白の悪友(とも)
「今回の新作はサスペンスを主軸としながらも、男女の恋愛を絡み合わせることに挑戦してみました。自画自賛するのも難ですが、恋愛の甘さや事件の苦さなど、高低差を上手く出せたと思ってます。」
「なるほど。気が早いとは思いますが、次回作については何か考えているんですか?」
次回作?はい?
この記者はふざけているのだろうか。
書きたいものをやっと書き上げ、やっと売り出すことが出来た。
こちとら休みたいというのに、こいつらはもう次のストーリーに目を向けている。
お前達の見据える「ストーリー」なんて、僕は全く見えていないし、今は見たくもないというのに。
「そうですね…。実のところ、まだちゃんと考えてはいません。ただ、書きたい物語は沢山あるので、気長に待っていただければ、と思います。」
「期待しています。それでは、これでインタビューを終わらせていただきます。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
女性記者と握手をし、会釈を交わす。
今日の最後のインタビューがたった今終了した。
先ほどまでインタビューの回答者だったラグナはすぐさま時計を見る。今は22時15分。仕事が片付く時間は予定より遅れていた。
ケータイを開くとメールが一件。
[先に家で準備してる。遅くなるようなら連絡ください。 レイ]
今日、いつものように酒を飲み交わす約束をしていた友からだった。
やらかした、というのがメールに対するラグナの率直な感想である。
自分の新作の出版日という事で、朝から生放送のニュースや情報番組に出演し、その合間に先程のようにインタビューを受けていた。
元々、仕事のスケジュールがぎゅうぎゅうだから、もしかしたら約束の時間には間に合わないだろう、というのは連絡していた。
が、これほど長引くとは全く予想していなかったのである。
「ラグナ、これから編集部と打ち上げなんだが、お前も来るか?」
ケータイを閉じて手早く荷物をまとめているラグナに声をかけたのは、彼のマネージャーのジェスだ。
「すみません。今日は先約が。」
「おおそうか。明日の予定は分かってるな?仕事の始まりは昼からだが、今日と同様にみっちりだぞ。」
「はい。問題ありません。」
「なら良かった。しばらく忙しいから、体を休めておけ。」
「ありがとうございます。お疲れ様でした。」
マネージャーに頭を下げ、すれ違うスタッフにも別れの声をかける。
そして廊下に出ると、ラグナは一気に走り出した。
早く行かなければ、レイを待たせてしまう。
売れっ子若手小説家の一日は、まだまだ終わらない。
[次は今話題の小説家、ラグナ・サインフォードさんについてです。]
[デビューしてまだ三年の彼ですが、彼が生み出す小説達は国内外の様々な人々を魅了しています。]
[文学界の新星と注目されるラグナさんに、カメラが迫りました。]
22時43分。
22時からやっているニュース番組も、後半のエンタメコーナーに差し掛かっていた。
テレビに映るのは、雪のように白い長めの髪を結った男。
現在最も注目を集めている若手小説家、ラグナ・サインフォードその人だ。
今日は彼の新刊の発売日。朝から彼の話題で世間は持ちきりだ。
「売れっ子だなー…あっそういえばまだ新刊買ってない。」
テレビをチラッと見てレイは呟いた。
だがそんな呟きも、海老が焼かれる音でかき消されてしまう。
オリーブオイルが跳ねる。ガーリックが独特な香りを醸し出す。
食欲とヨダレを誘うその匂いの中心では、フライパンの上でエビが色を変えていた。
レイは慣れた手つきでエビを皿に移し、飾りのレモンを添える。
テーブルの上にはもう既にたくさんの料理が並んでいた。
カリカリに焼かれた厚切りのベーコン、これまたカリカリに揚げられたポテト、色とりどりのサラダにピクルス、その中心には何種類ものチーズが溶けたピザ。
これらの料理の共通点といえば、「酒が進む」という点だろう。
「二人だけだし、こんなもんか。…後はお酒だ。」
テーブルに並ぶ料理たちはあくまでサブ。レイ達が嗜みたいのはあくまで酒である。
