義務
おれは、木の影に身を隠して立ったまま、動けなくなった。
少し向こうには、セナが見える。
彼女は地面に倒れていた。
顔から血の気が引いた。
崖から落ちたのだ。
考えることよりも先に勝手に体が動いた。
駆け寄ろうとした。
だが、おれよりも早く、彼女の元に駆け寄った者がいた。
白髪の美しい男。
白夜だ。
セナの、婚約者。
上等な己の衣が泥にまみれるのも厭わず、セナの傍らにしゃがみ込んでいる。
おれは、その場に縫いとめられたかのように木の影から動けなくなった。
「……は」
唇から自嘲が漏れた。
そうだ。
あいつらも言っていたじゃないか。
おれは、もうセナの騎士じゃないって。
「何を……やっているのだろうな……おれは」
自分の婚約者をほって捨ててまで、主だった娘を救いに行ったらこのザマだ。
自分のまぬけさに反吐が出る。
おれは、それでも動けなかった。
ただ、白夜に抱き上げられて、運ばれていくセナを木の影から見送っていた。
「おれは……」
あの場所にいた。
彼女の傍、という場所にいた。
本来なら、彼女を抱き上げて運ぶのはおれの役目……だった。
だが、もう戻れない。
過去の事だ。
今はもう違う。
彼女を守っていいのは、あの男だけなのだ。
あの、白夜という男だけ。
セナの婚約者。
焼けつくほどの羨望が胸を焦がす。
ようやく、今になって父の言葉を理解した。
早く、セナを忘れろ、諦めろ、とはこういうことだったのだ。
でなければ、今のおれのように、滅茶苦茶に精神を打ちのめされるから。
「……は」
また、自嘲がもれた。
己のあまりの女々しさに、嗤ってしまった。
己に、こんなにも女々しい所があるだなんて、知らなかった。
こんなにもはっきりとおまえの居場所はセナの傍にもうない、と示されたというのに
……おれはまだ、彼女をあきらめていない。
「――――――行かねば」
おれの、婚約者殿の元に。
盗賊に襲われた姫君を救いに。
婚約者としての「義務」を果たしに。
きつくこぶしを握る。
おれはのろのろと動き出した。
体が鉛を詰め込まれたかのように重い。
わかっていた。
わかっていたんだ。
あなたには、相手がちゃんといるって。
それが自分じゃないって。
でも、期待してしまう。
望んでしまう。
どうか、自分を選んでほしいと。
おれは――――――――――――
ああ
私は―――――――――――――
それでも、あなたを――――――――――――――――――――――――――――
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