第3話 私のお爺ちゃんと、みんなのJIJI
「さて。
しかし親父の家、どうすっかな?」
「兄さんも私も自分の家があるし………やっぱり取り壊すしかないかねぇ」
「何かと思い出のある家なんだが………まあ、維持費も馬鹿にならんしな。
そうするしかないか」
あの電話の翌日。
祖父の家にはまた叔父さんたちと、私の母が集まって、部屋の片付けを続けていました。
「え? この家、取り壊しちゃうの?」
叔父さんたちの会話を耳に捉え、私は母に問いかけます。
「別に今すぐって訳じゃないけどさ………。
誰も住んでない家なんて、取っておいても意味が無いでしょ?
管理だって出来ないし………」
「…………」
私は思わず俯いてしまいます。
確かに母の言う通りです。
こんな外れの一軒家。所有していられるほど、私達の家は裕福ではありません。
だけど、何だかとても寂しいです。
まるで家ごと、祖父の思い出を捨ててしまうように感じるのです。
俯く私の肩へ、母がそっと手をかけます。
「ほら幸那、ぼ~っとしない。今日で後片付けも終わり。
明日からは忙しい日常が待っているんだよ!」
◇
『大陸を包み込む暗黒。
空は澱み、草木は枯れ、呪われた大地を魔物たちが闊歩する。
この日。世界は絶望に包まれることになった。
かって、偉大な勇者によって滅ぼされた悪意の魔王。
彼が再び復活を遂げたのである』
陰鬱な雰囲気で始まったオープニング。
暗いBGMと共に流れる厳かなモノローグ。
画面の中で、王様が空を眺めつつ気落ちした様子で呟きます。
『魔王によって、この世界は暗黒に包まれてしまった。
ああ誰か、世界を救うような勇者は現われないのだろうか?』
するとゲームの暗い雰囲気と対照的に、祖父の明るい声が画面から響いてきました。
『任せろ王様! 俺が世界を救ってやる!
その暁には、老人ホームを用意してもらうからな!』
動画『老い先短いジジイだけど、ちょっと世界を救ってくる!』の冒頭。
私は何となく、祖父が残した動画へ目を通していました。
[おい、ジジイ。はしゃぎ過ぎだろwww]
[老人ホームwww]
画面にはファン?とかいう人たちが打ち込んだのであろう、文字列が流れていきます。
誰だか知りませんが、人の祖父をジジイ呼ばわりしないでほしいものです。
祖父は仲間たちの装備品を揃えているようで、仲間には勇者の『JIJI』を始めとして、『マサユキ』『ユキナ』と私たちの名前がつけられていました。
そういえば、祖父はキャラクターネームによく、私達の名前を拝借していたと書いてあった気がします。
『えーっと、俺には鋼の鎧。
ユキナには魔術師の服を買ってやって………あら、マサユキの装備を買う金が無くなった。
まあいいや。お前は布の服でも装備しとけ』
[相変わらずマサユキの扱いが酷いwww]
[同じ孫なんだから差別すんなwww]
祖父の遺品整理から1ヶ月。
普段の生活に戻った私は普段通り、忙しい日常を送っています。
それでも、やっぱり気になるのは祖父………JIJIのこと。
あれから私は暇を見つけ、少しずつJIJIの動画を見るようになっていました。
JIJIはお爺ちゃんと同じ声をしていますが、やっぱり私の知る祖父とはちょっと違っていて、何だか不思議な気分になってしまいます。
7年間。投稿に投稿を重ねた祖父の動画は膨大で、全てに目を通しきれる気がしません。
「………」
私は動画を途中で閉じると、××動画にある『JIJIコミュニティ』なるページを開きました。
なんでも、有名投稿者であった祖父は動画サイト内に自分の個人ページのようなものを持っていたようです。
[KENです。
JIJIさんの投稿が止まっている件について、ご報告します。
先月、JIJIさんはご不幸に会われてしまったようです。
今後、彼の動画が更新されることはありません]
[マジか………嘘だろ?]
[そんな、いきなり死んだなんて言われてもなぁ]
[つーか、何でKENがそんなこと知ってるんだよ?]
KENさんは苦労しているようです。
JIJIコミュニティの掲示板にKENさんは祖父が亡くなった旨を書き込んだようですが、信じる人と信じない人が半々のようで。
中には『不謹慎なことを書くな』と怒っている人もいたくらいです。
しかし、JIJIの動画が更新される筈もなく、だんだんと祖父のコミュニティは小さくなっていっているようでした。
[もう、一月近く更新されねぇな。
やっぱ失踪か?]
