32.忍び寄る足音
前話のあらすじ
人間と獣人が住むツザという町で、トラヤというおばさんに出会った。
「オオカミ族はイヌ族の配下か……有り難い情報だけど、気軽に接触してみるっていうわけにもいかないね」
夜半時、ツザの宿屋の一室。既に夢の世界に旅立ったミライを起こさぬように声を潜ませ、オウガとシュリは昼間偶然聞いてしまったオオカミ族の現状へと思いを馳せていた。
「下手に近づいて取り込まれるのは嫌」
はっきりと言い切ったシュリの言葉に、オウガも苦笑しながら頷く。
「イヌ族に快く迎え入れられたっていう感じではなさそうだもんね。戦闘奴隷、か……」
「まさか自分なら楽そうとか思ってない?」
「へっ!? いや、そこまでは考えてなかったよ。ただ、どんな風なのかなって思ってさ」
「そう……。奴隷というくらいだから、きっと自由は許されてない。……もしも、ミライくらいの子が無理やり戦わせられていたら――」
「戦わせられてたら?」
「イヌ族を潰す」
切れ長の眼をすっと細めたシュリの気迫に気圧され、平然を装いながらも背筋に冷や汗を流すオウガは、頼むからバカなことはしてないでくれと心から願うのだった。
◇
「買い忘れた物はない?」
「大丈夫」
「わたしも~」
たとえそこが理想的な町であっても、彼らは未だ旅の途中。羽を休めることはあっても、またすぐに旅立つことを選ぶのだった。
早朝、宿を引き払ったオウガたちは、ツザの町の朝市を回り、新鮮な食料などを買い集めていた。割高ではあるが、彼らにとってはすっかり馴染んだ王国産の香辛料などが売られている上に、獣人領でもレムリア王国貨幣をそのまま使えることがわかり、普段は冷静なシュリまでも足取りが軽やかで財布の紐が緩くなっているようだ。
思いがけず買い過ぎてしまった荷物をラウルたちから譲り受けた二頭の馬に括り付け、忘れ物は無いかと三人が確認しているところに、フラフラと近寄ってくる男たちがいた。
いち早く気が付いたシュリがミライを後ろ手に庇い、静かに睨み付ける先にいるのは、帯剣して粗末な鎧に身を包んだ若い獣人の男たちだった。
「そこのお前たち。そんなに大量の荷物を持ってどうする気だ」
集団のリーダーなのであろう、先頭にいた犬獣人の男が問いかける。男たちは一様に腕に青い腕章を付けており、オウガたちは彼らがトラヤの言う自警団なのだろうと察しを付けた。
(またか……)
マリアたちとレムリア王国を旅していた頃、見目麗しい年頃の娘が三人もいるとなれば、町中では何かと絡まれることが多かった。当時は騎士然としたラウルが間に立つことで余程質の悪い男たち以外は早々に立ち去って行ったのだが、マリアたちと別れてからは、オウガだけでは簡単には追い払えなくなってしまったのだ。
自分に迫力が足りないからか、と密かに気にしているオウガだった。
「俺たちはこれから東へ行くんです」
ニヤニヤと笑いながら、無遠慮な視線をシュリに送る男たちの前にオウガが割り込む。
露骨に顔をしかめた犬獣人は、
「人間がわざわざ東に? 怪しいやつらだな。お前たち、王国か獣人領の密偵じゃないだろな? ちょっと詰所まで来てもらおうか」
「止めろっ!」
シュリの手を取ろうと伸ばされた犬獣人の手を、オウガが振り払う。気色ばむ男たちを牽制するように腰元の剣に手をかけ、睨み付ける。
「てめえ!? 俺たちに逆らうとどうなるかわかってるのか!?」
「どうなるの?」
シュリが声を荒げる獣人たちを、平然と見つめ返す。
「俺たちはこの町の自警団だ! 言うことを聞かねえなら町にはいられねえぞ!?」
「そう。どうせもう旅立つから構わない」
冷え冷えと言い捨てるシュリに、獣人たちが思わず口ごもる。不安気にシュリの袖を引くミライに、シュリは獣人たちに見えないように優しく微笑みかけ、
「大丈夫、こいつらは口だけだから」
と頭を撫でた。
「トラヤは腰抜け集団って言ってたけど、無意味に乱暴な集団なのね?」
「なっ!? お前らトラヤさんの――」
「シロウの兄貴! あいつらが来ましたぜ!?」
「団長と呼べって言ってるだろ! くそっ、もうそんな時間か!? 場所を移すぞ! お前らも付いてこい!」
「何で俺たちが――シュリ?」
理不尽な物言いの自警団長シロウにオウガが呆れて拒絶しようとするのを、獣耳をピクつかせたシュリが袖を引いて止めた。
「オウガ、行ってみよう。……ちょっと気になる音がした」
◇
憂いを帯びた悩まし気な表情のシュリに促されるまま、自警団に連れられて町外れへと向かっていく。
まともな建物があった中心部とは違い、木の板を組んだだけのような粗末なあばら家が並ぶ町外れを抜けた所には、金属の鎧に身を包んだ犬獣人たちがいた。
ラウルやレイアのような王国騎士の装備としての騎士鎧と比べれば質は落ちるが、それでも獣人が着るには珍しい程にしっかりとした鉄鎧であった。
「やっと来やがったか。待たせやがって」
「ちょっと待ってくれ。まずこいつらに見覚えはあるか?」
ガチャガチャと苛立った様子で音を立てる鎧の獣人たちに、シロウは素直についてきた背後のオウガたちを指し示す。
「なんだそいつらは? 献上品か?」
もちろん見覚えなどない鎧の犬獣人たちが、ジロジロと嫌らしい視線をシュリに集める。
「あんたたちの部下じゃないなら、やっぱり王国の密偵か!?」
「だから違うって――」
「人間どもの密偵だと?」
鎧の犬獣人たちが、手に手に剣を取り、オウガを取り囲む。
「人間は――死ね!」
「えっ!?」
人間と獣人の共生する町。例え武装した集団に囲まれてもどこか弛緩した気持ちがあったのか、突然振り下ろされた鎧の獣人の一振りを間一髪で身を捻って回避する。
どういうつもりかとオウガが慌てて視線を巡らせると、血走った鎧の犬獣人たちの向こうに、戸惑った様子の自警団の獣人たちが目に映る。
「あ、あんたちいきなり何を!?」
「俺たちイヌ族は人間と戦争するんだよ! 密偵なら尚更生かして返す理由がねえ!」
身勝手な理論を振りかざして、鎧の犬獣人たちが剣を振るう。
確たる殺気を持って繰り出される剣に、紙一重で回避を続けていたオウガもついには、
「少し頭を冷やせ!」
突き入れられた剣を脇に逃がし、背後に回り込んでいた別の鎧獣人へと誘導する。程々に傷付け合えば、というオウガの思惑は、殺意に力んだ獣人たちの剣はお互いの腹へと深々と刺さり合った。
「あちゃあ」
「なっ!?」
生き残ってしまった最後の鎧の犬獣人も、思わず立ち止り、慌てて距離を取ろうとしたその瞬間――
「ぐげっ……」
いつの間にか背後に忍び寄っていたシュリのナイフにより、喉元を掻き切られて血飛沫を上げた。
「やるなら手加減しちゃダメ」
「いや、そこまでやるつもりもなかったんだけど……」
予想外の結果に、戸惑いながらオウガが自警団に目をやると、
「な……なんてことをしてくれたんだ……」
と、怯えた様子の自警団長シロウたちが震えていた。
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