4.代償は喪失
「ミツルギ……さん。どこへ向かうんですか?」
森をかき分けながらしばらく。無言でオウガに手を引かれるままに歩き続けるシュリに耐えられず、オウガは前を行くイヌ族の兵士、ミツルギに尋ねた。
「とりあえずさっきの誰かさんたちと反対方向。ちょうどこっちに安全な場所の心当たりがあるから、そこだな」
「安全な場所?」
「ま、オオカミ族にはわからないかもしれないけど、イヌ族も色々あるんだよ」
そう言ったミツルギは遠くを見て、その表情は少しだけ愁いを帯びていた。オウガにはそう思えた。
◇
ミツルギとの数日の旅は、今のオウガとシュリには得難い経験を与えた。
簡単な火の点け方に始まり、野営の仕方、食べられる植物、罠の作り方、獣の足跡の見方。それは本来であれば親から受け継ぐ知識と業だったが、二人にはその機会は訪れなかったモノだ。
そんな業を見せるたびにオウガとシュリが逐一感心するのに気をよくして、ミツルギは色々やってしまったのだが、最後には「まぁ代々下っ端兵士の浅知恵だけどな」と少し照れくさそうに笑った。
◇
「あの橋を越えればもうすぐだ」
「橋、ですか?」
ミツルギの指した先には、縄と木の板で作られた質素なモノではあるが、確かに橋が架かっていた。
オオカミ族の村から逃げ出してから初めて見た人工物は、オウガとシュリの目を釘付けにしていた。
「この辺りのやつらしか使わない橋だな。多分イヌ族の偉い人らも知らないはずだ」
「あれを超えれば、安全?」
「でも、今にも落ちそう……」
橋の下、辛うじて川が流れているのが見えるほどに深い崖を覗き見て、シュリが後ずさる。オウガは震える手を握りしめ、行こう、と促した。
「坊主、ちゃんと嬢ちゃんをエスコートしてやりな」
ミツルギは我関せずとばかりにひょいひょいと軽やかに吊り橋を渡っていった。
「ほら、見た目より丈夫そうだよ」
「うん……オウガ、手離しちゃダメだからね?」
「もちろん!」
手すりの縄を掴みながら、ゆっくり一歩ずつ進んだ。
「本当は切り落としたいトコなんだがなぁ」
時間はかかったが吊り橋を問題なく渡り終えたところで、ミツルギが呟いた。
「ダメですか」
「ああ、使ってるやつらに怒られちまう。すまんな」
ミツルギが大げさに肩をすくめて見せた。
「いえ……」
「さぁ、もうすぐ目的地だ。頑張ろうぜ」
陽気に笑って、ミツルギは二人の背中を押した。
◇
「ああ、いたいた。おーい、メストさーん」
吊り橋から少し歩いた辺りで森は開け、野山が広がっていた。ミツルギが大声で呼んだ相手は、野営をしていたのか、簡素なテントをいくつか立てた広場の中央で焚き火をしていた。しかしオウガとシュリには、より気になるモノがあった。
「ねぇシュリ、あれってさ」
「馬もいるし、馬車、よね? ミツルギ……さんの知り合いがそんな裕福だなんて」
二人は聞こえないようにささやき合う。オオカミ族以外でも馬一頭を維持するには相当な余裕が必要なのは変わらないが、オオカミ族の村ともなると、一年に一回、来客が来た時に見ることがあるかどうかだった。
しかし何よりも二人を驚かせたのは――
「あの男の人、耳も尻尾も見えないね?」
「メストって聞きなれない響き。もしかしてあれは……」
オオカミ族の村では見たことのないような上質な服を着ていて、尻尾の有無はわからないが、頭部には何一つ獣人の特徴がない。可能性は限られてきて――
「正解。メストさんはヒト族だよ」
「っ!? ミツルギさん! ヒト族と交流があるんですか!?」
交流っていうか、ねぇ。とミツルギがメストに続きを促す。
「商売仲間ですよ。で、ミツルギ君。この子たちがそうかい?」
「ああ。元気な――奴隷だよ」
「え!?」
「おっと動くなよ坊主。じゃないとここまで守ってきた嬢ちゃんがヒドイ目にあうぜ?」
いつの間にかシュリの背後に回っていたミツルギが、鋭く輝くナイフを彼女の首筋に添えた。狩りに使っていた粗雑なくすんだ鉄槍とは違い、その輝きから高品質であることがわかる。
下っ端を名乗る彼には分不相応なほどに。
「ミ、ミツルギさん! なんで!?」
「二人を拘束なさい」
メストの部下らしき男たちに押さえつけられながら、オウガは悪びれた様子もないイヌ族の男の名を呼んだ。しかし彼は見向きもせず、メストと交渉を始めた。