[ドラゴンファンタジー。ようやくキャラクター作成したところだったのに、残念だなぁ。
JIJIの冒険見たかった]
[やっぱ、マジで死んだんじゃねーの?]
[おい。死んだとか軽い気持ちで書くなよ。不謹慎だろーが!]
[出たよ、不謹慎厨。言論統制かっつの]
祖父の掲示板は荒れ気味です。
この間までのんびりとした空気だったのに、今はすぐに喧嘩が始まってしまいます。
かっては毎日のようにJIJIのことを語っていた掲示板。
だけど、最近はあまり人が訪れていないようです。
まあ、語る話題と言えば祖父の生死に関することばかり。しかももれなく喧嘩つきです。
人が減っていって当然かもしれません。
現実の祖父と同じく、ネット上の祖父も、こうやって人々から忘れ去られていくのでしょうか。
ああ………なんでだろう?
私には関係のないことの筈なのに、どうしてか私は寂しくなってしまうのです。
◇
ネット上に散らばった祖父の断片。
それを探している内に、私は『JIJIの生放送配信 動画版』という動画へたどり着くことになりました。
この××動画では動画を投稿する他に、生放送という名前でネット中継のようなことも出来るらしく、祖父は時折そこで雑談などを配信していたようです。
『ようし、それじゃあ質問なんかに答えていくぞ!
何でもコメントしてくれ!』
動画の中で、祖父は普段よりはしゃぎつつ、そんなことを言っていました。
[JIJIのゲーム歴ってどれくらいなの?]
『ああ、初めてゲームをしたのは10年くらい前かな?
マサユキが家にきた時、携帯ゲーム機を持ってきててさ。ちょっと貸してもらったら、これがハマっちゃったんだよ。
そっから、自分でも買ってやるようになったな』
[何で動画を投稿しようと思ったの?]
『何年か前の誕生日、正幸が俺にノートパソコンをプレゼントしてくれてさ。
ネットをイジッている内に××動画へ辿りついたんだ。
それで最初はゲームのプレイ動画なんかを見てたんだけどさ。その内実況プレイにも嵌るようになって、気がついたら自分でも動画を投稿するようになっていたんだ。
まあ、年金生活で時間だけは有り余っているからな』
なるほど。
祖父がこんなことになってしまったのは、大体正幸君のせいらしいです。
そう言えば、正幸君は子供の頃からゲームが大好きで、今はネットゲーム廃人なるものになってしまったと、叔父さんがよくぼやいていました。
私がそんなことを思い出していたところ、コメントがギクリとするような質問をJIJIへと投げかけます。
[マサユキやユキナとは、仲いいの?]
『………』
私は思わず、息を呑んでしまいます。
私はもう、祖父と10年近く会っていない。
年老いた祖父を放ったらかしにして、自分のことしか考えていなかった。
祖父の答えを聞くのが嫌だ………恐い。
私は逃げるように閉じるボタンを押そうとしたのですが、そんな私へ祖父の呟きが届いてきました。
『2人が小さな頃は、そりゃあ仲が良かったよ。
だけど………2人とも、もう立派な社会人だからな。
子供の頃みたいに、しょっちゅう遊びにくるなんてことはないさ。
特にユキナは遠くに住んでいるし………それに、あの子は結構不器用だから、今ごろは自分のことで手一杯なんじゃないか?
俺みたいなジジイに構っている暇なんかないさ』
[………寂しくない?]
『寂しい?馬鹿なこと言っちゃいけねぇ。
いいんだよ、それで。
若者ってのはさ、前だけ向いて、後ろを振り返ったりするモンじゃねえ。
年寄りの相手なんざ、もっと年を喰ってからするもんだ。
ほら、孝行したい時に親は無しって言うだろ?
アレはさ、親孝行なんてモンは親が死に掛けてからでいい、ってぇ意味なんだよ』
[勝手にことわざを曲解すんなw
でも、JIJIはそれでいいのか?
ぶっちゃけ、寂しいって気持ちはないのか?]
