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オオカミノ国  作者: 十乃字
二章・出会いと別れ
17/81

17.暖かな夜明け


 一夜明けた翌日。


 マリアたちから宿舎の来客用の部屋を勧められたが、シュリがオウガにだけ見える角度で露骨に嫌だと表情で主張したため、オウガが丁重に断り、明日の再会を約束して宿屋に帰った。


 オウガはシュリが嫌がったのは人間との確執があるからかと心配したのだが、彼女が拒否した理由は、レイアの「まぁ、あと数刻もすれば朝の奉仕活動で皆起こされるがな」という呟きを聞いたせいだった。


 日が十分すぎる程に高く上った頃にようやく起き上がってきたシュリから事情を聞き出し、オウガとミライは呆れかえったのだった。


 

   ◇



「オウガ殿、こちらです」


 前日とは一転、封鎖された人気のない教会の正面入り口を警備していた衛兵が、獣人娘二人連れという珍しい特徴のオウガを丁重に持て成した。


 死体も戦いの痕跡も片付けられたものの、何故か昨日とは違い荘厳さではなく薄ら寒さを感じさせる無人の礼拝堂を抜け、案内されたのは妙に内装が豪奢な面談室だった。


 衛兵は「しばらくお寛ぎください」とだけ伝えると、すぐに持ち場に戻ってしまった。


 扱いの違いに戸惑うオウガを余所に、獣人娘二人は見たことも無かった重厚な作りの高級ソファーの感触を楽しんでいた。


「お兄ちゃん、これすごいよー!」


「オウガも座る」


 上機嫌な二人が傍らを手でポンポンと示して隣に来ることを催促され、オウガは素直に従って二人の間に座ると、同様に座り心地を満喫した。


「楽しんでもらっていますかな」


 獣人三人が見慣れぬ上等な内装について話に花を咲かせていると、にわかに廊下が賑やかになり、部屋を部屋の扉をノックした。応じて開けられた扉からは見慣れた顔ぶれが並んでいたが、先頭で率いていたのは聖女のマリアでもレイアたち騎士でもなく、修道服の老年の男だった。


