11.旅は順風
「今日はこの町で休んでいこうか」
長らく羽を休め牙を研がされた師の下を旅立って数日。幾度かの野宿を経てオウガたち獣人三人は、小さな宿場町にたどり着いた。
「さんせー」
「とっても嬉しいけど……お金は大丈夫?」
「ええと、そうだね――」
「よゆー」
「わぁっ! こんなにたくさん! お姉ちゃんお金持ち!」
幼いながらに年長者の懐事情を気にするミライだったが、おもむろにシュリが大金の詰まった革袋を取り出し、驚かせた。これにはオウガも驚き、どこでこんなに、と視線で問うた。
「ふっ……慰謝料」
歴戦の悪女のような微笑みを浮かべる狼娘に、大金の出所を察し、オウガはそれ以上追及する気が失せてしまった。
上機嫌な獣人娘二人に引きずられるように、宿場町唯一の宿屋に乗り込む。
「いらっしゃい……おや、獣人か。珍しいな」
「獣人はダメ?」
「いや、実は獣人を泊めたことが無くてな。身綺麗にはしているみたいだが……」
「家族なんだ。頼むよ」
悩む店主の前に、銀貨を一枚また一枚と積んでいく。それを見て店主はおかしそうに笑った。
「ふぅむ。お坊ちゃん、金の使い方は誰から習ったんだ?」
「父からですが、何かおかしかったですか?」
獣人であるオウガの本来の父親であるロウガたちは人間の貨幣を使っていなかったので、彼らに金銭教育を施したのはもちろん育ての父のアランである。銀貨を積み上げて見せたのも、「物事はハッタリだ!」という彼の教えに従った結果であった。
「うちみたいな小さな宿屋なら、銀貨一枚で十分過ぎるのさ」
そう言って笑いながら、積まれた銀貨の一枚だけを摘まみ上げる。
「二階の一番奥の部屋を使ってくれ。飯も特別に部屋に運んでやる。本来なら、金を積むのはそういう交渉の時だぜ?」
「そういうものなんですか……ありがとうございます」
「こりゃまた素直な若者だな。あーそうだな、ついでに余計なお世話かもしれないが――」
店主が獣人娘二人をちらりと見やる。釣られてオウガも目をやると、二人はキョトンと首を傾げた。
「食堂は酒場として開放してるからな。可愛らしいお嬢ちゃんたちは部屋から出ない方がいいかもしれんぜ」
「重ね重ね、ご忠告感謝します」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「……俺は店で揉めて欲しくないだけのことよ。ほれ行った行った」
真正面から礼を言われ、店主は照れたように手を振って三人を追い払った。
「うわー、ひろーい。アランおじちゃんのお家より広いよ!」
「うん。これは快適」
「いや、アランの家は元々一人暮らし用だからね? 十分広かったからね?」
獣人少女の大げさな喜びように、師のすすけた背中を思い起こされて思わず擁護してしまったオウガであった。
実際の所は、宿の部屋は家具が少なく、広く感じるという程度だろう。
「ベッドが三つもある」
「私のベッド! わぁ! そんなの初めて!」
特にどれと決めることもなく、獣人娘二人が並んでベッドに腰掛け上機嫌にはしゃぐ。
「それじゃあ二人の分のご飯はもらってくるとして、俺は酒場で食べてみるよ」
荷物を置きながら、オウガが言う。いろんな人を話をして常に情報を求めよ、というのも師からの教えだ。
「オウガ。知らない人に誘われても付いていっちゃダメ」
「ダメー」
「いや、子供じゃないんだか大丈夫だよ」
「大人の方が問題あるかも?」
「そうなのー?」
「どうなんだろう。シュリ、そうなの?」
「女の人に誘われても付いて行ったらダメ。付いて行ったら……」
「付いて行ったら?」
「……オウガのエッチ」
「お兄ちゃんエッチなの?」
「どうしてそうなるのさ!?」
◇
「おう、お客さん。飯か……何かひどく疲れてねえか?」
「あははは……はあ。ご飯、二人の分は部屋にお願いします。俺はここで食べてきますので」
「年頃の娘が二人もいると男はかなわんよなぁ……」
「お! 大将の昔語りかい?」
「今は昔、この店にも看板娘がいたんだがなぁ……」
「うるせえよこの酔っ払いども」
「ええと、みなさんこの町の人ですか?」