『まあ、偶には顔を見たいって気持ちもあるにはあるが………。
顔を見なくたって、二人が一生懸命生きてるってことは息子や娘から教えてもらえる。
マサユキはさ、最近ようやく彼女が出来たってんで、浮かれまくってるらしい。
あいつもいい加減、ネトゲ廃人から卒業する時期だな。
ユキナはちょっと会社で上手くいってないそうだ。疲れた顔をしていることが多くて心配だって、娘が良く言っている』
JIJIはそう言って、小さく年老いた笑い声を上げます。
それは私にとって馴染みのある、おだやかな声。
動画投稿者のJIJIではなく、私のよく知っているおじいちゃんの笑い声でした。
『例え会わなくたって。俺は二人の人生を感じることが出来るんだ。
年寄りはな、そういうことに喜びを感じんのさ。
それに、俺だって結構忙しいしな。
ドラゴンファンタジー7はようやく始まったばかりだし、夏にはまた公式放送出演のため東京へ行かなきゃならん。
あんま孫のことばかり構っている訳にもいかんのさ』
祖父は気付いたように声を張り、JIJIの声音で笑うと気を変えるように言葉を続けます。
『ほい。これでこの質問は終わり。
他に何か質問ある?』
祖父の朗らかな声に対し、また一つコメントが書き込まれます。
それは他の人たちに比べ、少し真面目で、何より私が最も気になっていることを祖父へ問いかけていました。
[JIJIさん………貴方は幸せですか?
貴方の80年間は、実りのあるものでしたか?]
『………えらくマジな質問だな。
もっとこう………性癖とか、そういう質問でいいんだぜ?』
祖父はふざけた声で笑いますが、声音に少しだけ真剣な色を宿しゆっくりとその問いへ答えていきました。
『そうさな………その質問へ答えるには、少しばかり俺の人生を話すべきかもしれない。
つまらんジジイの自分語りだが、ちょっと聞いてくれるか?』
そう断りをいれて、祖父は少しだけ語り始めます。
『俺がお前らくらいの年だった頃、日本は高度経済成長期って呼ばれていてな。
終戦の焦燥を埋めるように、誰もが必死になって働いていた。
とにかく、毎日働くことが幸せに通じると考えられていたんだ。
例に漏れず、俺も幸せを掴むため遮二無二なって働いたもんさ』
『働いたなぁ………いや、ホント死ぬほど働いた。
まあ、今と違って日本は上り調子でさ。
働けば働くほど未来が開けるとみんな信じていたから、そこまで苦って訳でも無かった。
実際、生活はどんどん豊かになっていったからな。
だけど―――』
『だけど定年を迎え、嫁が死んだ時、気付いたんだ。
働いて働いて、働くことを第一に考え続けて………その結果。俺には何も残っちゃいなかった。
趣味も無けりゃあ、家族との思い出もこれといってない。
老後に与えられた膨大な余暇に、俺は途方に暮れてしまったんだ』
『もちろん、社会人として働き続けた自分を後悔するつもりは無い。
国に貢献し続けた自分を、誇りにさえ思っているよ。
だが、社会から少し距離を置いて自分の時間を楽しめといわれた時、俺はどうすればいいのかわからなくなってしまったんだ。
自分の時間?自分の時間って何だ?
そもそも、社会人でない自分って何だ?ってさ。
俺は公を優先し過ぎて、私という自分を見つめたことが無かった。
冗談みたいだが、自分がどんな性格で、どんなことに喜びを感じるのか、本気でわからなかったんだ。
それが何だか空しくて………悲しくてさ。
自分の人生は何だったのか、なんて本気で考えてみたりもした』
お爺ちゃん………。
私は祖父の昔のことなんて知りません。
だって私にとって、お爺ちゃんはお爺ちゃんで………。
祖父に若い頃があったということが、何だか想像出来ないのです。
彼がどんな人生を送ってきたのかということに、今の今まで興味を持ったことが無かったのです。
何と言う馬鹿者なのでしょう、私は。
『本気で考えて、考え抜いて。
どんなに前を向いても、答えは見つからなくて………それで俺は少しだけ後ろを振り返ったんだ。
そしたらさ………いたんだよ』
[いたって………何が?]
『決まってるだろう?
幸那や正幸さ』
「え………?」
不意に放たれた自分の名前。
私は思わず声を上げてしまいます。
[ユキナちゃんや、マサユキ君?]
