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三千年の約束  作者: ササキノボル
2/3

避けられぬ定め



  プロローグ


  わたしは罪深い人。

  世の中に災禍の種を撒き、民に苦痛をもたらしてしまった。

  たくさんの人がわたしのせいで死ぬ。

  こんな罪深いわたしの話でも・・・。

  あなたは聞いてくれるのかしら?

  


  第二章・・・「避けられぬ定め」



  わたしは類い稀な才能を持つ巫女。

  生まれながら「奇門遁甲」に精通し、散乱な人々を一つの集落にまとめあげた。そして、わたしに従う民だけをあらゆる災難や危険から守った。そんなわたしを、彼らは神様のように讃え、崇めた。そんなわたしのうわさを聞きつけ、他邦から数え切れないほどの難民や奴隷が駆けつけ、わたしはそんな彼らも平等に受け入れ、それを奪い返そうと企む敵国の軍隊も撃退した。小さかったわたしの集落は日に日に大きくなり、やがては一方を割拠する覇者となった。

  生身の人として、立てる最高峰にわたしは君臨した。

  しかし、そこは思いのほか寒い場所だった。気がつけば、わたしの姿を一目見るためにやってくる民が城下を埋め尽くしていた。わたしはいつしか、そんな人々を嫌うようになっていた。それは、とても不思議な感覚だった。他人の全てを欲しいままに操れたにも関わらず、わたしは満足しなかった。

  今ならわかる。

  その時のわたしは孤独だった。

  喜びを分かち合える人が、誰一人いなかった。そして、怖れた。築き上げたこの地位を無くすまいと、わたしは疑心暗鬼になっていた。

  でも、怖がる必要なんてなかった。

  このわたしには「奇門遁甲」の奇術に精通し、天候でさえ自由気ままに操ることができた、生身の人間がいくら束になろうとも、わたしが唱える呪文の一つにも敵わない。しかし、わたしはバカだった、孤独が故に力を誇示し、周囲の人を傷つけ、遠ざけていた。そして、復讐に警戒するあまりにさらに傷つける。類い稀な才能を持ってにしてもわたしは生身の人間と変わらなかった。愚かで臆病もの。もっと早くその弱点と向き合えることができたら、あんな過ちも犯すことは無かったかもしれない。


  不老不死の謎。


  わたしは人が踏み込んではいけない領域を侵した、「奇門遁甲」の奇術をもって不老不死の謎に挑んだ。しかし、それは簡単なことじゃなかった。老化することのない「不朽」には、絶対的な土台が必要だった。それを探すため、数えきれないほどの失敗を重ねた。生まれて初めての絶望感に打ちのめされた。

  だが、認めざるを得ない。

  わたしは誰より抜きんでた才能の持ち主だった。古より伝わる「奇門遁甲」の奇術に、わたし独自の考えを一つにし、宇宙を象る大元素「陰」を見つけた。これはとんでもない大発見だった。世界を象ると考えられてきた五つの元素の金、木、水、火、土に加え、六つ目の元素をわたしは見つけたんだ。そして、すっかり舞い上がってしまったわたしは深く考えもせずに「陰」を使った。

  人に似せて形を整い。

  命の灯火を吹き込んだ。

  わたしは「人」を作った。

  永遠に老化することなく、人の形でありながら人の理からはみ出る存在。不老不死の答えも目前に思えてきた。だがしかし、そんなものは人とは言えない、ただの化け物だった。わたしが正気を取り戻した時、かしこい「彼」はすでに人の感情を覚えてしまった。

  最初は嬉しかったよ。

  孤独だったわたしに、心のよりどころができたんだ。

  しかし、彼はただの試作品であって、いつかは処分しなくてはならない存在だっといつも自分い言い聞かせた。けれど、わたしは最後の最後までそれができなかった。なぜなら、彼は世界中の誰よりもわたしのことを愛してくれた。