「お待たせいたしました。貴方がオウガ殿ですか。マリアを助けてくれて、本当にありがとう」


 老人はオウガたちに歩み寄ると、深々と頭を下げた。


「いえ、俺がやりたくてやったことですから。ところで、あなたは?」


「ああ、これは失礼を。儂の名前はカーマインと言うてな。一応司教なんぞやっている、この教会の責任者の一人なんじゃ」


「カーマイン司教は何かと私のことを気にかけてくださっていて、教会内では良識派と呼ばれている……比較的まともな司教です」


「比較的で、しかもまともじゃないのもいるのね」


 マリアの微妙な心境を含む紹介に、シュリがグサリと指摘する。微妙な紹介をされた司教はほっほっほとわざとらしい老人笑いを浮かべている。


「例えば、昨日私を呼び出した騎士のグレイブはカーマイン司教が呼んでいる、と言っていたのですが……」


「え? 爺さんが、昨日のあいつらを仕組んだの?」


 皆の視線が集まる中、オウガが率直な質問をぶつけた。


「ふむ。どうじゃろうな? 儂がマリアを殺そうとしていながら、のうのうとオウガ殿に感謝の言葉を送りに来たと思うか?」


 口元を愉快そうに緩めながら、しかし真剣な瞳で若狼を見返すカーマイン翁。その意外な程鋭い眼光に、オウガは思わず肌がピリピリと痺れるような警戒心を抱かされた。


「……わかりません。俺はあなたに底知れない物を感じました。でも、マリアが信頼しているみたいだから、信じたいです」


「奴隷商人よりよっぽど恐ろしい顔してた」


「シュリお姉ちゃん!?」


「ほっほっほ、素直な若者たちじゃのう」


 カーマイン翁が先ほどの眼光が嘘のように楽しそうに笑う。


「ごめんなさい、こういう方なので、素直にまともとは言いにくくて……」


「マリアは儂のことをよく理解してくれておって嬉しいのう」


「とか言いながらマリアに触ろうとしないでください!」


「なんじゃ、レイア嬢はうるさいのう。老い先短い老人の楽しみを奪うとはのう……」


「……私の尻を撫でながら言うんじゃない! この色ボケ爺!」


 慣れたものなのだろう、賑やかな様子に、獣人三人が唯一騒ぎに加わっていなかったラウルに説明を求めるように視線を送ると、彼は溜息を吐きながら、


「これでも司教様だから、生涯を神に仕える誓いを立ててらっしゃる。つまりは独身で、マリアさんやレイアを娘や孫のように可愛がってる……だけだと思うんだけど」


 と困り顔で彼らの関係を解説する。


「こんなのが偉いとか、ここの人は正気?」


「こんなのが、っと言うかこんなのだからこそ、と言うべきか……司教、ご自分で説明してください」


 シュリの辛辣すぎる言葉に心折れたのか、未だにレイアをからかって遊んでいたカーマイン翁をラウルが呼ぶ。翁は素直に従ってが、


「やれやれ。こんな若い娘さんに舌戦で負けるとは情けないのう」


「返す言葉もございません……」


「冗談じゃよ冗談。お前さんも真面目すぎるのう。このお嬢さんはちょっと手強そうじゃから、お主らは舌戦では多分一生勝てんよ」


「爺も中々言う」


 サラリとオウガも含めて不器用だと評価したカーマイン翁に、シュリが好戦的な笑みを向ける。


「カーマイン司教。そろそろ真面目にやっていただかないと、私も怒りますよ?」


「ほっほ。マリアにまで言われては仕方ないのう」


 疲れ切った空気の中、カーマイン翁がようやく語りだした。




 カーマイン司教が語った昔話は、若かりし日に明け暮れた教会内部の権力闘争と、老年して嫌気が差して争いを降りた結果の好々爺ごっこ、という自嘲的な内容だった。決して争いに敗北したわけではない、と念を押していたが、事情に詳しそうなマリアは微妙な顔で微笑んでいただけなので真相はわからない。


「神に仕えるだけなら司祭くらいが丁度よかったのう。結婚も許されとるし」


 と冗談めかした語り口で振り返った。


「何故、上り詰めようとしたの?」


 金と欲に塗れた凄惨な昔話に興味をそそられたのか、シュリが尋ねた。


「ほっほっほ。神に自身の信仰心、忠誠心を示すのに一番優れた方法だと思ったからじゃったかのう。今となっては、あの頃見下していた普通の司祭や助祭のように、人のためになる何かをした方がよほど示せていたのではないかと思っとるから、あんまりいじめんでくれ」


「カーマイン司教が気にかけてくれたおかげで、私はとても助かりました。あまりご自分を責めないで」


「おお、マリア……。お前は優しいのう」


「そういって抱き着こうとしない! マリアも気を許すな!」


「レイア、厳しすぎますよ? カーマイン司教も孤独に戦ってきた方だから、人恋しくなっているだけですよね?」


「そ、そうじゃな。その通りじゃ」


 マリアの含みの無い純真な微笑みに、カーマイン翁は目を背けながら肯定するしかなかった。


「この女、実は脅威……?」


「シュリ、よくわからないけど口が悪いよ?」


 何故か恐れおののいたシュリを、オウガが窘める。


「そういえばそちらの……シュリ殿だったか。昨日の証人を連れて来た手管は見事だったな」


 レイアが流れを変えるために持ち出したのは、シュリが衛兵を引きずってきた経緯についてだ。オウガを探して遅れながらやってきた獣人娘二人は、彼が騎士たちに捕まったことを深夜にも関わらず騒がしくなった教会関係者から洩れ聞いた。そして機転を利かせたシュリが、衛兵に探りを入れ、詰所の中で仮眠していた男を発見したのだという。


