声が漏れる。だが、それも一瞬のこと。
地に伏した獣人を踏み付け、獣人たちは立ち止まることなく走り続けると、盾を捨て、歓喜に湧く弓部隊に切りかかった。
◇
「弓部隊がやられているぞ! 護衛の歩兵部隊は何をやっているんだ!?」
「獣人共が早すぎて弓部隊の撤退が間に合いません! 今歩兵を向かわせていますが……」
「報告します! 弓部隊壊滅! 歩兵部隊も被害甚大!」
「何故歩兵部隊までも!?」
ロマスが部下たちに罵声を飛ばす。既に乱戦となった戦場で何が起きているのか彼に把握するすべがなかった。
獣人が人間と同じ鉄の装備を持った。それだけで十倍の兵数差を物ともしないなど、ロマスたちには想像できなかったのだ。
「報告します! 第一第二歩兵部隊壊滅! 敵の損亡は……ほぼ無いものと思われます」
「ロマス様、こうなっては撤退も考慮されては……」
「ならん! 王国史に残るであろう防衛戦だぞ!? ここで撤退などしてはディメリア伯爵家の名折れだ! いくら獣とて、戦い続ければ疲弊しよう。その時まで耐えるのだ!」
意地か見栄か、引くに引けないロマスの口から出た策は理に適っており、部下たちも 黙るしかなかった。しかし――
「そんな、バカな……」
「おや、まさか逃げてないとはな。たしか……ロマスだったか?」
大勢の兵士が倒れ、逃亡し、最後まで残った護衛兵までも、たった今切り捨てられた。鉄の装備を纏った獣人は、わずかに汗を流して疲労の色を見せるも、軽い運動だったと言わんばかりに平然としている。
「貴様は……」
「ドグマという。イヌ族の長をしているが……お前には関係ないな」
あっさりと振り下ろされた剣が、ロマス・ディメリアの首を刎ねた。
「被害はどうだ」
「最初の弓で十人程やられましたが、あとは軽傷です」
「そうか……。では後続を呼んでくれ」
◇
「人間がこうもあっさりと負けるのか……」
野に晒された大量の王国兵の亡骸を前に、ハヤテが呆然と呟く。
「さあ呆けてる暇はないぞ。早く装備を剥ぎ取って死体を埋めろ!」
ハヤテたちを率いてきたミツルギが指示を出す。
「そんな死体漁りのような真似を!?」
「死体漁りだなんて心外だな。これほどの死体を放置していれば瘴気が蔓延してしまうからね。その手間賃だよ」
嫌悪を隠さないハヤテに、ミツルギが嘯く。確かに人でも獣でも、死骸が放置されると瘴気が発生し、それに侵された動物は凶暴に、時には死体が動き出し目につくあらゆる物を食らうとされている。
だが、死体から奪い取った指輪をニヤニヤと眺め、「これは高そうだ」と恍惚の笑みを浮かべるミツルギの本心など、推して量るまでもない。
「く……これもオオカミ族の皆のため……」
唇を噛み締めたハヤテは、せめてアヤリだけはと負傷者の看護に回し、死体を土に埋めるのだった。
いつも応援ありがとうございます。
ブックマークや評価、ご意見ご感想など頂けると作者が喜びます。
※あらすじ「シュリの手記2」を投稿しました。よろしければお暇な時にでもお読みください。