『そう。名前だけならお前らも馴染みあるだろう。
俺がキャラネームでよく使う二人さ』
祖父はニヤリとした声を発します。
それは祖父のようにおだやかで、だけどJIJIのように悪戯っぽくて。
私の知る祖父と私の知らないJIJIを混ぜたような、不思議な声音。
『俺はガムシャラに前だけを見て生きてきた。
それが正しい、強い生き方だと信じ、ひたすら前だけを見ていたんだ。
だけど、少しだけ休んでもいいと気付いた時。振り返った俺の後ろには家族達が居た』
『幸那と正幸は俺の孫。
俺の娘と息子が生んだ、俺の人生で得たかけがえのない者。
俺の知らず知らずの内に手に入れていた、俺が生きていたという確かな証なんだ。
そのことに気付いた時、俺はなんだかうれしくなっちまってなぁ。
ああ、俺の人生は無駄じゃなかった。
実りある人生だったんだって、何故かそう思ったんだよ』
[………良く、わかんねぇ]
『そりゃ、お前らにはまだわかんねぇだろうさ。
俺だって、それに気付くまで何十年もかかったんだ。むしろいきなり理解されたらむかつく』
祖父は悪戯っぽく笑い声をあげます。
それは落ち着いているのに、どこか子供っぽくて、私が知ってるようで知らなかったJIJIの笑い声。
[そんで結局、JIJIは幸せなのかよ?]
『そんなの俺が知るか』
[えぇ………]
『自分が幸せかどうかわかる奴なんかいねぇよ。
自分が幸福だと思っていても周りから見れば違ったり、またその逆も然りだ。
幸せなんてモンは見る人間によって変わる。
俺が幸せかどうかなんて、俺が決めるもんじゃねぇ』
[おいおい………こんだけ引っぱっといて結論がそれかよ。
結局、自分語りがしたかっただけじゃねーか]
『うるせぇ、俺の配信だ。
俺が好きなことをしゃべって何が悪い。
………まぁ、あれだ。
もし俺が死んだ時、俺の葬式で参列者が笑っているようなら、俺の人生は幸せだったと言っていいんじゃねーか?』
[………笑って?
泣いてじゃなくてか?]
『ああ。俺はもう82歳。十分、思う存分生きてきた。
俺が死んだ所で、それは悲劇じゃない。普通に終劇さ。
俺の門出をみんなが笑顔で送ってくれたなら、俺はそれで―――』
祖父はそこまで話して、気付いたように笑います。
『って、いつまでこんな話を続けてるんだ。
やめやめ、次の質問。
つーかお前ら、もっとゲームの話しようぜ?』
[それじゃあ………JIJIがゲーム実況してること、家族は知ってるの?]
『知ってる訳ねぇだろ!
俺がこんなことしてるってばれたら、それこそ俺は首吊るわ!』
[だよなwww
俺も自分の爺ちゃんがこんなんしてたら、ドン引きだわwww]
[自分の爺ちゃんが、中学生みてぇなシモネタ言って爆笑してんの見たらトラウマ確定だなw]
『特に幸那にはぜってー見られたくねぇな。
あの子、妙に堅物なところがあっから』
流れるコメントにお爺ちゃんがガハハと笑い声を上げつつ、どこか名残惜しそうな調子で続けます。
『だけどさ………俺は『JIJI』っていう自分も嫌いじゃねーんだ』
[あん?]
『××動画に投稿するようになって、自分をJIJIと名乗るようになって。
俺は、今まで知らなかった自分というものに出会った気がするんだ。
これでも俺は温和な人柄がウリでな。
仕事仲間にも、家族にだって、こんなくだらねぇ自分を晒したことは無かった。
いつだって立派な『お爺ちゃん』であろうとしていた。
別に普段の性格が嘘ってわけじゃねぇけど―――』
『ガキみてぇなシモネタで笑って、お前ら如きの煽り一つで顔真っ赤にして、チヤホヤされりゃ喜んで………そんなしょうもない『JIJI』も、やっぱり俺なのさ。
俺はこれまで、自分にこんなクソジジイみたいな面があると思っちゃいなかった』
[俺らからすりゃ、JIJIは唯のクソジジイだぜ?]
『お前ら、ぶっ殺すぞ!?
………ただまあ、お前らには感謝している。
何せ貴重な若い時を、俺なんぞの暇つぶしに消費してくれるんだからな!』
[やっぱ、クソジジイじゃねーかww]
それからお爺ちゃんとみんなは、話題を「大きい胸と小さい胸のどちらが正義か?」というしょうもない
議論に移し、なにやら討論し始めてしまいました。
熱く大きな胸の素晴らしさを語る祖父の声を聞き流し、私はほとほと呆れてしまいます。
本当、なにやってんだか。
どうしようもないほど、しょうがない人たちです。
だけど。
その時すでに、私の心は決まっていたのでした。