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オオカミノ国  作者: 十乃字
二章・出会いと別れ
15/81

15.神に祈る者



 オウガが闇夜に紛れて礼拝堂に忍び込むと、そこにはマリアどころか暗殺者の影もなく、無人の暗闇に蝋燭の灯りが揺れているだけであった。


(間に合ったってことかな。しかし鍵もしないで随分不用心だな……)


 不気味な雰囲気に気圧されながら、暗い室内を探索していく。


 礼拝堂は広々とした開放的な作りで、隠れることができそうなのは並べられた長椅子の影くらいと、こっそりと身を潜めて待ち構えるのには不向きな場所だった。


 どうしたものか、と思案するオウガは、広い礼拝堂の奥にたどり着き、正面の壁のような物を見上げ――


「っ!?」


(危ない、声が出るとこだった。しかしでっかい石像だなぁ)


 人々の寝静まる夜間であっても、突然の来訪者に備えてその荘厳な威容を誇る様に照らされた巨大なサンドルク神像。信仰者ではないオウガにとってはそれが誰であるかは関係ないが、暗闇に浮かび上がる巨像は、それだけで迫力のあるものだった。と、


(お?)

 

 それを見つけることができたのは、鍛えられた感の鋭さか、巨像を敬う気持ちがないからか。オウガは一際明るく照らされた石像の裏側に隙間を見つけ、そこが何処よりも暗く漆黒の影が落ちていることに気づいた。


(お邪魔しますよっと)


 石像の台座に上り、その陰に潜み、石像にもたれ込むように一休み。熱心な信仰者が見れば発狂しかねない無礼な行いを、もちろん当の本人は気にしていない。


(潜んでみたけど、礼拝堂ってここ以外にないよね……? ああしまったな。マリアかレイアを探すことを優先するべきだったかな……)


 考えていたのは出会ったばかりの友人たちのこと。マリアはまだ無事なのだろうか。レイアは、あの少し抜けたところのある真面目な騎士はどうしているだろうか。


 待つことしかできない状況で、じれったい思いだけがオウガの中をぐるぐると回る。


 だがその時間は長くは続かなかった。


 ギギギと軋みを上げて、正面の扉がわずかに開かれた。礼拝堂内を窺い、無人であることを確認してようやく入ってきた人影は二つ。一人はレイアと同じような意匠の鎧を着た騎士の男、そしてもう一人は――


(獣人!?)


 予想外の存在にオウガは思わず目を見開いた。ボロ布のような汚れた外套を纏うみすぼらしい姿の男。ボサボサ髪の頭から獣耳が覗いている。


 騎士の男が胸を張って堂々と歩んでいるのに対して、獣人の男はきょろきょろと辺りを窺いながら恐る恐る騎士の後を追い、長椅子の間を抜け、オウガの潜む石像の前で立ち止った。



(気づかれた?)


 オウガは息を潜めて身構えたが、二人は彼に気づいた様子はなく、


「ここにいろ。聖女を連れてくる」


 騎士が獣人に囁くと、腰元から取り出した短剣で、獣人の腹を鋭く突いた。


「ぐっ!?」


「せいぜい上手くやれよ」


 静かに崩れ落ちた獣人の上に短剣を投げ捨て、侮蔑の言葉を残して騎士が礼拝堂を後にする。獣人は震える手でナイフを外套の中に隠すと、力なく座り込んだ。


 揺れる灯りで垣間見えたその表情は、疲労と苦痛に歪み、老け込んでいた。


(あいつらは一体何を?)


 血と脂汗を流しながら腹部を押さえて言葉もなく苦しむ獣人を不思議に思っていると、すぐに答えは訪れた。


 またしても軋みを上げて開いた扉から入ってきたのは、修道服の女性と二人の騎士。騎士の片方は先ほど獣人を刺した男だ。


(マリア……なのか?)


 遠目には黒いベールで顔を隠された修道女の正体を確信するには至らず、オウガはいつでも飛び出せるように身構えるに止めた。


「大丈夫ですか? 今、治療します!?」


(マリアだ。間違いない!)


