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俺と白と黒  作者: ちょんまげ
3/3

歯車は回る

 夢を見た。

 それは過去のひと時。自らの人生の欠片。

 記憶を夢で見るということはその記憶が確かなものであるという事だ。

 記憶とは歯車のようなもの。幾重にも噛み合い、一つが回り出せば、噛み合った全てが回り出す。

 一つの記憶が映像として見える。

 若い頃だった。見た目的にも精神的にも。

 目的だけに邁進した日々の記憶。前しか見なかった。他人から愚直とたしなめられるほどに。

「…我に、神のご加護があらん事を。」


 安物のロザリオを手に、祈っている記憶。神にすがっていた時の記憶。

 祈っているわりには神様の存在を信じていなかった。だが習慣となったものはそう簡単に身体から抜けないものである。

 そもそも、神様がいたとしても、救いなど求めようとはしなかった。

 自分のような人間が神様に救ってもらえるわけがないのだ。断じてあり得ない。決してあり得ない。

 だから、心の底から救いを諦めて来た。

 まるで物を壊すように、目の前に広がる記憶を殴りつけた。






 5月14日。覚醒は唐突だった。

 サッと目を開けると、視界は白一色。その白の正体が天井である事に気付くにはそう時間はかからなかった。

 どうやらどこかのベッドで寝ていたらしい。

 起き上がろうとすると、右手が布団以外の何かに触れているのに気がつく。

 寝転がったまま右手に目をやると、自分の手を誰かの白い手が握りしめていた。

 ベッドの脇に視線をずらすと、椅子に座って人が寝ていた。自分の手を握る手の主はこの男。

 ラグナ・サインフォードその人だ。


「……………。」


 視線が注がれるだけの微妙な間。

 昨日の事を思い出すと、この状況も読めてくる。

 クラウスのせいで切れていた酒を買い足しにコンビニに行った。途中で怪しい車を見つけた。公園で誰かと誰かが不審な会話をしていた。覗き見していたのがバレて追いかけ回された。捕まりかけたところをラグナが助けてくれた。

 さらに思い出そうとした彼だが、それに待ったをかけたのは、ケータイのバイブ音だ。

 おもむろに振動するスマートフォンに手を伸ばし、画面に触れた。


「もしも…」

「てめぇどこほっつき歩いてんだ馬鹿野郎ォ!!今何時だと思ってんだ!!」


 耳をつんざくような怒号。

 あまりにも突然の大声だったため、レイは咄嗟に耳から遠ざけた。


「あの、すみません。」

「あぁ!?何だ!言い訳があるなら言ってみろ!」


 聞くまでもない。ものすごい剣幕だ。


「すみません。あの、僕…ラグナじゃないです。」

「はぁっ!?…この声は確か、この前編集部に差し入れを持って来てくれた……。」

「レイ・ローウェンです。お久しぶりです。」

「君か!電話に出たということは、もしやラグナは近くにいるのか?」

「はい。電話変わるので、少々お待ちください。」


 スマホを置き、掴まれたままの右手をよじりながら体を揺すって声をかける。


「ラグナ起きて。ほら、マネージャーさん怒ってるよ。」

「………………ん〜締め切りなんて無い…無いんだ……。」

「締め切りって何。変な寝言いいから早く起きて。」

「…ったく何だよさっきからうるさ…レイ!?起きた!レイが起きたぁ!」


 ボフッ

 急に抱きしめられた。女の子だったらまるで子犬のようだと微笑ましかっただろうが、大の大人、しかも自分より身長が高い男。良い要素なんてない。

 終いには頭を撫でてくる始末。

 何だこいつは。僕は君のペットか何かか?