  その愛はバカ正直で、純粋無垢なものだった。彼はまるで子供のようで、愛しかった。わたしは嬉しくて、いつしか彼のことばかり考えるようになっていた。けれど彼は「陰」その物、不吉な狂気や殺気に弱く、うまく制御できるのかどうか心配でしかたなかった。その不死の体に孕む災いの種を取り除くため、わたしはあらゆる手段を試したが、無理だった。彼は周囲の「陰気」吸い込み、日々巨大化していた。

  とても辛かった。

  単純無垢な彼が、人の世を転覆しかねない力があるんだなんて。信じたくはなかったが紛れもない事実。そのことを隠すため、感傷を押し殺したつもりでいたが、かしこい彼は何もかもわかっていたと思う。それから間もなくしてあの日がやってきた、彼はこっそりと暗い実験室から抜け出した。

  わたしが心配していたことが現実になった。外に出た彼はうっかり、よくない陰気を吸い込み、自我を見失った。暴走してしまい、数えきれないほどの人を殺した。わたしは急いでそこへ駆けつけ、屍体の山を目の当たりにして言葉を無くした。

  これは天罰だ。

  絶対に踏み入ってはいけない領域を侵した罰だ。だから、わたしは自分の命と血と肉体を媒介に、愛する彼を山岳の深くにある洞窟の中へ封印した。そして、罪を償うためにわたしの魂はあの世へ旅立った。


  ーーーーーーーーーー

  

  人の体は朽ちても、魂は残り、今世のツケを精算しなくてはならない。

  そんな魂は「黄泉の川」へと下り行き、「十八条の往生道」を歩かなくてはならない。生前に犯した罪の深さによっては十八条の往生道は険しい山道にもなり、平坦な石垣道にもなる。そこを通り過ぎれば、今度は「奈何橋」という名前の吊り橋へたどり着く。奈何橋はちょうど、今世と来世を隔てる境界線になる。その橋の番人をやっている「孟老婆」が作るお粥を飲めば、今世の記憶は消えて無くなる。それから「奈何橋」の向こう側へ渡れば、まったく別の人間に生まれ変われる。

  これが長く伝えられてきた輪廻転生の伝説。  

  そして、気がつけばわたしはそこいた。


  緑の木々に囲まれ、ぼんやりとした空間に立たされていた。ここは森の中。少しばかり薄暗かったが、不思議なことに恐怖感はまったくなく、むしろ穏やかで心強い安堵感をわたしは覚えた。川が流れるせせらぎが聞こえ、目を向けるとそこに小さな川があった。川は黒い水を下流へと送っている。わたしは黒い水が流れている川に近づいてみた。そして、一本の道を見つけた。地味で飾り気のない野道。ここに来た人たちをどこかへ導こうとしているようだ。

  考えるよりも先に足が動いた。

  薄暗い森のなか、死んだはずのわたしは一人ぼっち。

  野道の先へと突き進んでいる。

  湿っぽい空気を肺いっぱいに吸い込み、砂利道の上を踏み込んでいく。どこかが現実離れしているようだが、その違和感の正体も見つからない。まるで夢の中のような感覚だが夢じゃないのも確か。先へと先へと進みゆくにつれ、わたしの意識は集中する。この野道の終点にこの答えがある気がする。

  やっと、野道の終わりがすぐそこまでやってきた。

  薄暗い森を抜けたわたしの目の前に、大きな湖が広がった。どこまでも真っ直ぐで、鏡のように静止している美しい湖。その湖の上に、大きな吊り橋が横切り、すごく濃い霧に覆われる向こう岸へと伸びていた。野道と一緒にわたしを導いた川の黒い水は黙々と、この湖の中へ溶け込んでいた。

  火の光りが見える。

  焚き火の光りだ。

  それを囲む人の姿も見えた。わたしはそっとその人に近寄り、焚き火を囲むように座り込んだ。ほのかに暗い夜空の下、勢いよく燃え盛る焚き火は優しくて暖かかった。疲れていたわたしを慰めるかのようにも思えた。周囲はとても静かで、時々に破裂する薪の音しかない。

