13.聖女様が見てる
「大丈夫ですか? 立てますか?」
「マリア! そのような得体の知れない男に近寄らないでくれ!」
「でもレイア! 教会の中にいらっしゃるということは、この方も信徒なのでは?」
「うっ。確かにそうだが……」
オウガに駆け寄ろうとしたマリアと呼ばれた銀髪の娘を止め、彼との間に割って入ったのは、町の衛兵とは違う美麗な鎧に身を包み、整った柳眉を釣り上げた金髪の若い女騎士だった。
「ええい! 貴様どうなんだ!? 不審者か!? 不審者なのか!?」
「え!? い、いや、俺は……」
「どもるとは怪しい! 吐け! 吐くのだ!」
「レイア!? そんな問い詰め方がありますか! 降ろしてあげてください!」
レイアと呼ばれた女騎士はオウガの胸倉を掴み激しく揺さぶり問い詰めた。流石に見かねたのか、穏やかそうなマリアが声を荒げて制止する。
なおも猛るレイアを押し止め、謝罪したマリアは、目の前の男が濡れていることに気づいた。
「大変!? このままだと風邪をひいてしまいます。どうしましょう。とりあえず、お部屋に――」
「見ず知らずの殿方を部屋に連れ込むんじゃない! 面談室で十分だ!」
わたわたと慌てるマリアと未だに困惑しているオウガの手を取り、女騎士レイアが空室の面談室を探して飛び込んだ。
「ふふっ、失礼いたしました。こちらをどうぞ」
「ありがとう……ございます」
「いえいえ、当然のことです。一体何があったんですか?」
「…………実は――」
自室に異性を連れ込もうとした失態は気にしていないのか、穏やかに笑うマリアはどこからか布巾を取り出して、オウガに差し出した。素直に受け取ったオウガも平静を取り戻し、連れの獣人が怪我を負っていること、助祭の言動が許せなかったことを伝えた。
「――という感じで部屋を追い出されたんです」
話を聞き終えた二人は、何とも居心地の悪そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あの……オウガさん。不運な出会いがありましたが、サンドルク教会は人間主義者ばかりではありませんから! 私はもちろん、レイアだって、そうよね?」
「あ、ああ。そうだな。獣人だからどうこう、というのはないぞ……多分」
「もう! レイア!?」
「しょ、しょうがないじゃないか! 私は今まで獣人と話したことがないんだから!」
歯切れの悪いレイアに、マリアは思わず叱り付けたのだが、そんな彼女の開き直った返答に、
「そう言われると……私も獣人さんと触れ合ったことはありませんが……」
と語尾を濁らせた。そこに自分の優勢を感じたのか、女騎士が畳みかける。
「そうだろう! しかも、私は王国からの出向なので、サンドルク教会の教義とは無関係だ! 教義の責任は教会で取るべきだ!」
「うぅ……そこまで言わなくてもいいじゃない……」
どうだ、とばかりに勝ち誇ったレイアだったが、オウガの冷めた目としょんぼりとしてしまったマリアを見てすぐに己の間違いに気付き、平謝りする。
しばらくツンと臍を曲げてしまったマリアだったが、凛々しい女騎士の低姿勢な謝罪に、親しさからか生来の根明なのか、すぐにすました顔を崩し、逆に己の失態にへこんでしまったレイアを慰め始めた。
そんな二人の愉快なやりとりを眺めているうちに、オウガの陰鬱とした気分もどこかへ吹き飛んでいた。
「……っく。っははは。大丈夫だよ。二人なら、きっと獣人と仲良くなれるよ」
(獣人である自分は君たちを気に入ったから)
伝えることのできない言葉を飲み込み、穏やかに笑いかける。