どの料理も酒をさらに旨くするためのスパイスにすぎない。
レイはおもむろに冷蔵庫を開けた。
「………………………………。」
そして、そのまま固まってしまう。
事を理解するのに、10秒ほど消費した。
「……………お酒がない。」
まさかの主役の不在。
何ということだ。どうして気がつかなかったのか。
正確にいえば、冷蔵庫にはビールが数本生存している。だが、これでは足りない。もし買い足さずにラグナを迎え入れれば、案の定文句をネチネチと言ってくるだろう。
失念の理由は考えればすぐに分かった。あの黒い軍人のせいである。
「………ハァー。」
思わずため息が漏れた。
10分ほど前にラグナから、23時前にはこちらに着くと連絡があった。
スーパーはもう閉まっている。思い当たるのは歩いて5.6分の距離にあるコンビニだけだ。
レイはエプロンを外して放り投げ、私服の上から制服のジャケットを羽織る。そして玄関に向かいながら長財布を無理やりポケットにねじ込み、家の鍵を手に取る。
早く酒を調達して帰らないと、ラグナと入れ違いになってしまうだろう。
時間に追われるのは好きではないが、半ば諦めてレイは玄関の扉を閉めた。
夜のメイアスは冷える。
春といえど、降り注ぐ日光が無ければ少し肌寒い。
月光は日光と違う。人間を照らしはしても、身体と心を温めてはくれないのだ。
外に出た瞬間から、上着を掴んで出てきたのは正解だな、とレイは実感している。
レイが住んでいるマンションはメイアス市内に建ってはいるが、そこはメイアスの中でも比較的静かな場所だ。いや、唯一夜は静かな場所、と呼んだ方がいいだろう。
メイアスの中心部はあっちを見れば無駄に高いオフィスビル達が群れをなし、こっちを見れば娯楽施設が隙間なく敷き詰められている。まるで光るおもちゃ箱。
それに比べれば、今レイが歩く地区は同じ市と思えないくらい静かだ。ビルも無ければ、ネオンが眩しいカジノも無い。街灯が一定の間隔であるだけだ。
彼にとって、夜の道を歩くのは嫌いではなかった。むしろ好きと言ってもいい。
夜の闇と深さは色んなものの輪郭をぼやけさせる。輪郭がぼやけるおかげで、いつも歩いている道やいつも目に止める信号と交わったように感じる。
昔から嫌なことがあればいつも外に出て、夜の闇に紛れてきた。
一人ではない、と心の片隅で思わせてくれる夜を、彼は好み、愛している。
「……ん?」
ふいに足を止めた。そして目を細める。
視線の先には車が一台。夜の闇と完全に同化しきっていることから、車体の色は黒だと予想がつく。
車は公園の入り口の前に止まっていた。
レイが感じたのは違和感。
この時間帯に、そしてこの場所に、車が停車しているのを見たことがない。車を利用しているというなら、少なくとも大人が関わっていることは確定事項だ。
もう少しで日付が変わる。
大人がこんな郊外の公園に一体何の用だろうか。
元々、コンビニへ近道するために公園を突っ切るつもりだった。ついでに様子を見ておこう。
そう考えたレイは公園に足を踏み入れた。
公園の中に入ると街灯は最早存在しない。夜の闇に慣れてきた目だけが頼りだ。
漂う雰囲気が一挙手一投足を強制的に静かにさせる。音を立てるな、と警告を受けているかのように。
すると、何やら人の声が微かに聞こえた。レイは近くの木の裏に隠れて様子を伺う。
彼の視線の先には、5.6人ほどの集団があった。
闇の中であるせいかどんな人物かは検討がつかないが、よく耳を澄ませば声だけは聞き取ることができるようだ。
「……どうしてこんな変な場所に呼び出した。」
「この時間は人が極度に少なくなるんだ。会うにはうってつけだと思わないかね?」
「そういう事にしておこう。」
会話をしているのは男二人。そして片方の男の後ろに人間が数人立っている。
「要件を早く言え。」
「そうだね。…舞踏会の前夜祭に、君も加わってくれたまえ。」
「前夜祭だと?」
「ああ。報酬はそれなりの額を支払おう。仕事内容はそう難しくない。一人、消して欲しいだけだ。」
一人?消して欲しい?