  わたしは横にいる、隣人を見た。

  一人のお婆さんだった。

  猫背がひどく、顔にはしわで埋め尽くされていた。垂れ下がる老いた瞼が目を覆い隠して、眠っているのか起きているのかがわからなかった。お婆さんは焚き火の火を使って何か煮込んでいた。縦に長い大きな土鍋を使っている。その土鍋の中は何が入っているのだろうすると覗き込もうとしたら、大きく見開いたお婆さんの両目はわたしを睨み付けた。この礼儀知らずの小娘はいったいどこから湧いてきたんだ?っと言いたげな顔つきで、歳月の入った瞼を上下させる。それとも歳を取り過ぎて、何もかもぼやけて見えているだけのことだったかもしれない。わたしといえば、お婆さんから目を逸らして焚き火の方に向けた。まるで悪さをした子供が親を前にしてごまかしている時のようだった。

  やっと来たか。

  っとお婆さんはわたしに言った。お婆さんの声も、しわだらけな顔と同じぐらい枯れていた。わたしは何も答えなかった。長い沈黙が続いた後、お婆さんは言った。小娘よ、いけない事してしまったんでしょ!っと言った。薪が勢いよく弾ける音だけが響き、わたしは押し黙ってまま何も言わなかった。言いたくなかった。そんなことは言われなくだってわかっている、痛いほどわかっている。

  ここで働いてみない?

  働いて、自分がしたことについて考えるんだ。

  わたしはお婆さんに聞いた、どれぐらい働けばいいんですかっと。お婆さんは答えた、まずは手始めに三千年働いてもらおうかっとお婆さんは言った。三千年か・・・ここで、三千年働けばわたしの罪は帳消しになれるんですか?ずいぶんと軽い罰ねっとわたしは嫌みを言ってみた。お婆さんはそんなわたしに構わず、焚き火に向き直って、土鍋の中身に集中した。


  ーーーーーーーーーー

  

  わたしの仕事はとても簡単なものだった。

  人々の魂は彷徨いながらも、かつでわたしが通った道を沿ってここに辿り着く。そんな彼らを焚き火のそばに、彼らの話に耳を傾ける。それから土鍋から出来立てのお粥を飲ませてから、彼らを奈何橋のところへと案内するだけでいい。

  消えない霧に覆われる美しい湖面。

  来世へと続く奈何橋。

  岸辺に散らばる「三生石」

  転生する魂は「三生石」を拾い上げると、自分が歩んだ人生は走馬灯のように映し出される。そして、泣き笑う人もいれば、無言のままに石を元に戻す人もいた、生まれ変わっても必ず復讐してやるっと強く誓う人もいれば、人の世の不条理に疲れ果た人もいた。思い残しにひたすら悔いる人も、愛してやまない人との思い出を惜しみ、転生を拒む人も中にはいた・・・、だがしかし、どんなに執念深く「人の情」を固持したところで、奈何橋の向こう側へと渡れば記憶は消えて無くなり、別の人生を歩まなくてはならない。これは逆らうことのできない輪廻の道、魂は絶えず転生し続けなければならない。たち止まることも、逃げ出すことも許されない。

  

  しかし、そんな中でもちょっとした特別な魂もいた。

  わたしは何度も彼と会った。

  その彼の物語を少し、話そう。

  

  それはこの場所に来て、お婆さんにこき使われてそろそろ五十年目になろうとした頃の話だった。わたしはあの彼と会えた。いつも通りに森を抜け、川を下ってくる魂は湖の岸辺へ辿り着く。焚き火の光りに気付いてこっちへやってくる。その彼はひどく疲れている様子で、何も喋ろうとしなかった。静かに腰を降ろして、暖をとった。彼は黙って焚き火を見つめたまま、静の世界へ溶け込んだ。そのままとても長い空白が続いた。

  最初にこの沈黙を破ったのはお婆さんだった。

  どうだったんだ?