「二人で銀貨20枚!」
「いえ、二人で出せて銀貨10枚ですね」
「おいおいそりゃねえよ。前にネコ族の女売った時に、一人銀貨10枚だったじゃねえか!」
「確かにあの女よりは二人ともキレイな顔をしていますがね。子供はあまり需要がないんですよ」
イヌは人気がイマイチですしねぇ、というメストの呟きを、ミツルギは血が流れそうなほど拳を握りしめて聞き流そうとしたが、ふと思い立ったように目を見開いた。
「いや、こいつらはイヌ族じゃねぇ。オオカミ族っていう希少な種族なんだ!」
「へぇ、オオカミ。確かに滅多に聞きませんねぇ。……では銀貨12枚で」
「一人?」
「二人。だって――イヌもオオカミも獣人は見ただけじゃわかりませんしね」
鼻で笑いながら、メストがオウガを見下す。
「子供で男だとさらに価値が低いんですよ。これ以上は無理ですよ」
有無を言わさず、ミツルギの掌を上に向けさせ、銀貨をチャリチャリと落としていく。
「はい、12枚と。毎度ありがとうございました。お帰りはあちら」
ヒラヒラと手を振るメストに何も言わず、ミツルギは背を向けた。
「ミツルギさん!」
「あー、坊主。イヌ族にも色々あるんだよ。まぁ、お前らは思ったより安かったけどさ。恨まないでやるから。元気でやれよ」
ミツルギは、出会った時に肉を食うかと聞いた時と同じ顔で、笑った。
「そんな……」
「じゃあな。……最初に言っただろ。俺はお前たちを殺さないって」
また明日、とでもいう気軽さで、イヌ族の男は去っていった。
「では私たちも行きましょうか。特別に特別な馬車に乗せてあげますよ」
メストは無感情にフフフと笑って見せた。
そこから、絶望の旅路が始まった。
◇
オウガとシュリは足に金具付きの枷を付けられ、日中は馬車の中に鎖で繋がれて、夜は重い鉄球を付けて雑用をさせられた。
不用意に会話をすればうるさいと殴られ、黙っていても反抗的だと蹴りが飛んできた。
自分たちの心を折るためだろう、と二人も気づいたが、どうにもならなかった。
辛うじて馬車の中、ガタガタと大きく音が出るときだけ、二人はささやかに励まし合った。
旅は長く、一月かかるのだという。向かう場所は東の獣人領とは反対のヒトの領域の遥か西の貴族領。その貴族領を目指す理由は、獣人がより珍しくて高値で売れるからだ。
二人は貴族というものがよくわからなかったが、オウガの父、ロウガのような族長を指すのだろうと解釈した。そうやって、僅かながらにヒト族の知識を得ていった。
二週間が経ち、ソレは起こった。事の発端は、メストの部下の何気ない思い付きだった。
「メスト様、あの坊主について良い考えがあるんですがね」
「なんでしょう?」
御者台で手綱を握っていたメストに、部下の男が小声で話しかける。馬車の中に繋がれている奴隷たちには聞かれたくない話題のようだ。ちらりと後ろを見た様子からそれを察し、メストも声を潜める。
「オウガは顔はいい。でもオスの獣人は売れない」
「そうですね」
奴隷の利用価値は、大きく二つ。愛玩具か労働力。獣人は身体能力がヒトより高いため、労働力としての価値は高いのだが、子供であることがネックになってくる。即戦力とは言えず、また無事に大人になれる保証もないので買い叩かれてしまう。
では愛玩具――性奴隷としてはどうか。顔立ちの整ったオウガは本来ならば価値が高い。しかし、今度は獣人であることがネックになってくる。
獣人とヒトの混血はタブーではない。が、結果として生まれてくる子供は両親のどちらか一つの種族の特徴しか受け継がない。
これが、シュリのように可愛らしい少女の獣人であれば、将来的には娼婦として貴族や豪商に買われ、獣人が産まれれば奴隷、ヒトが産まれれば取り上げて正式に子供と認める、ということが行われているので高値で取り扱われる。
しかし、少年のオウガでは、例えば豪商の女主人が男娼として買い取ったとして、長い妊娠期間を置いて獣人が産まれるのでは困る。よって、男色家やそれを相手にする娼館、もしくは獣人奴隷を卸す獣人ブリーダーか。売り先が限られてしまうとどうしても足元を見られてしまう。
