19.聖女様と遊ぼう
前話のあらすじ
マリアを聖サンドルク教会の総本山まで護衛することになった。
町を出て数刻。オウガは車外でラウルに乗馬を教えてもらい、奮闘していた。一方女ばかりの馬車の中では、
「シュリさん、ミライちゃん。ここ! ここ空いてますよ!」
大量の荷物で手狭になった車内、ベシベシと自身の横を叩いてマリアが呼ぶ。微笑みを浮かべているのに、どこか気迫のようなものが漂っている。
呼ばれた獣人娘二人は、車内の片隅に身を寄せ合うようにして座っていた。そこは窮屈で、長旅には適さない場所ではあるのだが、マリアから漂う気迫にシュリは、
「いい。私はここで」
と身をすくませて拒絶の意思を示した。ツンと澄ましたシュリと妙にワクワクと期待溢れている様子のマリアの間に挟まれるように残されたミライはあたふたと戸惑ったが、ガタガタと跳ねる馬車旅は身体への負担が激しく、マリアの確保したスペースは何とも魅力的に見えた。
「ミライちゃんこっちにおいでー」
聖女の蠱惑的な手招きに、シュリも「ミライはミライの好きなようにすればいい」と自主性を促した。ミライは逡巡したが、長く馬車に揺られて硬直した身体には、広いスペースがまるで青々とした芝生のように思えて、思わず身体を投げ出した。
「ンー! はふぅ~。気持ちいいよ~」
衝動に駆られるままに柔らかな敷物の上をゴロゴロと転がり、まるで猫のように身体を大きく伸ばすミライの様子に、シュリも思わず誘われるように腰を浮かしかけて――気づいた。
「うふふ、ミライちゃん、マリアお姉ちゃんが膝枕してあげるよー?」
硬直した姿勢から解放され、微睡み始めたネコ娘をそう言って誘う聖女。ミライも寝ぼけ眼でそれに従い、マリアに頭を預けた。優し気な微笑みで乗せられた少女の頭を撫でる可愛らしい銀髪の女性。絵画のような光景なのに、シュリはどこか薄ら寒いものを感じた。
頭を撫でるマリアの手は、しかしその実、執拗にミライの猫耳を撫ですさっていた。
「んんー……マリアお姉ちゃんの手、あったかい……けど、ちょっとくすぐったいよ~」
「ほんと? ごめんね?」
口ではそう謝罪しつつも、彼女の手は止まらない。
なでなでさすさすさわさわモフモフ。
執拗に触っていながらも、ミライが拒絶しないということは、どんな絶妙な力加減だというのか。シュリが思わず見入っていると、マリアがちらりと視線を向けた。
「シュリさんも、一緒にどうですか?」
何に興奮したのか紅く上気した頬に、微笑みを浮かべて。
シュリにはそれが、悪魔の誘惑のようにさえ思えた。
「い、いや! 私はここで! ここでいい!」
「そうですか……残念です」
力いっぱいの拒絶に、肩を落とし心なしか寂し気なマリアに、さしもの狼娘も言い過ぎたかと何か声をかけようとして、彼女の手が止まらずミライの耳を撫で続けているのを見て、飲み込んだ。
「シュリ、町から離れたことだし、よかったら御者の練習をしようか」
そんな二人の微妙なやりとりを見かねたのか、御者台からレイアが声をかける。
「する。やる!」
「といっても、もう少ししたら野営予定地だけどね。マリアも……あー、まあ程々にな?」
飛びついてきたシュリに苦笑しつつ、マリアにも言葉を選んで苦言を呈す。
「わかってます。……いつかきっと、シュリさんのモフモフも……」
またしても、シュリの背筋をゾワリと寒気が襲ったのだった。
◇
アマーストの町から南へと伸びたミクス街道。その道中にある野営地へと、ラウルが一行を先導した。野営地とする基準は水場の有無で、騎士として衛兵たちの行軍訓練に同行したラウルは、ミクス街道の南端である、当面の目的地であるセアスの町までの野営地を把握していた。
ちなみにレイアはマリアが洗礼で助祭になった時にマリア付きとなるべくして出向してきたため、アマーストでの行軍訓練には参加していないので、ミクス街道については明るくない。
「へぇ~。大きいテントだねぇ……」
馬術の練習をしながらも、明るいうちにたどり着いた野営地では、ラウルとレイアが率先して野営用の大型テントを組み立てていた。オウガたち獣人三人とマリアは、見学と指示された場合のみの手伝いにと納まっていた。
「オウガさんたちは旅の間どうしてたんです?」
「もっと小さいテントだったよ。徒歩だったから荷物もそんなに持てなかったしね」
「何? オウガ、君はシュリたちを連れて歩きで旅をしていたのか?」
マリアの素朴な疑問にオウガが答えた所、テントを張り終えたレイアが意外そうに尋ねてきた。
「そうだけど?」
「どれだけの距離だ? 君の話を聞く限り、かなりの遠方から来たのだと思っていたが……」
「ええと、アマーストから北に……一月くらいだったかな」