  見つかったのか?

  っとお婆さんは彼に言った。彼は押し黙ったまま答えない。お婆さんはため息をしてから言い続けた、こんな馬鹿げたことをいつまで続くつもりなんだ?っと。それを聞いた彼は一瞬にして今までの表情を崩し、大粒な涙を流し始めた。

  わからない。

  それでも。

  あきらめたくないです。

  っと彼は泣きながら言った。あたりはいつもの静寂を無くし、少しばかり賑やかになった。わたしは土鍋から茶碗一杯分のお粥をよそい、泣く彼に差し出した。これを飲んでください、少しは落ち着くよっとわたしは言った。しかし、彼はそれを受け取らなかった。わたしはどうすればいいかわからなくなった。これを飲まなければ転生へは行けないんだ、人は今世の記憶を持ったまま生まれ変わってはいけない。戸惑うわたしにお婆さんは言った、好きにさせればいい。

  それを聞いた彼はありがとうっとだけ言って、奈何橋の方に向かって歩き出した。

  

  その後、お婆さんは教えてくれた。

  あの魂は愛する女を探しているのだっと。人の海から愛する女を見つけ出すため、前世の記憶を守ることを彼は選んだのさ。しかし、お婆さん!っとわたしは疑問に思ったことを言った、記憶を消さなくても転生することは可能ですか?っと。するとお婆さんはいつもになく厳しい顔で答えた。いけないことに決まっている!そんな魂は人間に生まれ変われやしないよ、罪を背負った魂は畜生の道にしか転生できず、人に殺されて食べられる運命よ。

  しかし、それなのに、どうしてですか?

  彼はそのことを知っているんですか?

  っと引き下がらないわたしはお婆さんに聞いた。人の海から一人の女を探し出すのは不可能に決まっている。しかも、その女は今じゃ生まれ変わって以前とは全く別の人生を歩んでいる。見つけたところで、彼女は何もわからない。

  なのに、どうして探さなければならない?

  それからお婆さんはわたしに、彼のことを教えてくれた。


  生前の彼はかの国の貧乏書生だった。

  故郷を出て、国に仕えるための考試へ赴く道中に旅費を使い果たしてしまった。そして、王都に近いとある村の農家で下宿し、農業を手伝いながら村の子供を集めて塾を開いてお金を貯めていた。そうやって過ぎ行くとある日のこと、好奇心にかられて城外へ忍び出た王の娘と田んぼの中で出会った。そのまま月日が経つに連れ、二人は互いのことを深く愛し合った。しかし、二人の祖国は他国に攻め込まれ、戦争に巻き込まれてしまった。無為な流血を避け、王は自分の娘を生贄として、他国へ送り出すことに決めた。その前の晩、書生は王の娘から一通の手紙をもらった。

  手紙にはこう書かれてあった。

  私たちは出会わなければよかった。それならばこんなにもがき苦しむこともなかったわ。覚えている?人はみんな己の使命を持って生まれたっとあなたは言っていたことを。わたしはわたしの使命を見つけた、それは生贄になって祖国を守ることよ。なのでどうか、わたしのことを忘れて、新しい人生を歩んでください。でも、もしも本当に来世というものあれば、もう一度わたしを見つけてください、そしてその時は力いっぱい抱きしめてください、これは約束よ・・・。

  書生は悔やみ、泣いた。

  無力な自分を悔やむばかりに泣いた、愛する女一人も守れなかった。それから、王の娘が他国へ旅立つその日に、書生は無理やりその馬車を止め、王の娘に近づこうとした。だが、書生はすぐに衛兵たちに取り押さえられて、その場で殴り殺されてしまった。その時、そこにいた全ての人が思ったに違いない。この者は他国の刺客に違いないっと。しかし、そうじゃなかった、書生は聞きたかっただけだった。出会わなければよかった、姫さま!あなたは本当にそう思っているんですか?