気の抜けたやりとりを見られていたことを思い出し、マリアは照れ笑いを浮かべ、レイアは視線をそらして取り澄ましたが、気恥ずかしさから頬が朱色に染まっていた。
「……ゴホン。しかしお前もついてないな。相談を持ち掛けたのがあのレイモンド助祭とは」
咳払いを一つして、女騎士が話題に上げたのは問題の助祭のことだった。
「あのっていうほど有名なの?」
「ああ……悪い意味でな」
何か思い出したのか、端正な顔を苦々しく歪ませ、隣でマリアも、複雑そうに苦笑いを浮かべている。
「何でそんな人を野放しに?」
「ううむ……何というべきか、その……神への奉仕人としては至って優良なのだそうだ、あれでもな」
「はぁ……?」
「寄付を募って、教会の発展に寄与することも一応必要なことではありますので……」
遠まわしな言葉で表現しようとしたレイアを補足しようとしたのか、言いにくそうに言葉を濁すマリア。
「教会としてはむしろあいつは良い仕事っぷりってこと?」
「いえ! 決して、そんなことは……」
「中にはそう評価するのもいるな。しかも偉いやつが」
「レイア!?」
もう少し言葉を選んで、と憤るマリアに、肩をすくめてみせる。
「残念ながら事実だろ。王宮だろうと教会だろうと、金が集まるところは腐敗するものなのさ」
「うぅ……そうだけど。……オウガさん、本当にごめんなさい!」
マリアが突然深々と頭を下げる。
「急にどうしたの? 別にマリアさんが悪いわけじゃないでしょう?」
「それが……」
「このアマーストの教会でレイモンド助祭に迷惑かけられたとなると、実は無関係とも言えないのさ」
「それはどういう意味?」
青白い顔で俯いてしまったマリアに代わり、レイアが語り始めた。
「実はこちらのマリアお嬢さんは彼と同じ助祭なんだ」
「え……、あいつと同じ?」
レイアのその一言で、オウガと当の本人であるマリアまで嫌そうに顔をしかめた。それがおかしかったのか、レイアは思わず吹き出してしまい、慌てて居住まいを正した。
「っふふ。まぁそう言ってやるな。助祭ってのは教会内部では下っ端のことでな。若者はほとんど全員助祭なのさ。普通はな」
「普通の若者……レイモンドは結構なおっさん?」
オウガの口から零れた疑問に、レイアは耐えきれず腹を抱えて笑いだしてしまった。横でマリアも、俯いたままだが肩を小刻みに震わせ、笑いを堪えているようだ。
「はははっ、おっさんか……。アレでも二十半ばらしいからな。おっさんは勘弁してやってくれ」
「二十……老けてるね」
「ぶっ」
耐えきれなくなったのか、娘二人揃って顔を反らして肩を震わせ始めた。
「落ち着いた?」
「ゴホン。たいへん失礼しました」
しばらくの無言の時間が過ぎ、二人が何とか正面を向き直した所にオウガが声をかけた。マリアが軽く頭を下げ、レイアは顔色の悪かった彼女に生気が戻っているのに気づいてほっと一息吐いた。
「悪かった。それで、ちょっとだけ出世の遅れてるレイモンド助祭なんだが――」
レイアの視線がマリアに向く。オウガも釣られて視線を向けると、彼女の背筋はピンと張り詰めた。
「その一方で、こちらのマリアは早々に司祭への昇格が決まったんだ」
「若いのに? すごいね」
「若いのに。すごいだろ?」
「もう、二人とも!? からかわないでください!」
お道化た調子の言い方に、マリアが可愛らしく怒って見せる。
「つまりマリアさんの出世を妬んで、手柄を焦ってるわけか」
「うむ。そういうことだ」
「ところで、そんなに早く出世したマリアさんの手柄って何かあるの?」
「む。それは……」
オウガの疑問に、言いよどんだレイアの泳いだ視線の先で、マリアが一つ頷く。いいのか、という問いにも微笑んで首肯し、自ら切り出した。