 負傷した獣人に気づいた修道女が駆け寄る。その声と様子にようやく確信し、飛び出していこうとしたところで――奇跡に心を奪われた。


 マリアは神への祈りを捧げると、温厚な彼女には似合わない強い口調で獣人を戒めた。そして――


(これが、神の奇跡……)


 マリアのかざした右手から陽光のような暖かな光が溢れ、石像の影に隠れていたオウガをも一瞬わずかにだが照らし出してしまった。見られたか、と慌てて警戒するが、マリアの背後で控える騎士二人も奇跡の光に目を取られているのか、隠れているオウガに気づいた様子は無い。


 光が収まると、力なく崩れ落ちていた獣人が起き上がり、恐る恐る傷跡に触れている。その驚きようから、疑う余地なく傷が治ったことが伝わってくる。


(すごいな。本当に治ってる……ん?)


 傷跡を確認していた獣人の手が、外套の中に戻される。そこにあるはずの物は――


「危ない!」


 考える間もなく、オウガは飛び出していた。マリアと獣人の男、その間に一跳びで割って入りその身を盾に彼女を守る。


「オウガさん……?」


「っ!?」


 マリアの戸惑いの声に、獣人の驚愕の表情。聖女に突き立てられるはずだった短剣は、オウガの左腕を掠めただけだった。袖にスッパリと切れ目が走り、赤い血がにじむ。オウガはそれを気にしない口調でマリアに笑いかけた。


「こんばんは、マリア。お話はもうちょっと後でね」


「でも、血が!?」


「舐めとけば治るよ」


 口ではそう言いながら、オウガは傷を気にも留めず、正面の獣人と背後で控えている騎士二人の動向に注意を向けた。


 不意打ちを突然の乱入者に阻止された獣人はもとより、本来なら聖女を守るべき役目を負っているはずの騎士も、予定外の第三者の登場に遠巻きに戸惑うばかりで参戦してくる様子を見せない。


(マリアと一緒に来た騎士もグルなのか? 後ろからちょっかいかけられる前に獣人をどうにかしたいな)