  書生の魂は「黄泉の川」へと下り行き。

  そして、約束を守るため、姫を探し出すため。

  奈何橋の番人、孟老婆が作るお粥を拒んだ。


  ーーーーーーーーーー


  ねぇ、お婆さん。

  どうして人はみんな。

  死しても「情」に縛られ、苦しめられなければならないんですか?

  わたしはお婆さんにそう聞くと、お婆さんは土鍋をかき混ぜる手を止め、わたしの顔を見ながら答えた。小娘、お前は人のことが言えるがね!お前だって、その一人じゃないのがね?っとお婆さんは言った。そう言われてわたしは恥ずかしくなった。

  お婆さんの言う通り、わたしは他人をどうこう言えるほど偉くなかった。人の世を滅ぼしかねない魔物を作り出し、その魔物に愛されたわたしも魔物を愛してしまった。そして、その罪を償うためにわたしはここにいるんだもの!っとわたしは言った。すると、お婆さんはゆっくりと焚き火を注いだ。

  小娘よ。

  我思うが故に我あり。

  罪なんざ、感じなければ存在しないものよ。

  っとお婆さんは言った。えっ?どういうことですか?っとわたしは思わず聞き返してした。ここで亡霊を浄化し、制裁を下す役目のお婆さんだからこそ、その言葉に相当な重さがあった。罪は消えないっとわたしは思っている。そして、罪の精算としての天罰は必ずやってくる。だからわたしはこうして何百年もお婆さんの側で働いていた、人の世に災いの種を残した罪を償うために!

  わたしの告白に黙って聞いてくれたお婆さんは笑った。

  小娘よ。

  狼はうさぎを食い殺す。

  それは罪がね?

  わたしは考え、そして答えた。いいえ、罪じゃないとわたしは思う。お婆さんは満足していたかのように頷いた。どうして、罪じゃないんだい?っとお婆さんは聞いた。それは、狼は食べなければ生きてはいけないから、これは世の摂理、罪にあたらない。

  しかし、小娘よ。

  うさぎは狼のために生きているわけじゃない。

  なのになぜ、狼のために死ななければならない?

  わたしはお婆さんの言葉について考えた。確かに、お婆さんの言う通り、立場を変えてしまえば物事の違った側面が見えてくる。正面だと思い込んでいた方向が裏側にだってなれる、ならば、正しい考え方はどこにある?狼はうさぎを食い殺すのは罪か?それとも罪じゃない?

  小娘よ。

  これが煩悩の出処よ。

  っとお婆さんはわたしに言った。人には六つの煩悩あり、抑えきれない性欲、貪るように欲しがる心、驕り高ぶる態度、疑い深い暗鬼、嫉妬まじりな所見、些細なことで憎み怒る、それらに苦しめられるわけは、人はそこに執着をするからよ、小娘、全ては思うが故にあり。

  わたしは考えた。

  我思う故に我ありか、それはつまり、思わなければ何もないということですか?っとわたしは答えた。それを聞いたお婆さんは笑った。本当に楽しそう笑った。わたしはここに来てから初めて、お婆さんの笑顔を見た気がした。そしてこの時から、お婆さんの目にもいくぶんの慈しみが増えた気もした。

  小娘よ。

  っとお婆さんはわたしに言った。

  乾いた水は空へ上がって雲となり、雨を降らすように、生滅流転する万物は無常なり、思い通りにならない苦の人生はみんな同じ、そう、悟りが開かなければ、いくら乗り越えたところで、苦難は姿を変えてまた襲いかかってくる。

  ならば、人は何を悟らなければならないんですか?っとわたしは率直に聞くと、お婆さんは一応答えてくれたが、その言葉は謎めいていて、わたしは理解に苦しんだ。うさぎを食い物にする狼、雨を降らせる雲空、土に帰る木の葉、沈んてはまた昇る太陽、人はその全部を悟らなければならない。