レイは話の内容が気になって一歩踏み出そうとした。
だがその興味は、人間の気配と周りの空気の色を変えるには十分すぎる。
「誰だ!」
叫んだのは、男の後ろで整列していた誰かだった。
誰だというその声。向けられているのが誰かは、レイ自身が一番よく分かっていた。
「っ!!」
反射的に彼らに背を向けて駆け出した。後ろから怒号が聞こえてくる。
追われる。
そう直感した。
公園を抜け、来た道を引き返す。
元々運動神経には自信がある。庶務室に配属されてからは雑用に追い回されて運動する機会はほぼ無かったが、鈍った体については状況のまずさがカバーしてくれるだろう。
「奴を追え!逃すな!」
逃げ出して来た時、誰かがそう命じたのが聞こえた。そしてこうも言っていた。
「殺しても構わん」
と。
後方から何人もの人間が全速力でこちらを追って来ているようだ。バタバタという足を動かす音が聞こえる。
追いつかれたら捕まる。
捕まったら殺される。
今は逃げることだけを考えないといけないのに、脳内に渦巻くのは最悪なバッドエンドばかりだ。
走りながら唇を噛むと、後ろから聞こえていたはずの疾走が前からも聞こえて来た。
「あっ………。」
その事実に気付いた時、体の力がサッと引いてしまった。まるで波が海に帰るように。砂時計の砂が全て降り注いでしまったように。
前と後ろ。囲まれている。
レイは立ち止まった。
「ハァッ…ハァッ………ハハッ。」
肩を揺らす呼吸が、力無い笑い声に変わった。
街灯が目の前にいる人間達を示している。
数は5人。あの場にいるのが全てでは無かったということだ。
もう終わりだ。
「亡わりじゃない」けど、「終わり」なんだ。
目の前に立っている男の一人がこちらに近づいてくる。
レイは反射的に、制服の内側に手を入れた。
その時だった。
「お巡りさんお巡りさん!早く早く!」
この絶望的状況には全く似つかわしくない声だった。
レイはこの声を心の底から、何て楽しそうな声なんだろう、と安心してしまった。
楽しそうだけど、どこか芝居がかっている。抑揚はあるけど、深みはない。必死そうで、吐き捨てている。
例えるなら、それはまるでストーリーテラーのような、そんな印象を抱かせる声だ。
「お巡りさん鈍臭い!早くしないと悪い奴ら逃げちゃうんだけど!?」
レイを囲んでいた男はそれぞれ顔を見合わせ、その場からすごい速さで立ち去っていった。
残されたレイは、制服に忍ばせた手をぶらんと下ろし、ポカンと口を開ける。
「お巡りさんってば〜早く!…アレ?そこに突っ立っているのはもしかしてレイかな?」
彼の視線の先にある路地裏への道。先ほど自分を捉えようと男達が出て来た道だ。
そこから軽くステップを刻んでひょっこりと現れたのは、白い髪をなびかせた悪友。
「危なかったね〜。僕の迫真の演技は気に入ってもらえたかな?」
「…………。」
「そうかそうか!声も出ないほど素晴らしかったのか!新進気鋭の若手小説家っていう肩書きも良いけど、これからは演技派ってとこも推していこうかな。どう思う?レイ。」
「…………………。」
ドサッ。
自らの演技に酔いしれるラグナ・サインフォードをよそに、レイはその場に崩れ落ちた。