半分の15日くらいと答えようとして、自分が人間だと思われていたことを思い出し、慣れない嘘で誤魔化した。時にはシュリとミライを担ぎ上げて走破した道無き悪路は、常人が怪我人を連れて歩ける物ではなかっただろう。
「一月も……」
「寄付金も払えないくらいだったから。私の治療費のために、乗合馬車も我慢してくれたの」
マリアたちとオウガとの認識の齟齬を感じて、シュリが助け船を出した。シュリやミライを普通の女子として考えてしまっているマリアたちに対して、オウガは怪我を負ってなお、衛兵を引きずってきてしまうくらいに活発な彼女たちの身体能力を前提にしていたのだ。
旅に不満はなかったと伝えることで、オウガへの非難を抑えたシュリは、そのまま話の流れを変えるために疑問を口にした。
「それにしても、マリア一人のためにこんな立派な馬車に旅費まで付けてくれるなんて、教会は意外と気前がいい。それともマリアが特別?」
「マリアが特別、だな」
苦笑するレイアは、居心地悪そうに視線を逸らすマリアを見やりながら、
「普通の助祭なら、総本山に向かう道中も修行の一環ということで、乗合馬車か徒歩かだ。勿論護衛なんて付かないんだが、神の子は特別でな。優れた奇跡の使い手ともなれば、騎士の護衛に兵士や冒険者を一小隊並み――つまり十人くらい連れていくこともあるそうなんだが……」
「ミライを入れても五人だね?」
「マリアの評価が実は低い?」
「シュリさん、何でちょっと嬉しそうなんですか!?」
「いや……実はあの夜のことで緊急の会議があったらしくてな。マリアの出立を早めることになったんだが、カーマイン司教が「町の冒険者も兵士も信用ならん!」とゴネにゴネてな。結果として、この人選になったわけだが……」
「あのジジイ……」
「無茶を通したが、司教が全責任を取るということでかなりの譲歩を引き出したみたいだぞ。旅費は一小隊と同じ分だけ頂けたし、馬車まで付いた。いくら神の子でも、専用馬車なんてそう用意されないぞ」
「おじいちゃんすごーい!」
「爺さんのおかげで贅沢な旅ができるわけだね」
「はははは……」
「……マリア。どうしたの?」
相変わらず居心地悪そうに愛想笑いを浮かべていたマリアに目ざとく気づいたシュリが何事かと問うと、彼女は慌てて取り繕って何でもないと大きな身振りで誤魔化した。
◇
時は遡って、オウガたちがカーマイン翁と面談した日。宿に戻る彼らを見送った後、カーマイン翁は護衛騎士を外に立たせてマリアと二人きりの密談の時間を持った。
「あやつらには暗殺が心配じゃと言ったが、儂は町を出れば暗殺の可能性はほぼ無いと思っておる」
「え!? どうしてですか?」
「憐れな聖女が恐ろしく残虐な獣人に殺された場所、というのが重要だったんじゃないかと。まぁ憶測じゃがな」
「何故そのようなことを……?」
「ふむ。マリア、お主は司祭になった後、この町に戻ってくる予定だったかね?」
「え? そうなるものと思っていましたが……」
「……ぬぅ。急な昇格じゃしな。知らんかったようじゃが、普通は司祭へ昇格するとある程度所在を選べるようになるんじゃが……お主は難しいじゃろうな」
「何故です?」
「間違いなく国中の大中の教会からお呼びがかかるじゃろうよ。聖女の高名はそれほどに影響力があるでな」
カーマイン翁は教会中枢に根付く魑魅魍魎のような同僚たち思い出したのか、肩を落として深くため息を吐いた。
「この教会、ひいてはこの町。聖女の奇跡を求めていた者、その周りに商機を見出した者。大勢が次のお主の赴任先に流れるじゃろう。それが惜しくなったのやもしれん。聖女が無念にも無くなった場所なら、多少は人も集められよう」
「そんな……そんなことのために……」
血溜まりに沈む、痩せ細った獣人の男の姿を思い出して、マリアは身震いした。そんな彼女に、カーマイン翁は努めて明るく笑って見せた。
(もう一つの可能性としては、神の奇跡を妬む何者かの私怨という可能性もあるが……今のマリアには酷じゃのう)
「まあ憶測じゃがの。実際に町の外に出てみんことにはわからん。じゃが折角の旅じゃ。見ず知らずの冒険者よりも、顔見知りばかりの方が楽しかろう?」
「カーマイン司教……」
「あいつらにはしばらく教えるなよ? 可能性の話じゃし、あんまり弛んでは報酬の払い甲斐が無いでな」
せいぜい楽しい旅を、とカーマイン翁は悪戯の成功した子供の様に笑った。
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サブタイトルは最初期から考えていたもので、聖女様(当時名前未定)とのほのぼのパートを詰め合わせた短編集的な物を書く予定でした。予定は未定だったということで……。