  その言葉の真意がわからなかった。

  少なくとく、当時のわたしには理解できなかった。さらに質問をぶつけても、お婆さんはただ微笑むだけで、今はまだ時じゃないっとしか言わなかった。そして、それもまたお婆さんの言う通りだった。わたしはあるきっかけを待っていたんだ。

  そう。

  その「悟り」というものは外からやってこない。

  お婆さんはこれをわたしに教えたかったのかもしれなかった。


  ーーーーーーーーーー


  一千年。

  お婆さんに仕えて一千年。

  気が遠くなるほど長い時をここで過ごした。

  この一千年の間、わたしは何度もあの執念深い魂に会った。星の数ほどの人混みから、愛する女を探しているあの魂。彼は何度もこの場所へ訪れ、焚き火で体をすこし温めてから来世へ行ってしまう。わたしは彼に声を掛けようと機会を探しているが、いつも喉まで出かかった言葉をそのまま飲み込んでしまう。

  だって、怖いんだもの。

  彼はわたしができなかったことをやり遂げていた。

  彼は自分の心にだけ忠実し、愛する人を力いっぱい愛した。臆病者のわたしとは大違いだった、彼は対抗する運命の荒波を押し退けるほど、勇敢な心を持っている。死してもなお、愛する人との約束を守りためだけにひたすら耐えている。

  それに対して、わたしはただの腰抜けよ。

  生前、わたしは不老不死のために、とある魔物を作り出してしまった。そして、その魔物はわたしのことを愛してくれた、孤独だった心を癒してくれた、誰よりも優しくしてくれた。でも、わたしは恩を仇で返してしまった。綺麗事ばかり並べて、魔物を洞窟の奥へ封印してしまった。

  わたしには、その愛を受け止める勇気はなかった。

  世界を、運命を言い訳に使って、その愛から逃げ出した。だって、わたしが作り出したその魔物は一歩間違えば、人の世を滅ぼしかねない危険な存在だった。人の世から今すぐにでも消えるべき存在だった。最初のわたしも、実験のつもりでいけない好奇心を走らせていたが、気がつけば取り返しがつかない事態になってしまった。これ以上に過ちを犯したくなかった、罪を重ねたくなかったわたしは、逃げることを選んだ。

  しかし、ここで出会ったあの魂は、わたしと違う。

  彼のそのまっすぐな愛はどこまでも正直で、羨ましかった、いけないことだとわかっていても愛を突き通す勇敢な心を持っている。わたしにも、その勇気があれば、もっと違った結末を迎えられたのかもしれない、でも、いまさら何を言っても言い訳に聞こえてしまう。

  すると、お婆さんはわたしに言った。

  そんな彼のことが同感できるなら、助けてみないか?

  っとお婆さんはわたしに言った。もちろん、そうしたいんですが、わたしにできることはあるんですか?っとわたしはお婆さんに聞いてみた。すると、お婆さんは懐から石ころを取り出して、わたしにくれた。それはどこにでもある、ごく普通な石ころで、特に目立つところはなかった。わたしはそれを手にして、触ってみた。これはなんですか?っとわたしはお婆さんに聞いた。

  これは三生石。

  生まれ変わる前世の記憶は中に閉じ込められている。

  そしてあの人が探している娘の三生石よ。

  時が来たらあのバカに渡そうと、前から取っておいたんだ。

  今はお前にやるよ。

  わたしはこのどこにでもありそうで、平々凡々な石ころの大切さを知った。これを持っていけば、彼は愛する人のところへ行けるんですね!っとわたしはまるで我が身に降り注いだ幸せのように、嬉しそうな顔をしてお婆さんに感謝の言葉を言った。

  お婆さん、ありがとう!