「もう死んじゃったかと思ったよ〜!心配したんだからね!?本当に良かった!!」

「ちょっとラグナ…苦しい……。」

「えっ何?全然聞こえな〜い。」

「………マネージャーさんから電話。」


 じゃれてくるラグナを無理やり引き剥がし、スマフォを彼の耳に押し付けた。


「マネージャー!おはようございます。」

「ラグナか!今何時だと思う!?昼から取材が詰まってるって言っただろ!」

「あちゃー、そうでしたね…。」

「そうでしたねじゃない!今どこだ!」

「メイアス中央病院です。タクシー拾ってすぐに向かうんで安心してください。大丈夫、遅刻なんて無粋なことはしませんよ。」

「優雅に言うなっ!」

「はいはい。じゃっもう切りますね〜。」


 明らかに無理やり電話を切っていた。

 だが本人はお構いなし。ニコニコ笑いながら、スマホを上着のポケットに入れる。


「もしかして僕のせいで怒られてる?」

「大丈夫だよ。気にしないで。庶務室にはクラウスが連絡を入れてくれてるみたいだから、無断欠席にはなってないはずだよ。」

「………ありがとう。」


 唐突のお礼。

 身仕度を整えていたラグナは振り向いてレイを見下ろす。

 彼はどのような顔をしていいか分からないようで、下を向いたままそれ以上の言葉を紡がない。

 今は一人にしておこう、と直感して、ラグナは病室から出た。


「………。」


 自分しかいない空間となった病室。

 残されたレイはベッドから立ち上がり、壁に掛けてあった上着に近寄った。

 ハンガーにかけたまま、制服の上着の内側に触れる。

 いつぶりに外に出したか分からなかった。

 取り出して、引き抜く。

 いつぶりか分からないほど外の空気に触れていなかった銀色の刃を見て、呟いた。


「……ラグナにばれたかな。」






「一つ知りたいことがあるのですが。」


 タクシーを待つ間、ラグナは人と会話していた。

 ただの電話での会話。どんな話をしていようと、誰も彼と誰かさんの会話を気に留めない。


「彼は何者ですか?」


 電話の相手は何も答えない。

 ニヤッと笑って続ける。


「では質問を変えましょう。レイ・ローウェンの何に興味があるんです?」


 返ってきた言葉にラグナの目つきは真剣なものへと変わる。

 だがそれも一瞬だ。

 へぇ、それは面白い。


「なるほど。分かりました。今はそれで納得しておくとしましょう。」


 ふと空を見上げる。天気は快晴。


「ではこれで。また何かあったら連絡します。」


 電話を切る。そして後ろにそびえる病院を見上げた。

 久しぶりに心底面白いと思った。虚構の世界と酒を交えた友との馬鹿話以外、この世には冷めたものしかないと思っていたが、まだこの世界には自分を満足させるほどのネタがあるらしい。