「私の手柄、それは……その……あの……色んな人を……」
「色んな人を?」
「色んな人を……その……色々と……」
「マリアの手柄とは、人々の治療だ。マリアこそが、噂の聖女なのだ!」
「な!? マリアさんが聖女!?」
「そう、聖女だ!」
「もう二人とも! 聖女聖女って連呼しないで!」
自分のことのように誇らしそうに胸を張るレイアをポカポカと叩きながら、顔を真っ赤に染め上げるマリア。
「どうして?」
「どうしてって……その……恥ずかしいから……」
「治療された者が勝手に呼び始めただけで、マリアが名乗ったことは一度も無いからな」
「そうなのか」
「しかも、マリアの安全のために治療中は顔を隠して謎の助祭なわけだ」
「ああ、それで聖女なんてあだ名が付いたわけか。道理で……」
「何が言いたいんですか?」
得心が言った、と頷くオウガに、何やら不穏な空気を漂わせてマリアが詰め寄る。
「いや……」
「聖女って崇められる割には幼いだろう?」
「うん。俺より年下とは思ってなかった」
「っ!? しょうがないじゃないですか!? みなさんが勝手に呼ぶんですから!? 私だって好きで呼ばれてるわけじゃありません!」
肩をいからせて憤るマリアを、慌ててオウガがなだめる。
「いや、うん! 噂の聖女様より、目の前のマリアの方が俺は好きだよ!」
「っふぇ!?」
予想外の言葉に、固まる聖女。それを見てニヤニヤと笑う女騎士。
「……オウガ。君って意外とタラシなのか?」
「へ?」
「そんな、好きだなんて……名前まで……」
「ん? ああ、ごめん! マリアさん」
「え? あ……その……」
慌てて訂正され、どこか残念な様子のマリア。それを見てさらに笑みを深めたレイアが、
「私は呼び捨てでも構わないからな。こちらは既に呼んでいることだし」
「そうか。よろしくね、レイア」
「ああ。よろしくオウガ。――で?」
レイアがちらりとマリアを見やる。顔を真っ赤にしてあわあわとうろたえていた彼女だったが、それとなく友人に背中を押され、覚悟を決めた。
「わ、私も! よ、呼び捨てが……いいです……」
消え入るような声で、言いきった。
「うん。マリア。よろしくね?」
「はい! オウガ…………さん」
私はまだ無理です! と顔を覆って隠れてしまったマリアにやれやれと肩をすくめ、残された二人はおかしそうに笑った。
◇
獣人の青年の新たな友人は、聖女の奇跡の割り込み予約という望外の願いまで叶えてしまった。
当初は無償での割り込みを提案され、拒否していたオウガだったが、
「聖女本人がいいと言ってるんだから、いいんです!」
と真っ赤な顔で詰め寄られ、頷かされてしまった。隣で笑ってた護衛の女騎士は、
「多少のわがままくらいは許されるから、大丈夫だよ。気にしないで――いや、君はちょっと気にするぐらいで丁度いいか」
と微妙な弁護を送った。
「ふふっ、良い人たちだったな」
予約を入れてくるのでまた後日お会いしましょう、と聖女と護衛の二人と分かれ、広い教会の回廊を歩きながら、オウガは訪れた当初とは一転しての善良な人間たちとの邂逅を思い出していた。
そんな上機嫌な彼が思わず歩みを止めたのは、『聖女』『死んでもらう』という不穏な言葉が聞こえたためだ。
無人の回廊の片隅で、オウガは息を潜めて不穏な言葉の主を探った。
『では、今夜決行を。下手人の準備を忘れぬように頼みますぞ』
『そちらこそ。必ず聖女を礼拝堂に連れ出してくださいませ』
どこかで行われた密談は終わったが、誰かが廊下に出てくる様子はない。
(くそ。こいつらどこにいるんだ!?)