  そして百年後。

  また一生を終え、あの彼は黄泉の川を下ってきた。

  疲れ果てた彼は何も言わず、焚き火を囲んでわたしとお婆さんのそばに座った。暖かく、優しい火の光にひと時にしか、彼は休むことができない。終点が見えない輪廻の道、尽きることのない暗闇しかなく、積み重ねる幾度の世の悲しみは積み重なり、想像を絶する重荷を彼は背負っているに違いない。  

  でも大丈夫!

  悲しみの連鎖もこれで終わるのよ。

  束の間の休息を取った彼は立ち上がり、奈何橋へ向かった歩きだした。その足取りは重く、切ないほど弱々しかった。わたしは勇気を出して、彼の後を追いかけた。そして、彼を呼び止めた。近づき、彼にお婆さんから預かった三生石を渡した。

  彼はその石ころを手にして、戸惑った。

  教えてください。

  この一千年の間、諦めたいっと思った時はなかったんですか?

  っとわたしは彼に聞いた。彼は少しだけ考えてから、あるっと答えた。

  生まれ変わって、数え切れないほどの人の海に押し出されたその時、いつも言いようのない絶望感に覆われ、崖っ淵に立たされている気がする、だって、こんな多い人の中から見つかるはずがないんだ!孟老婆が出すお粥を飲み干して、全部の全部を忘れてしまいたい衝動なんて、ないわけがないよ。

  わたしは彼の話しに耳を傾け、彼は言い続けた。でも、おれはやっぱり、それを飲むことはなかった、多分これからもないだろ、どうしてかおれにもわからない、だからその理由も聞かないてくれ。

  あなたはすごいわ、わたしもあなたのようになりたいっとわたしは彼に言った。あなたが手にしているのは三生石、それを持っていれば、今度こそ探している人のもとへ行けるわよ。

  彼は驚いて、手の中に握っている平凡な石ころを見下ろした。

  孟老婆は許してくれたのか?っと彼は恐る恐るに聞いてきた。魂の浄化だけでなく、はみ出し者の誅罰もする孟老婆、穏やかで親切なお婆さんにも恐れられている一面はあった。そして、彼はもう一度聞いた、孟老婆は本当に、おれがしたことを許してくれたのか?

  その彼の言葉を聞いて、わたしはなぜか、一千年も前にお婆さんとの会話を思い出してしまった。彼はわたしと同じ、罪を感じていた。しかし、お婆さんはわたしに言ってくれた、我思うが故に我ありっと、だからわたしは彼の質問に答えた。

  許すも何も、あなたは最初から、何も悪いことはしていない!

  わたしは一千年も前、お婆さんが言ってくれたことを思いながら言った。うさぎを食い物にする狼も、雨を降らせる雲空も、土に帰る木の葉も、沈んてはまた昇る太陽も、それはそこにあるようで何もない、世は移り変わり・・・それは無常なり、だから罪なんてものも、最初からないよ!

  彼は目を丸くして、必死になって語るわたしを見つめていた。

  孟老婆もそう考えている!だから、早く行って、愛する人を見つけなさい、今度こそ、幸せになってね!だって、あなたはこのために、一千年も苦しみ続けてきたんだから!

  わたしは自分でも気づかないまま、感情的になっていた。これは彼にだけ言ったわけじゃない、わたしは自分自身にも同じ言葉で語りかけた。臆病者で、綺麗事ばかり並べ立てる自分の背中を押したかった、なにが世の中のためよ、なにが運命よ、そんなもの放っておけばいい!

