scene:会合
scene:会合
「初めまして」
「おいあおお」
ほぼ子音を欠いた口調ながら聞き取れるのは、日本人が文脈を推測し、意味を補完する傾向があるからだと言われている。
「それでは始めましょうか。どうぞ、お座り下さい」
「いうえいうう」
敢えて日本語が選ばれた背景には、日本語と日本人の、言語に対する特殊性に由来していた。例えば世界的にも母音が少ない部類に入る他、曖昧な表現や、ひとつの単語に対して複数の意味合いを持たせられる汎用性が高い事などが理由のひとつに挙げられる。
が、勿論、そこには誤解が含まれる可能性もあり、言語としても使いこなすにはやや難しい所もある。とは言え、扉が出現した国であり、且つ先進国のひとつである事などの事情から、日本語が向こう側の世界との交渉に用いられる言語のひとつとして選ばれた。日本政府としても、どうやら向こう側に民間人が囚われているらしい事を把握していた為、交渉を有利に進める都合、使い慣れた日本語を利用出来るのは在り難かった。
「おいあああえあア"おうおえんオ"う、いエ"んあア"おおええいうエ"あおう鴉鷙鳩鷺おうおえんオ"うおいおいエ"ああえあえう安喰ああエ"う」
傍らの通訳者が母音を速記で書き表しながら、状況と照らし合わせて凡その文脈を想像し、外交官のオルテオの言葉を飯塚に伝えてきた。
「あの、アシクジさ、まの」
敬称を付けようか躊躇したのも一瞬、最上級の接尾詞を繋げた飯塚は、その実、アジキの姿に圧倒され、自ずと敬称を付けていた。東の魔王とも呼ばれるアシクジは、今のところ国内での戦闘は目撃されていないものの、その噂は世界的に伝えられている。主に中東で散発的な戦闘を繰り返しているらしいアシクジらの一派は、過激派のテロ組織と交戦中だが、その目的は不明だ。向こう側と交渉しない過激派の一方的な攻撃に対する報復、或いは宗教観を異にする衝突とも言われている。ただ、こちら側のテロ組織が、向こう側の侵略者への迎撃に手一杯な状況は、結果的にこちら側の紛争を一時的ながら抑制していた為、一概に侵略者を悪だと断じる事は出来ないとの声も増えてきている。
そんなアシクジの一派である上、眷属と呼ばれるアジキは、恐らくこちら側で言えば相応に階級が高いだろうと推測される。その姿は割と人に近く、オスのクジャクのような色彩の鮮やかな飾りを付けたドレス――ショートラインを彷彿とさせ、トレーンのような引き裾も長い。よくよく見れば羽の集まりだと分かる。が、全体の印象としては派手なドレスに身を包んだ女性と言った感じだ。顔も美しく、人と同じと言える。
恐らくオルテオは交渉相手となるこちら側の人間に好印象を与え、不快感を抱かせない為に、アジキのような見目も麗しい者を召喚したのだろう。オルテオのように如何にもモンスター然とした風貌では否応にも恐怖や畏怖、嫌悪感が生じてしまうものだ。現に飯塚はオルテオとの初対面、外交官として、人種の差別はしない心構えだったものの、やはりギョッとしてしまった事も記憶に新しかった。
若しオルテオがイニシアチブを握る為と、考えた上でアジキを選んだのならば見た目通りに野蛮だとは言えない。現に声帯の仕組からなかなか満足に喋る事は出来ないようだが、日本語を理解するまでは早かったと聞いている。寧ろこちら側の言語学者の方が向こう側の言葉を理解するまでの時間は長かったほどだ。今は数学者による暗号の解読に通じる符号の体系化が進み、片言ながら意思の疎通が行えるようになってはいるも、やはり出遅れている感は否めなかった。
「*****」
微笑んだアジキが挨拶を呉れたのだと気付いた飯塚は慌ててそれに応えると、宜しくお願いします、と手を差し出した。
「*************?」
不愉快そうに眉根を寄せたアジキが、差し出された飯塚の手を睨み付けている。どう言う事だろうか。不安になった飯塚は、通訳者に救いを求めるように振り返った後、説明と弁解を期待し、オルテオの方へ視線を送った。
「**、********。***≪|_/。≫*********。*****************、」
「**、*****************?」
語気やアクセント、仕草からオルテオがアジキから叱責を受けているように見えた飯塚が通訳者に説明を求めようとしたとき、アジキが重ねた手の平を胸の前に乗せ、首を傾げた。どうやら向こう側の挨拶を改めてしているようだ。
「すいません。」
「いいいえいいおおいあうア"、あイ"うああういゥえ、おおあああうあいうえいあいォあいああいあう」
続け、何かを説明したオルテオの聞き取れない言葉を前にした飯塚に通訳者が口添えする。
「先生、どうやらアジキさんの地方では右手は器用さの象徴、神聖な手とされているようです。右手を差し出し、掴むと言うのは、相手の自由を奪い、攻撃を宣誓するようなものみたいです」
だから、右手を左手で庇い、だが、攻撃する前の所作とは言えない、祈るような形で手の平を重ねているのか。と合点のいった飯塚は、オルテオに、この挨拶に対してどう返せばいいのか質問した。
「おあイ"おういえおいあをああえ、あいア"ううい、えエ"うううおういえうイ"をあえいえうア"あい」
飯塚が同じように手を重ねると、アジキが手首を返し、ニッコリと微笑んだ。
「**********。************************」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
出端から衝突するかと思ったが、アジキは意外と寛容なようだ。ホッと胸を撫で下ろしつつも、飯塚は交渉の内容について確認する為、オルテオらに英語と日本語、そして向こう側の言語で書かれた拙い文章の資料を手渡した。
非公式の会合で話し合う内容は主に、向こう側に神隠しされた一般人の引き渡し、術式をはじめとする特殊技術の提供、安全保障条約に準じた条約などの締結だ。とは言え、ほぼ初めてとなる会合で決着出来るとも思っていない日本政府は、取り敢えず、暫定的な平和条約の締結に伴う同盟関係の構築、及び向こう側とこちら側の行き来の管理などを突き詰めたかった。また、何よりも民間人の引き渡しは、次の選挙などに影響するだろうから早めに解決したいと言うのが内閣の意向らしいと飯塚は聞いている。
勿論、国としても相応の援助と譲歩を考えている。ひとつは、インフラの整備、オルテオなどの異形の人々が戦う向こう側の人種への武力派遣はしない。飽くまでも向こう側との間では、完全な中立を保つなどの条件が必須だ。金銭的な援助が意味を成さない以上、態度を示さなければいけなかった。
「**********」
何故か渋るような態度を見せたオルテオが、アジキに会合の主題を説明し始めた。その間、アジキは頷くばかりで仔細を尋ねるような素振りも見せなかった。
「**************」
「**。***********、**************、*****************」
腕を組んだオルテオ、アジキは物憂げに頬に手を当て、小さな溜息を漏らしている。
「***、************」
「*****」
「説明をお願い出来ますか?」
通訳者は断片的ながら二人の会話を理解出来たものの、話せない、渡せないと言っているように聞こえた。
「いえ、おえあうオ"うああああうおおア"エ"いあいあいおうエ"う」
どうやら話せないと言っている内容だけは雰囲気から察した飯塚は、この会合は平行線を辿る以前に、やはりその意図を理解するだけでも骨が折れそうだと改めて実感していた。