一緒に買い取ったはいいものの、奴隷商人としてはオウガを持て余していた。
「いっそ、耳と尻尾を切り取って、ヒトの子供として売っちまうのはどうでしょう」
「なるほど……」
部下の恐ろしい提案を、メストは一考してしまう。
(元よりバカなイヌからただ同然で仕入れたおまけ。せっかくならば有効利用するのもいいでしょうか)
「いいでしょう。ただし、シュリの反抗的な態度への見せしめとして、です。あの子は高く売れそうですからね」
(より従順にしておけば、金貨10枚もいけるかもしれませんね。)
銀貨は100枚で金貨1枚として勘定するので、うまく事が運べば銀貨10枚の買い物が100倍に化けるかもしれない。メストはどんな命令にも素直に従う可愛らしい獣人の少女を想像して、笑みを堪えることができなかった。
メストたちの企みは、馬車の中の二人にも聞こえていた。耳が良い上に、不用意に音を立てることも禁じられていたので、嫌でも耳に入ってきてしまっていたのだ。
「そんな……嘘でしょ?」
「シュリ……。見せしめって言ってるし、きっと良い子にしてれば大丈夫だよ」
「何言ってるの! あいつら理由なんて何でも作って殴ってきたじゃない!」
口の中で僅かに吐息を零すかのようにして行われていた秘密の会話が、シュリの興奮により漏れ出てしまった。
「シュリ、静かに――」
「んー? 話し声がするなぁ?」
それは、大人が子供の悪戯をたしなめるような、明るい声だった。
しかしそれを聞いた瞬間、オウガとシュリの胃袋はきゅっと縮み上がり、冷たい針で刺されたかのように痛みを感じた。
「勝手に喋ってる悪い子はどこかなー?」
ギ―っと音を立てて、馬車の後ろの戸が開けられた。薄暗かった車内に、光が差し込む。同時に、黒い大きな人影も。
「シュリかなー? それとも、オウガかなー?」
黒い人影はゆっくりと首を巡らした。
「わ、私たちは喋ってません!」
「おー、口ごたえしやがったなー?」
逆光で見えないのに、男が笑ったのが分かった。
「ひ! お、お願いだからオウガにヒドイことしないで! 何でも言うこと聞くから!」
「んー、こりゃ話聞かれてたっぽいなぁ。しかし何でも言うこと聞くから、かぁ。あと10、いや5年も経ってれば最高のセリフなんだがなぁ」
「バカなこと言ってないでさっさとお仕置きしようぜ。オウガを出すからシュリちゃんを見やすいとこに繋いでやんな」
「へいへいっと」
「こ、来ないで!」
「おっと! あんまり暴れるなよ危ねぇな」
いくら獣人といえど子供の力では抵抗虚しく、オウガは外に引きずりだされ、シュリも馬車の入口に縛り付けられた。普段は閉ざされていて感じられなかった暖かな太陽も、今の二人には何の恩恵も与えなかった。
「そういえば、切った後はどうすんだ?」
「おう、そこはちゃんと考えてあるぜ。ナイフを火で炙ってある」
「お前も鬼だねぇ」
ゲタゲタとおぞましい笑い声。縛り付けられたシュリは見ていられない、と目を背けた。しかし――
「ちゃんと見ないとダメですよ?」
メストがにこやかにそれを許さなかった。シュリの髪を掴み、強引にオウガの方へ向ける。
「これは君たちへの罰なんだから」
「私たちは、こんなことされることなんて……」
「まぁ獣人であること自体が罰みたいなもんだよ。生まれてきたことを呪うんだね」
メストは笑いながら、やれ、と一言呟いた。
彼の部下の一人がオウガを羽交い絞めにし、お仕置きの提案者がナイフをオウガの耳に当てた。
「ぐっ!? い、つっ!?」
血しぶきが飛び、肉が焼ける臭いが漂い。
オウガは叫びだすことも出来ず、ただ苦痛に耐えた。
ぷちっという小さな音を最後に、オウガの頭を掴んでいた男の手が離された。
「はぁ……はぁ……」
「ふぅ。思ったより大変だな」
男が血塗れの何かをプラプラと振って、そういう。そしてその何かをおもむろに投げ捨て――
「あとはもう片方と……尻尾か」
ここまで読んでくださいましてありがとうございます。
オウガはこれ以上ヒドイ目に合う予定は今のところございませんので、どうか彼がこれから立ち上がっていく様を見守ってあげてください。
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