39.人間の事情
前話のあらすじ
隠れ里にイヌ族の徴兵部隊としてハヤテやアヤリたちが来た。
レムリア王国東端にあり、国内最大の城壁を誇る要塞都市ブラード。その巨壁の内側、町を運営する者たちのための一般居住区内に小さな教会があった。
争いの気配に早々に異動を申し出た耳敏い者たちの代わりに、客人ながらに他の助祭たちと同じ扱いを申し出たマリアだったが、町の住民の絶対数が少ないためか、治療希望者は日に数人と落ち着いており、清掃や炊き出しなど普通の助祭のような生活を送っていた。
そんな平穏な日々に変化が訪れたのは、オウガたちと別れてから一月ほど経った頃だった。
国境外である東から王国へと逃げ戻ってくる人間たちが急激に増え、中には不眠不休の過酷な行軍に著しく消耗し、教会に担ぎ込まれる者たちも少なくない。
そして、そんな避難民たちからもたらされた情報は、イヌ族が間もなく攻めてくる、という物だった。
都市内で非戦闘員が暮らす一般区画までもが物々しい雰囲気に包まれる中、要塞都市ブラードの司令官ロマス・ディメリアが兵を率いて獣人領へと進攻を開始したその日、
「オウガさんたちは大丈夫でしょうか……」
一般居住区の小さな治療院では賄いきれない負傷者を受け入れ始めた教会内、奇跡こそ使わない代わりに診察や手当てなど多忙極まる中で、マリアの口から思わず漏れ出たのは旅立って行った友人たちを愁う言葉だった。
「シュリはオオカミ族というやつみたいだし、今回のイヌ族とやらとは関係ないだろうさ」
四方を城塞に囲まれ治安の心配が無いため、護衛の仕事が手隙となり、自然とマリアの手伝いをさせられていたレイアが、彼女の気を紛らわせるために楽観的な考えを口にする。
「そうだと良いんだけど……何か変なことに巻き込まれていそうで」
妙な胸騒ぎを覚えるマリア。すると、
「シスターさん、今オウガと聞こえたが……?」
知り合いの付き添いで教会を訪れていた、数日前に大勢の人間を引き連れて東から避難してきたという壮年の男性が、マリアの方へと近づいてくる。すっと間に入ったレイアが、男性に誰何する。
「あなたは?」
「ああ、失礼。私はツザという町で代表をしていた商人のマシューだ。まあ店を放り出して逃げてきちまったから今は職無しだけどね」
「それは……」
「気にするな。覚悟して国を出たつもりが、命惜しさに逃げ戻って来ただけだ。で、話を戻すが……、お嬢さん方はオウガと獣人のシュリ、あとミライと言ったか。あいつらの知り合いなのかね?」
「は、はい! そうです! 私の……大切な人たちです! オウガさんはお元気でしたか!? シュリさんは!? ミライちゃんも! 今もそのツザに!?」
未だに警戒を解かないレイアを押し退けかねない勢いでマシューに詰め寄るマリア。
「落ち着いて。詳しくは言えないが、彼らは戦えない人たちを連れて獣人領の奥へと避難して行ったよ。腕っぷしも強いようだし、余程運が悪くなければ戦いには巻き込まれないんじゃないかな」
「そうですか。良かった……」
気にかかる部分はある物の、戦場から離れて行ったと聞いてマリアは安堵の息を漏らす。その横で、
「余程の運の悪さか……。あいつらは妙に運が悪いというか間が悪い所があるからなぁ」
今度はレイアが胸騒ぎを覚えるのだった。
◇
場所は変わり、ブラード居住区から城壁を挟んだ要塞区画。人気の無い廊下には妙に距離の近い二人の騎士の姿があった。
「イヌ族に攻められ吸収されたのは、ネコ族キツネ族クマ族ネズミ族トカゲ族……クリス、オオカミ族は?」
短い金髪の騎士、ラウルが手元の小さな紙を覗きながら横に立つ青髪の騎士に問いかける。
「オオカミ族ねぇ……。報告には挙がってないね。何かあるの?」
ラウルの物よりも大きい紙を眺めた青髪の騎士クリス・ローランが首を傾げる。
「王国内で生き残りに会ったことがあるよ。十年くらい前にイヌ族に襲われたと言っていた。百人程度の小さな部族だったみたいだけど」
「十年も前か……。調査してきた者たちにとってはもうイヌ族の一部だったのかもしれないね。一応書き加えておくよ」
「いいの? そんな気軽に」
「ふふ、ラウルが私に嘘を言うとは思ってないからね。信用しているよ?」
「クリス……近い」
触れそうな程に近寄って耳元で囁く青髪の友人を押し退け、ラウルが苦笑する。
「おや、つれないね」
「君は訓練生の時から……おかげで僕がどれだけ有らぬ噂を立てられたことか」
「お陰でお互いに変な虫は寄ってこなかったでしょ?」
「虫って、君ね……。密偵のごっこ遊びに付き合わされた僕はいい迷惑だったよ」
「今はごっこじゃないぜい?」
肩を落とすラウルに、クリスが悪戯っぽく笑う。
「だとしても、報告相手は僕じゃないだろう?」
「ここの司令官は『獣から集めたホラ話なぞ興味ない!』って聞く耳持たないからねぇ。その点ラウルは獣人領の友人について何か心配していたみたいだし?」
「まあ、ね……。元気なようで何よりだったよ。でも、貴重な情報を漏らしていいのかい?」
「王都の他人事だと思ってる爺共よりは、友人に喜んでもらえた方がやりがいがあるさ。まあ、こんなサービスをするのは君だけだよ」
大袈裟なわざとらしいウィンクを一つして、クリスが「それじゃ定時連絡行ってきまーす」と軽い足取りで廊下を去って行く。
「まったく……まあ、マリアさんたちにいいお土産ができたかな」
変わらぬ友人の姿に肩をすくめて呆れたラウルだったが、この光景を目撃されており、要塞都市ブラードでも有らぬ噂を広げられるのだった。
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