「ありがとう。そういうあなたがレイアで、そっちのいけ好かない銀髪がマリア?」


「ちょっとシュリ! さっきから失礼だよ」


 オウガの叱責も、シュリはどこ吹く風という澄ました表情でマリアをねめつける。一方でマリアも、複雑そうな表情でオウガが侍らす獣人娘二人を見つめている。


「っくっく。言われているぞ、マリア。そう睨んでやるな」


「睨んでなんてないです! そんなつもりじゃ……」


 そうは言いつつ顔反らして、両手で引き攣った筋肉をほぐすように揉みしだくような仕草をするマリア。


「こいつのことは気にしないでやってくれ。オウガと出会ってからこっち、自分の思うようにいかないから戸惑ってるんだ。良い勉強さ」


「はぁ。そうですか……」


「さて、では折角だから改めて自己紹介させてもらおうかな。王国騎士のレイア・アロンドだ」


「家名持ち……貴族?」


 レイアの改まった名乗りに、シュリは眉を顰め、ミライはぴくりと身をすくませた。オウガはその頭を優しく撫でてやり、


「大丈夫だよ、良い人だから」


 と慰めた。


「一応は貴族だが、戦いで武功を立てた成り上がりの家計さ。そちらのラウルも似たような物だ」


 水を向けられると、ラウルも軽く微笑んで首肯した。 


「領地も無ければ偉そうに振る舞える領民もいない。いつ平民になってもおかしくない身分だ。あまり気にしないでくれ」


「わかった」


 サバサバとした様子のレイアを気に入ったのか、シュリがあっさりと頷いた。


「ちなみに昨日のバカ騎士も貴族だが、あっちは領主の血筋だな。もし町で出会ったら犬にでも噛まれたと思ってくれ」


「出会っただけでヒドイ言い草だね……」


「話せば何かしら不愉快な気分になるからな。出会った時点で手遅れだ」


 何かを思い出したのか、苦々しい顔をしかめるレイア。


「そんなに嫌な目に?」


「うん、まぁなんだその、色々とな……」


「レイアは彼に求婚されてるんだ」


「ラウル!?」


「まあ!? そうなのレイア!? 教えてくれればいいのに……」


「あ、あんなもの求婚だなどと認められるか!? 『胸は小さいが顔は良いな。俺の女になれ』だぞ!?」


「うわー……」


 ラウルが口にしたことはマリアも知らなかったようで、水臭い、と拗ねた様子を見せた。そこで暴露された騎士ディメスのあまりの言葉に、一同言葉を失ってしまった。


「それで断ったの?」


「勿論。返事はコレだ」


 レイアが握りしめた拳を持ち上げて鼻で笑う。その陰で、ラウルが額を押さえて「あの後は大変だった……」と小さく呟いた。


「シュリも他人事じゃないぞ。昨日会ったので目を付けられた可能性は十分にある」


「わかった。場合によっては、握りつぶす」


 シュリが虚空で何かを掴む動作をしながら、にやりと笑った。ここまで若者のやりとりを黙って微笑ましそうに聞いていたカーマイン翁が、何故かびくりと身をすくませる。


「マリアは大丈夫なの?」


「教会と揉めることは嫌みたいでマリアと一緒にいると絡んでこないんだ」


 むしろ好みで言えばど真ん中だろ、とレイアとシュリがマリアの身体に視線を向ける。きょとんと首を傾げる彼女の胸元は、体型の分かりづらい黒い修道服を押し上げているのが見て取れる程に豊満だ。


「やはり、敵……」


「な、何で睨むんです!?」


「っほっほっほ。仲が良いのはよいことじゃが、そろそろ本題に戻るかのう」


「本題?」


「忘れてました! シュリさん、治療しますよ!」


「え?」


 治療となると穏やかな雰囲気が一転、真顔になったマリアに、シュリはからかうことも忘れて戸惑う。


 ソファーに座るシュリの足元に膝をつき、足首まで隠す長いスカートに手をかける。


「ちょっと待って!?」


「どうかしたの?」


「お兄ちゃん、ちょっとごめんね?」


 慌ててスカートを押さえたシュリが頬を赤らめてチラリと横のオウガを見た。オウガは思い至らないようで、察したミライに目を隠された。


「カーマイン司教、ご自分で後ろを向くのと私に目を潰されるのと、どちらがいいですか?」


「お主本当に容赦ないのう……」


 危険人物にはレイアという見張りが付き、ラウルは自主的に顔を背けていた。男たちが全員見てないことを確認した後、ようやくシュリは自らスカートをめくりあげた。


「ヒドイ……でも、これは……」


「どうかした?」


「いえ……治療を始めますね」


 無残に切り刻まれた傷跡を目にしたマリアは何故か戸惑いに似た声を上げたが、すぐに手をかざして意識を集中させ、暖かな光が溢れ出した。


「ん……ムズムズするけど、暖かい……」


「ふぅ。終わりましたけど……」


「ん。痛くない。ありがとう。……何かあった?」


「いえ、獣人さんだからでしょうか。治るのが早かったので驚いてしまって」


 綺麗に傷跡まで無くなったことを確認して、珍しく嬉しそうにはしゃぐシュリが、腑に落ちないという表情のマリアに尋ねた。マリアの言葉に、そういえばアランも言っていたな、とオウガは師のことを思い出して、わずかに郷愁の寂しさを感じた。


「ほっほっほ。ちゃんと怪我は治ったようじゃな」


「じいさん?」


 レイアの見張りから解き放たれたカーマイン翁の笑顔とは裏腹の鋭い視線に、オウガは警戒心を露わにする。


「なに、そう構えるでない。治療のお礼として、ちょっとばかりお願いをしたいだけじゃよ」


「お願い?」


「カーマイン司教、やはりオウガさんたちに迷惑は……」


「いやいや、きっと快く引き受けてくれるさ」


 お願いの内容をすでに知っているのか、気乗りしなさそうなマリアを、カーマイン翁が宥める。


「お願いと言うのはな、マリアの旅の護衛をして欲しいのじゃ」




いつも応援ありがとうございます。


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