突然横に座り込んできた赤ら顔の男たちに戸惑いながら、オウガが尋ねる。男たちは陽気に笑いながら、
「そうそうこの町のもんだよ」
「町だなんて見栄張るなよ、ここは村だよ村」
と賑やかに騒ぎ始めた。
「すまんなお客さん。よそ者が珍しいもんでな」
「いえ、俺たちも野宿続きでしたから。人恋しさはありますよ」
「若い女の子連れて連日野宿か。大変だねぇ」
「お、何だい兄ちゃんは女連れかい?」
「見当たらねぇけど部屋か? 折角なんだから連れてきなよ!」
やんややんやと酔っ払いたちが身を乗り出す。店主はしまった口が滑ったと額に手を当てた。
「いえ、実は連れは身体を悪くしていまして。アマーストという町にいる噂の聖女様の下を目指しているのですが」
「おや、聖女様かい。ありゃあ素晴らしい人だよ。うちのおっかあも金もないのに見てくれてなぁ……」
「誰にでも分け隔てなく優しくて、しかも可愛らしい娘さんときたもんだ。そりゃ聖女だなんて呼びたくもなるってもんだ」
「そうですか。噂通りの人の通りで何よりなのですが……」
オウガが言い淀んで店主を見る。連れの娘たちが獣人であることを知る店主が、察するが、
「ああ、お嬢ちゃんたちでも聖女様なら見てくれるさ。ただなぁ……」
「何かあるんですか?」
「聖女様の人気は凄くてな。負担を軽減するために一日に見てくださる人数を随分と絞ってるという話だし、その順番に割って入るにはかなりの金を要求されるって噂もあるし……」
「おう大将、えらく濁すじゃねえか」
「いやな……、実は連れのお嬢ちゃんたちは獣人なんだ。教会の連中にどんだけ積めば聖女様に会わしてくれるかねぇ……」
「ああ、獣人なのかい。そりゃあ難しいねぇ。新しいのにすればいいんじゃないか?」
「おい!」
「おおっと……あー、なんだ。すまねえな口が悪くてよ」
「お客さん、気を悪くしないでくれ。田舎なもんでな。そもそも獣人を見たことも無いやつらばっかりなんだよ」
酔っ払いの失言を店主が取り成すが、当のオウガはそれを気にした様子は見せなかった。人間である育ての親から、獣人差別については嫌というほど言い聞かせられていたからだ。
「いえ、考え方は人それぞれと父もよく言っていましたから。ただ、俺にとっては家族同然なので、何としても聖女様に見ていただきたいんですが……」
酔っ払いの失言一つよりも、先行きの暗そうな問題に頭を悩ませる。
「難しいだろうな。運よく聖女様の目に留まれば教会の奴らが割って入ってくることはないだろうが、そうあることじゃないだろう」
「そうですか……」
「あとは、領主様に口を聞いてもらうっていう手もあるが……アマーストじゃなぁ」
店主の提案に、酔っ払い二人も渋い顔でうなる。
「何か問題が?」
「問題があるっていうか問題しかないというべきか……まぁ悪い貴族様の典型って噂なんだわ」
言い辛そうに店主。酔っ払いたちも言葉には出さないがうんうんと頷く。
「まぁ兄ちゃん、噂は噂だ。もしかしたらまともな人って可能性も、ある、かも?」
「俺たちだって実際にお会いしたわけじゃねえしな」
「ただ、お客さん連れのお嬢ちゃんたちは可愛かったからなぁ。噂とはいえあまり良い賭けとは思えんなぁ」
助言のつもりで付け加えた一言だったが、宿の店主はまたやっちまった、と顔をしかめた。途端、酔っ払いたちがオウガに詰め寄る。
「ほう、可愛い娘さんとな!」
「ええい何をしている、はやく連れてこい! お兄さんたちが奢ってやるぞ!」
「何がお兄さんか、このおっさん! 病気だったか? 俺が見てやるぞ!」
「大将さん……」
「ほんとーにすまん!」
話題はすっかりと逸れ、オウガは賑やかすぎる宴会に発展しても逃げ出すことができなかった。
「……ただいま」
「おかえり。オウガ、遅い」
「お兄ちゃん、おかえりなさい……お酒くさい」
「オウガ……いかがわしい」
「いか!? ……理不尽だ」
次々に集まってきた飲兵衛たちを酔い潰し、やっとのことで部屋に戻れたオウガを待っていたのは、年頃の娘たちの辛辣な言葉なのであった。
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