婚約
*おまえの婚約者を決めた。
ある日唐突におれを自室に呼んで、父はそう言った。
おれの口から、はあっ!?とすっとんきょうな声が漏れた。
「おまえ。
恐れ多くも、セナ様に懸想しているだろう」
事実を言い当てられて、どういうことだ、と問い詰めたいのにできなくなった。
いつから気付かれていたのか。
誰にも気づかれぬよう、ずっと押し殺してきたつもりだったのに。
適当な言葉が見つからず言いあぐねていると、父はため息をついた。
「やはりな。
……おまえもか」
やはり?
おまえも??
「ま、まさか、父上も姫様を……!?」
「違う。
……どれだけ、セナ様のことが好きなんだ」
じとりとあきれたようなまなざしを父から向けられ、思わずしかめっつらになる。
好きなものは好きだ。
これは……どうしようもないものだ。
「セナ様でなく、彼女の母上様だ。
彼女を……愛していた」
父はセナの母の騎士だった。
おれの母と婚儀をあげるまで、ずっと守り従っていた。
父の瞳の奥には小さく炎がくすぶっている。
それだけで、いまだにセナの亡き母を愛しているのだとわかる。
愛していたじゃない。
愛している、のだ。
「彼女たちのように、清らかで美しく、
他者のためならば己をかえりみない無防備な娘。
強くて、もろい娘。
……そのような娘に出会えば、
守りたいと、愛しいと思わずにはいられぬだろうよ」
おれはまっすぐに父の目を見た。
一体、何をおれに言いたいのだろう。
「おまえの母は、おれの父が決めた娘。
セナ様の母上のことを早く忘れるようにとあてがわれた婚約者だ」
「母を……愛しては、くださらなかったのですか……?」
母の美しく、ひどく寂しげな微笑が脳裏をよぎる。
彼女の笑みはもう見られない。
セナの母と同じく、病に倒れ、帰らぬ人となった。
「愛した。
精一杯、大切にした。
……だが、彼女とは、比べ物にならない。
気づけば、目で追う。
想うのは、彼女のことばかりだ」
身勝手な父の言葉。
だが、責められない。
おれも、同じだから。
「おまえに婚約者を与えたのは、早くセナ様のことを忘れさせるためだ。
『妻』という、新しい守るべき存在を与えてな。
おまえは、じきにセナ様の騎士の任を解かれるだろう。
早く忘れた方がいい。
おまえのためにも、セナ様のためにも。
騎士は、本当に愛しい者とは決して結ばれぬ運命なのだから」
父のその諦観漂う表情に違和感を感じる。
嫌な胸騒ぎがする。
騎士は、本当に愛しい者とは結ばれぬ、運命……?
騎士の任を解かれる……?
まさか。
「早く忘れた方がいい。
……セナ様にも婚約者ができたのだから」