 タクシーが到着した。

 ラグナ・サインフォードは病院に背を向け、挨拶の意味を込めて手を挙げる。そして悠々とタクシーに乗り込んだ。






「自宅のマンションから飛び降り自殺ですって。」

「セレモニーが迫っているのにこういう暗い事件があるのは嫌だねぇ。」

「ですよねー。戦争が終わってから平和になったと思ってたけど、世の中の闇は深いなぁ〜。」

「まあ犯罪は終戦直後に比べれば大分減ってきてるし、平和な方だと思うよ今は。室長、書類作成終わりました。」

「ありがとうノックス君。」


 お昼時。

 庶務室のメンバーは仕事の合間に出来た休憩時間を自由に過ごしていた。

 ゆったりとした空間で、ゆったりとした時間が流れている。

 庶務室は雑用が舞い込まない限り、暇なのだ。

 そこへ入って来たのは遅刻者約1名。


「すみません。遅れました。」

「レイ君!」


 レイの片手にはケーキ屋の箱。走って駆けつけたわけではないため、息は切らしていない。


「レイ。倒れたって聞いたけど大丈夫かい?」

「うん。何とか。」

「そっか良かった。無理したらダメだよ?」

「うん。これ、遅刻のお詫び。」


 箱を開けると、そこには色とりどりのケーキがあった。

 ショートケーキ。ガトーショコラ。モンブラン。フルーツタルト。

 昨日クラウスと行ったカフェでテイクアウトしたものだ。

 真っ先にケーキに反応して近付いてきたのは唯一の女性職員のオリー。


「わぁっここのケーキ食べてみたかったんです!頂いてもいいんですか?」

「いいよ。」

「やったー!室長、ノックスさん、どれにしますか?」


 オリーは甘いものに目がない。

 レイは自分のデスクに座り、仕事に取り掛かった。今日の最初の雑用は新しい機材の発注と室長会議で使う資料の作成。


「レイ君。」


 庶務室の長であるモンテオが呼びかけた。


「何ですか?」

「今日の昼からの室長会議、僕の代わりに行ってくれないかい?」

「僕がですか?」

「実は政府のお偉いさんに呼び出されちゃってねぇ〜。何かしたのかなぁ僕…。」


 モンテオは苦笑いを浮かべている。


「室長、よく政府に呼び出されますよね。唐突に。」

「そうだね。お偉いさんに何人か知り合いがいるからかな。厄介ごと押し付けられるかも…。」

「何か出来ることがあれば言ってください。手伝いますから。」

「レイ君優しいねぇ〜。」


 モンテオが出す独特な雰囲気をレイは気に入っていた。

 レイが庶務室に配属された時から、モンテオはこの狭い職場の中心に座していた。

 この男から感じるのは余裕と自信。

 いつもニコニコ笑っているが、何かを隠し持ってるように思えるのは何故だろうか。

 だがその「何か」は悪意あるものではないのではないか、と勝手に考えている。

 人に隠し事は付き物だ。

 この場にいる職場の人間も、人を振り回すのが得意なあの悪友(とも)達も、過去に知り合った者もみんなそうだ。心の奥深くに沈んだ黒い心臓を刺されたくない一心で生きている。露見を恐れているんじゃない。その心臓が光に当てられて色が変わる事で、自分も周りも見失うことを恐れているのだ。

 自分だってそうだ。

 目を背けたい物事は全て心の海に沈めた。

 顔色は水。心は油。一生交わらないように作り変えてやった。


「レイ!さっきからボーッとしてどうしたの。」

「あぁ……ごめん。」


 ノックスの声でハッとした。

 家で羽の詰まった瓶を眺めながら考えることを、ここで考えていた。


「室長会議って何時からですか?」

「今から1時間後だから…2時からかな。じゃあ僕はもう行くよ。」

「室長行ってらっしゃーい!」


 オリーの笑顔に見送られて、モンテオは職場を去って行った。

 残された3人は各々仕事に取り掛かる。

 黙々と仕事をこなせば時間は一瞬で過ぎるという物。あっという間に会議が始まる時間に近付いた。


「そろそろ会議に行くよ。ノックス、資料運ぶの手伝ってくれる?」

「分かった。」


 資料を抱え、ノックスと共に会議室へ。

 会議室には、各部署の室長達が既に集まっていた。

 そしてその中心には


「…何でいるの。」

「へぇ、庶務室の代表はお前か!奇遇じゃねえか!」


 場違いな男が一人。

 入り口から入って真正面の席に座るのは他でもない。

 あの、大胆不敵な護衛兵団副団長様だった。


「もしかしてクラウス副団長と知り合いなの!?」

「知り合いというか腐れ縁というか…まあ付き合いは長いかな。」

「そうだったの!?知らなかった。」

「まあ座れよレイ。そんでそこのレイのお友達さん。」


 クラウスは堂々と立ったままノックスを指差した。


「もしかして僕ですか?」

「あぁ。この会議の書記を頼めるか?」

「わっ分かりました!」


 庶務室の職員と護衛兵団の副団長とじゃ、明らかに階級が違う。

 ノックスは目上の人間に急に命令されたせいで、あたふたと書記の準備をし始めた。言葉遣いも勿論敬語。

 そんなノックスとは違って、レイはいつも通り振舞っていた。


「よし、全員集まったところで室長会議を始めよう。そもそも、この会議の開催を取り決めたのは、我らがオルテシア国軍護衛兵団団長、レイモンド・フォンセン団長だ。レイモンド団長は今日は中央に出向いているため、代わりに俺が会議の進行をさせてもらう。」

