14.教会の聖女
心情描写を括弧に変更しました。統一するために過去投稿分も修正します。
「マリア助祭。教会騎士のグレイブです。カーマイン司教がお呼びです」
「このような時間にですか?」
「重傷者が運び込まれ、至急治療が必要とのことです」
「……わかりました。すぐに向かいます!」
一日が終わり、後は夜の祈りを終えれば寝に入るだけどいう深夜の来客に、マリアは戸惑いを隠せなかった。しかし、続く言葉に、疑問を挟む必要がなくなった。
奇跡の行使にはその力の強弱に応じて精神を消耗させる。上役たちがマリアの奇跡による治療に制限を設けるのは、こういった緊急事態に対処させる余力を残すという建前だ。
実際に急患だと連れてこられたのは、金払いのよさそうな貴族や豪商の関係者ばかりで、本当の重傷者もいればただの食べ過ぎだった、ということもあるのだが。
それでも苦しむ患者であることに変わりはない、と慌てて飛び出そうとしたマリアだったが、はたと思い直して自身の恰好を見下ろした。ベッドに入るために着ていた薄い肌着のようなパジャマでは、教会内とはいえ、人前に出るなどという真似はできない。マリアは頬を朱に染めて逡巡し、いつもの黒い修道服を一息に頭から被り袖を通すと、パンパンと上から払いてゴワゴワとした違和感を拭い、顔を隠すための黒のベールの付いた神官帽を被った。
身支度を終えたところで、よしっと一息。
「お待たせしました。グレイブさん。リーベルさんも、すいませんがお願いします」
「いえ、これも任された仕事ですので」
身だしなみを整えたマリアが私室を出ると、彼女を迎えに来たグレイブと今夜の護衛担当の教会騎士のリーベルが直立不動で待機していた。
騎士二人はレイアと同じ王国騎士からの出向ではあるが、信仰に目覚めて出向期間終了後に王国に戻ることを拒否し、非公式ながら教会に所属しているという立場の者たちだ。そのため、マリアに年齢の近いレイアに対して、二人はすでに壮年とも呼べる年齢に達している。
普段であれば、そんな親子のような年齢差の大人に付き従われるということに未だに戸惑いを感じるマリアだったが、今夜はそのことを気にする暇もなく、差し出された燭台を手に、暗い廊下を歩み始めた。
「患者の方はどちらに?」
「担ぎ込まれた礼拝堂に寝かせてあります。今夜は誰もいませんでしたので」
「……そうですか。では急ぎましょう」
怪我人を広間に放置しているとも取れる言葉に違和感を覚えながら、マリアは足を速めた。
アマースト教会は大司教を筆頭に司教が3人、司祭がそこそ、助祭や下男下女はさらに大人数、とかなりの大所帯で、宿舎などの関連施設がいくつも併設された巨大建造物であり、礼拝堂だけは夜間も開放されている。
といって夜間にわざわざ礼拝する物好きはいないので、基本的には無人か、稀に貧乏な冒険者や旅人が宿代わりに寝転がるくらいだ。もっとも、スラムの浮浪者などが住み込まないように衛兵が巡回に来るので、居心地が悪いのかあまり宿としても人気がない。
(いつもなら来客用の部屋をあてがっていたのに、どうして礼拝堂に?)
そんなマリアの疑問は礼拝堂に足を踏み入れて解けた。そして新たな疑問が湧き上がったのだった。
「え……、獣人さん? 本当にカーマイン司教が……? ってそんなの後!」
光が降り注ぐ幻想的に演出された日中とは一転、暗闇に蝋燭の灯りが揺れる寒々しい礼拝堂の奥、サンドルク神を模した巨大な石像を前に赤黒い血溜まりの中で倒れている男の後ろ姿に、アリアは動揺した。
ボサボサの髪からは力なく項垂れた獣耳が覗き、全身を覆うボロ布のような外套の下からも獣の尻尾がはみ出している。
原則として人間主義の教会にいるはずのない獣人の事情に興味を引かれながらも、雑念を追い払って駆け寄る。
「大丈夫ですか? 今治療を始めますね!?」
肩に手を回して身体を支えながらのマリアの問い掛けに、男は力なくうめき声を上げた。出血量は多いが、顔はまだ血色がよく、辛うじて余裕がありそうだ。
「我ら人を見守るサンドルク神よ。どうかあなたの子に力をお貸しください」
神への祈りを捧げ、一呼吸おいて奇跡と呼ばれる力の行使をイメージする。実は奇跡による治療に祈りは必要では無く、マリアを含む神の子たちは、神に祈ることで奇跡の効力が上がるのだと教えられていた。
邪魔な衣服を切り開き、傷口を露出させる。腹部に刻まれた深く大き目の刺傷は、尖った物が刺さったか、もしくは刃物で刺されたのか。
マリアはわずかに刺傷の原因にも気を取られながら、両手を傷口にかざす。
「治療をします。違和感があると思いますが、絶対に動かないでくださいね」
苦しそうに呼吸を荒げる獣人の男に声をかけ、マリアは奇跡を行使する。
傷口の無い綺麗な身体をイメージし、治れ、戻れと真摯に願う。傷口が内側から盛り上がり、止血され、穴が埋まり、新たな皮膚が生成される様子を強く鮮明に思い描く。
その想像がより鮮明あればあるほど、願い強ければ強いほど、奇跡の効力は高まりどんな怪我も病も治すことができるようになる。
マリアのかざした手から暖かな陽光のような輝きがあふれ出し、それに照らされた傷口が彼女の想像した過程が投影されているかのように癒えていく。
「っうぅ……」
「動かないで。傷口が変なくっつき方しますよ」
身体の内側から肉が蠢き生えてくる不快感に男が思わず呻くが、それをマリアは普段の人当たりの良い彼女らしくない強い言葉に脅しまで加えて制した。
濃い黒のベールに隠された彼女の表情は、日中にレイアやオウガと談笑していた年相応の少女の物ではなく、幾人もの重傷者を治療してきた聖女と呼ばれる物の顔となっていた。
「ふぅ……傷は治りました。気分はいかがですか?」
真新しい周りと色の違う皮膚が傷口を覆ったところでマリアは張り詰めていた息を吐き出し、獣人の男の様子を窺った。
男は恐る恐る傷跡に触れ、痛みが無いことを確認すると目を見開いた。
「本当に治っている……。あなたが、聖女なのか?」
確認をするように男がいう。
「え、ええ。そう言われてるみたいです」
マリアは濃いベールの奥で苦笑を浮かべながら答える。
「そうか……。ほんとうにすまねぇ」
男から表情が消えた。
「え? それはどういう――」
豹変した男の様子に訝しみ、何事か聞き出そうとしたマリア。そんな彼女に向かって、男の右手が素早く動き、血に濡れたナイフが閃いた。
「危ない!」
何処からともなく、獣人の男とマリアの間に割って入った男の後ろ姿。マリアはその黒髪、その声に覚えがあった。
「オウガさん……?」
ポタリと、滴の垂れる音がした。
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