暗躍する何者かの存在を知ることはできたものの、ここでオウガの狼獣人としての優れた聴力の致命的な欠点が露呈した。
幼少時に狼耳を切り落とされて以降、聴力の低下はほとんどなかったものの、方向感覚が鈍り、強弱でしか聞き分けることができなくなっていたのだ。これは師であるアランにも指摘され、聴力に優れた狼獣人でありながら、それに頼らない生き方を叩きこまれてきた。
師のおかげで日常生活では不自由しないほどの立ち回りを得ていたが、暗殺という不穏な言葉を聞き取れたのは偶然で、それが広い教会のどこで行われている密談なのかを判断することはできなかった。
せめてマリアかレイアに伝えなければ、と二人を探しに走り出そうとした時、がちゃりと扉が開かれた。まさか、と思い振り向いたその先にいたのは――
「……うへぇ」
「な!? あなたは!? まだいたのですか!?」
現れたのは強欲助祭レイモンドであった。目が合った二人は同じように顔を歪ませたが、オウガは我に返って早口に捲くし立てた。
「レイモンド助祭、聞いてください! 今大変な話を――」
「衛兵!? 衛兵は何をしてるのですか!? 教会内に背信者がいます! えいへーい!」
「なっ!? 話を聞いてくださいよ!」
「聞く耳なぞ無用です!」
大騒ぎの怒鳴り合いに、何処からともなく人が集まってきた。ただその中に聖女と女騎士というオウガの信頼できる人物はおらず、代わりに騎士ではない兵士の男がオウガの腕を取った。
「何かよくわからんが、とりあえず君は外に出なさい」
「でも!?」
「あっちは教会の人で君は部外者だろ? すまんが俺も教会の人には逆らえないんだよ」
申し訳なさそうに謝罪する兵士にそれ以上抵抗することができず、オウガは引きずられるままに外に放り出された。
「その背信者を絶対通してはなりませんよ! 絶対です!」
レイモンドはオウガが敷地外に出たことを確認し、兵士にそう言い残して去っていった。
「兵士さん、ここを通してください! マリア――聖女様が危ないんです!」
「あー、おたくもそういう口か? 色々理由付けて聖女様に会おうとする奴が多いんだよなぁ」
「な!? 俺は違います! 彼女の友人です!」
「友人でも絶対通すなって言われてるとな。俺が門番じゃない時にでも来てこっそり入ってくれよ。それなら命令違反だ何だと揉めないから」
「そんな……」
「ほら、邪魔だから行った行った」
邪険に追い払われ、オウガは路上で呆然と立ち尽くしてしまった。
◇
「ふーん。そんなことがあったんだ」
「ふーんって。それだけ?」
「私たち二人を部屋に閉じ込めて、オウガが人間の女二人ときゃっきゃうふふしてた話に他に何を言えば?」
「きゃっきゃうふふとかしてないし、閉じ込めたつもりもないよ!?」
場所が変わって高級宿の一室。
聖女との出会いと盗み聞きした暗殺計画について説明したオウガに返されたのは、シュリの冷たい視線だった。つられてよくわかっていないミライも冷めた目でオウガを責める。
「ふぅ。それで、オウガはどうしたいの?」
聖女や女騎士について楽しそうに語っていた自覚のないオウガは二人からの責める視線にしきりに首を捻り、呆れたシュリが諦めて話を進めることにした。
「……マリアを助ける」
「それは、私の傷を治してくれる聖女だから?」
「いや、友達だからだよ」
「そう……好きにすれば? 足手まといは部屋で大人しくしているから」
「シュリ……」
「お姉ちゃん……」
不機嫌そうなシュリは、そんな自分を不安そうに見つめるミライを抱き寄せ、そっぽを向いてしまった。
「ごめん、でも俺は行くから!」
「……それがきっと正解。親方様たちも、きっと今のオウガを誇りに思うよ」
「シュリ……」
「でもそれとこれとは話は別。非常に不愉快なのでさっさとどっか行って」
腕の中でもがくネコ少女を撫でまわしながら、やはり不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「シュリぃ……」
「情けない声出さない。さっさと聖女でも何でもいいから助けてちゃんと帰ってきて」
「うん。……ありがとう」
「あの……お姉ちゃん?」
オウガの去った部屋の中。シュリの腕の中で抱きしめられたままだったミライが恐る恐る尋ねる。
「うん、ミライ。そんなには怒ってないから怯えないで?」
「よかった。……ただ待つだけって、辛いね」
「本当にね。でも、足手まといは待ってろって言われたから……」
そう足手まといは、と呟くシュリの顔には、わずかに笑みが浮かんでいた。
いつも応援ありがとうございます。
タイトルはちょっと話と合わないかな、と思いつつも、これしかない!と強行採用しました。