「質問いいかね。」

「どうぞ。」


 手を挙げたのは財務室の室長だ。


「本部に属する部署の室長会議は毎度やって来たが、本部の中でも独立して動く護衛兵団が室長会議に参加し、しかもそれを主導するのはとても稀だ。何か重大な問題でも発生したのかね。」


 鋭い質問だ。

 鋭いというより、その質問はこの急に招集された会議の核心を突いていると言ってもいいだろう。

 クラウスは財務室長の言葉を聞くと軽く頷き、言葉を続けた。


「ライニム室長の言う通り、これは我々、いや、我が国の尊厳に関わる重大な問題。心して聞いて欲しい。」


 一呼吸置いて、クラウスはバッサリ言い切った。


「首相及び政府各要人に、一斉に殺害予告が届けられた。」






「もしもしー?うん、こっちは終わったよー。」


 呑気な声だった。

 取り壊しが決まったビルの地下駐車場。そこはいつもは立ち入り禁止。

 だが、その禁を破って若者はその場に立っていた。

 少し離れた所には、胸元を真っ赤に染めた人間。

 いや、先ほどまで人間だったモノ。


[そうか。向こうはこちらの事についてどれほど掴んでいる?]

「分かんない。いくら問い詰めても何も言わないから、ムカついて殺しちゃった。人間って弱いよね〜。たかだか胸に一発食らっただけで死んじゃうんだから。」


 若者はステップを踏みながら死体に近付き、片足で小突いてみる。

 勿論死体は文句を言わない。言えない。


[お前は手加減したんだろうが、無意識に心臓を撃ち抜いたんだろう。]

「いやー、僕も腕を上げたってことだよね!」

[調子に乗るのも大概にしたまえ。]

「はーい。」


 電話の向こうの男は続ける。


[…昨日こちらの取り引きを目撃したのは、間違いなく国軍本部の人間だ。特定を急げ。」

「別に探すのは構わないけど、質問していい?」

[何だ。]

「確かに取り引きの一部を聞かれたのはまずいけどさ、たかだか殺し屋一人雇おうとしただけでしょ?そんで、その取り引きに参加してたのはあんたの部下。もし国軍がその目撃者の証言を元に捜査に乗り出しても、殺し屋と部下を切っちゃえばいいじゃん。そこまでその目撃者に執着する理由が分かんない。」


 最年少ではあるが、やはり資格を持つ者。

 それなりに鋭い指摘をされたため、電話の向こうで男は少し驚き、そして感心した。

 それでこそ我らが同志だ。


[あの通りの防犯カメラの映像を差し替える際に一通り確認したが、あの目撃者は見過ごせないんだよ。…もしかしたら、彼のおかげで舞踏会(カーニヴァル)がさらに派手になるかもしれない。]

「……それは面白そうだね。」


 若者は笑みを抑えきれず、歯を見せて笑った。

 だがその笑みに無邪気さはない。

 目を見開いて、笑顔のまま爪を噛む。その様を一言で表すなら、「邪悪」だ。


[そろそろ切るぞ。証拠の隠滅を怠るな。]

「はいはい。分かってるって。]

[………神のご加護があらんことを。]


 前夜祭は、まだまだ終わらない。






 会議の後は残りの仕事を済ませていた。夜はクラウスに呼ばれているため、フリータイムは今くらいしかない。

 電話を切ったレイは、本部の屋上から夕日を眺める。

 夕焼けの色はどこか懐かしさを感じた。時々、夢の中に現れる色をしている。

 過去の事を思い出すと、息が詰まった。心の底から何かが這い上がってくるようで気持ち悪い。

 落ち着きたい一心で目を閉じ、祈りの言葉を刻んだ。


「…主よ。罪深き私をお導きください。」


 目を開いて、もう一度祈る。


「神のご加護があらん事を。」

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