「あなたはイヌ族ですか? なぜこんなことを?」


「ッシ!」


 オウガの問いに獣人の男は答えず、短剣を振るう。がむしゃらに振りまわされただけのそれを、オウガは剣を抜いて難なく受け流すと、問い掛けを続けた。


 しかし男からの返事はなく、短剣と長剣が甲高く打ち鳴らされるたびに、マリアが身をすくめて小さく悲鳴を上げる。


「これでどうだ!?」


 気が急いたオウガが突き出された短剣を弾き飛ばし、獣人を拘束しようとした。しかし獣人は短剣を手放しても怯まず、無手でなお踏み出した。


「な!?」


 驚いて一歩引いてしまったオウガが、思わず構えた長剣に、獣人は自らぶつかるように突き刺さった。


「くそ! どうしてあんたは!?」


 不運にも腹部に深々と長剣が突き刺さり、先ほどの演技とは比べものにならない程の出血は、致命傷であることが一目でわかった。


 なぜ聖女の暗殺をしようとしたのか。なぜ止まれなかったのか。いくつもの疑問がオウガの頭に浮かんだ。


「おれは……かえり……たかった……」


 オウガにもたれ掛かるようにして、獣人の男は息も絶え絶えに呟いた。そして自身の血溜まりに崩れ落ちると、それきり動くことはなかった。


 外套の下には痩せ細った身体。そして首には何かを長期間付けていたような跡。


「奴隷、だったのか……」


 帰りたい場所。ミライのように子供の頃から人間の領域にいたのか、それとも――。


 物言わぬ骸を前に立ち呆けるオウガに、マリアが駆け寄る。


「オウガさん! 私のせいで怪我を……」


「大した怪我じゃないし、マリアが怪我しなくてよかったよ」


「そんな……もう!」


 オウガの真心からの言葉に、マリアは頬を朱に染めて恥らったが、 彼の腕から血が流れ落ちるのを見てすぐに気を取りなおした。


「治療しますから動かないで!」


 オウガの腕を取り、有無を言わさずに癒しの輝きを放ち始めるマリア。オウガは苦笑しながら、傷の疼きと痛みが引くのを感じる。


「これが奇跡か。本当にすごいね」


「ふふ、大怪我も治せるんですよ……」


 お世辞ではないオウガの褒め言葉に誇らし気に応えたマリアだったが、足元に崩れ落ちる亡骸に目をやると表情を暗くし、とんっとオウガの肩にもたれかかった。


「マリア?」


「ごめんなさい……、少し力を使い過ぎました。少し休めば……すぐに……」


 言葉が途切れると、スースーと寝息が聞こえ始める。オウガは微苦笑を浮かべて抱き上げると、獣人の亡骸から離れた長椅子にマリアを寝かせた。


 そして、傍観していた二人の騎士に視線を向けた。


「いやはや、素晴らしい働きだったね。冒険者かな? そちらの女性を置いて帰ってくれていいよ。後は私たちがやっておこう」


 獣人を連れて来た騎士――グレイブが、わざとらしい大げさな身振りで退場を促す。


「もちろん断るよ。あんたがそこの……獣人を連れてくるのを見ていたから」


「獣人を掃除しに来てくれたのかと思ったが、違ったか」


 長剣の切っ先を向けながら、告げる。オウガの拒絶を予想していたのか、戸惑う様子も見せずに騎士二人も剣を抜いた。


「そっちのあんたもお仲間なの?」


 オウガが水を向けたのはマリアと共に来た騎士――リーベルだ。聖女が獣人に襲われても動かなかったことから怪しくはあったが、呼応して剣をオウガに向けたことで、問いながらも確信を持っていた。


「何で聖女を殺す? あんたたちも教会の人間だろ?」


「神の御意思だ」


「あんたらが神様から命令を貰ってるようには見えないね」


「ぬかせ!」


 グレイブが斬りかかる。オウガは様子見といった一撃を楽にいなす。そこで感じたのは妙な既視感だった。


(あれ?)


「こいつやはり早い!? 二人でかかるぞ!」


「致し方あるまい。小僧、恨むなら己の不道徳を恨むがよい」


 涼やかに長剣を振るうオウガを格上と認めたのか、グレイブがリーベルに援護を求める。二人は呼吸を合わせて交互に、または同時に斬りかかるが、そのことごとくをオウガに躱されてしまう。


 そしてオウガは、既視感の理由に思い至る。


(こいつらアランの剣技に似てる……でも何か……下手、だな)


 オウガの師、アランが使いこなす剣技を完成形と呼ぶのなら、彼らの使う剣技はその足元にも及ばない、ただの猿真似のようだ、とオウガは感じた。


(アランは兵士から剣技を習ったって言ってたっけ。流派が一緒なのかな)


 型通りに振るわれるだけの剣は既に眼中になく、オウガは流水のように振り下ろされた剣を避け、グレイブの隙だらけの胴体を斬りはらった。


「なっ!? か、神の使徒たる教会騎士に手を上げるなど!」


「俺はマリアは信じるけど神様は信じてないから。マリアを殺すってんならその神様だって敵だよ」


 仲間があっさりと切り捨てられたことに動揺するリーベルに、オウガは容赦なく切っ先を向ける。


「くそっ!?」


 ふらりと近寄ったオウガに、剣を振るおうと振り上げた手を抑えられ、何の抵抗もできないまま、腹を刺し貫かれた。


「この……不届き……者め……」


 呪詛の声を残し、動かなくなる騎士。オウガは軽く息を吐いて剣を納めてマリアの様子を伺う。


 すやすやと気持ちよさそうに眠る聖女の姿に、ようやく肩の力が抜ける。と、バタバタと騒がしく走り回る足音聞こえてくる。


「この足音の中にレイアがいるといいなぁ」


 呟きが虚空に消えていく。




 長い夜はまだ終わらないようだ。



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