  ありがとう。

  彼はわたしに言った。

  それから男の子にしては情けないほど大きな声で、泣き崩れてしまった。それはまるで、道に迷った子どもがようやく帰り道を見つけたかのようだった。尽きることのない輪廻は怖かったに違いない、会えるはずもない人を探し求めて一千年、相当辛かったはずだった。そんな彼の姿を見て、わたしはわたしが作り出した不死の魔物を思い出した。不死の魔物を殺すだけのために存在する召喚陣を前に、ねじ伏せられてなお私に願い、許しを乞う目、枯れた声。

  彼も、わたしも十分すぎるほどの試練を受けたはず。世の摂理なんか投げ捨ててもいいはず。幸せになってもいいはず。奈何橋の向こう側、霧の中にある来世へ消えた彼、その後ろ姿を見届けながらわたしはそう思った。


  ーーーーーーーーーー


  お婆さん、ありがとう。

  っとわたしはお婆さんに言った。しかし、無愛想なお婆さんはまるで、何も聞こえなかったような態度をとった。土鍋でお粥をじっくり煮込み、火の度合いを見ていた。わたしはお婆さんの言う「悟り」というものを得た気がした。勇気も、そのついでに頂いた。

  今度こそ、うまく愛せる気がする。

  

  そして、三千年の月日は過ぎ去り、わたしがここを去る日がやってきた。

  その日は少しだけ、特別な日だった。

  お婆さんは眉間をきつく締め、ただ真上を見上げていた。まるで、明けることのないこの空の向こう側を見透かそうとしているかのようだった。わたしは不思議に思い、お婆さんにそのわけを聞こうとしたその時、わたしもそれを感じてしまった。

  全身に突き刺さるほど、重くのしかかる血の生くさい臭い。

  感情が吹っ飛んでしまうほどの狂気。

  凄まじい殺気。

  それに驚かされたわたしは立ち上がり、お婆さんと同じようにここの明けることのない空をただ見上げていた。それから、わたしは懐かしい何かに包まれ、この感覚を思い出した。三千年前、わたしの前に跪き、許しを乞う不死の魔物が漂わせていた陰気の塊となんら変わらない。

  わたしが封印した魔物が目覚めた。

  そして彼は今、内側に閉じ込めていた怨みを吐き出していた。

  そのせいで、人の世は空前の危機に瀕している。

  わたしがかつて、心配していたことがいま現実となった。わたしはお婆さんを見た、お婆さんは悲しそうな目をしていた。お婆さんもきっと知っているはず、黄泉の川、奈何橋も震わせる陰気の源を。わたしはお婆さんに向き合い、お婆さんの言葉を待った。

  もう、三千年か、今までよく働いてくれたよ、小娘。

  お婆さんはゆっくりとわたしに言った。あの魔物との因果を断つ時が来た、小娘よ、もう人の世へ戻ってもいいぞ。

  わたしは今までにない真剣な顔のお婆さんを見つめ、力強く、わかりましたっと答えた。それからわたしは三千年も居たこの場所を最後にもう一度見渡した。もう、二度とここへは戻れないかもしれない、だから、わたしはできるだけここの全てを胸に留めようとした。

  人の世へ渡るためには、奈何橋を通らなければならない。

  奈何橋を前にして、わたしは立ち尽くしてしまった。後ろへ振り返れば、梅干しのようなお婆さんはわたしを見送るために、奈何橋まで来ていた。お婆さんを遠くで眺め、言いようのない切なさがこみ上げて、喉に突っかかっていた。そして、瞬く間にたくさんの涙と変わり、溢れ出してしまった。だから、わたしはお婆さんに言った。

  三千年もの間、大変お世話になりました。

  嗚咽で声がままならなかった、しかし、わたしはそれでも言わなければならないっと思って声を絞り出そうとした。どうか、最後まで言わせてください。

  お婆さん!いろいろと教えてくれて、ありがとうございました!

  ええい、小娘め!泣くんじゃない、そんな弱虫に育てた覚えはない!っとお婆さんは怒鳴った。でも、小娘よ、辛くなった時はいつでもここに戻ってもおいでいいよ、ババはいつまでもここに居る!生意気な小娘を待っている!

  わたしは震える声でお婆さんに応えた、はい!また来ますっと。

  それからわたしは踵を返して、奈何橋の上を歩いた。晴れることのない霧の中へ入り、向こう岸へひたすら向かって進んだ。


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