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徒然なる短編

私のための小説、届けたい想い

作者: 夢物語

「単刀直入に言うと、お婆ちゃんが倒れたのね」


 今も覚えている、母親が告げた言葉。携帯から聞こえてきた母親の言葉はどこか優しげで、それと一緒に何かを隠しているように聞こえた。

 夕方五時頃、自分はコンテストの小説の内容を考えているところだった。コンセプト、設定、プロットも密に練って、今回はとにかく”落ちたとしてもやって良かった小説を書く”という気持ちでやっていた。冒頭も決まり、さて何を書こうか、どうすれば楽しい小説になるかを考えてた。

 そんな時にかかってきたのが、電話と初めの言葉であった。受け取って最初に出た言葉は、「本当?」なんて気の利かない一言だったことをよく覚えている。

 そしてその後に「医師に家族を呼んでほしい、と言われたようでね」と言われた一言も。


「だから、○○県にきて欲しいのよ」


 倒れた状況も、帰るための手段も伝えられずに。たった一つ、願望だけを伝えられた。その後、思い出したように詳しいことはまた連絡するとは言ってくれたけど。

 以前も似たようなことはあった。転んで、倒れたって。でもそれは小学生の頃、まだ大学生でもない私は下宿もしていないし、まず内容も理解しようとする思考を持ち合わせていなかった。

 それが今回は違う。自分はもう大人で、医師に言われた一言がどんな意味を持っているのかも理解出来てしまった。

 当然、答えは二つ返事。次の日が休日で、明後日に控えるバイトも休ませてもらうように急いで連絡をして。すぐに行くための準備をしていた。


 その日の夜だが、飲み会が開催されていた。一か月前から研究室のみんなで楽しみに企画していたもの。だけどいつでも帰れるように出席だけはして、酒はほとんど飲まなかった。当然、みんなに気を使わせたくなかったからそのことは口にしていない。

 それに飲み会の時も電話をしたし、されたのも覚えている。いつ帰ればいいか、どこに行けばいいかもトイレの中で計画を立てていた。手術をしていることや、今帰ってきても仕方ないとか。母親は病院でお婆ちゃんに付き添っているから、俺が迎えに行くという父親の話も。

 今なら自分の気持ちを汲み取ってくれたのかと分かる。落ち着いた声で安心するように伝えてくれていたのだった。

 次の日に○○駅にて午後に集合で兄もそこで集まることを、言われるがまま、自分は頷きつづけていた。


 それからあっという間だったような気がする。飲み会で騒いでても全然眠れなくて、BGMをかけて、もしかしたら連絡が来るかもと携帯をちょこちょこ覗いていた。

 寝たのは夜中の五時半、そして起きたのは朝の九時。そこから最寄駅から乗り継いで○○駅へ向かって、電車の中では流石に疲れを感じて、少し仮眠を取る。それだけで十分であった。

 乗り継ぎの駅で迷っていたのも、そのために電車一本逃してしまったハプニングがありながら、何とか○○駅に着けた。早めの電車に乗っていたことが助かったのは本当だ。

 ○○駅に着いて父親と合流して、兄と合流して。車に乗り込んで病院へ移動。

 そこで初めて倒れたことについて、父親の口から手術は一旦成功であること、そして病状についてを伝えられた。

 ――くも膜下出血――

 小学校の時、近くの友達が亡くなった時の病症と同じ、その単語であった。その言葉に思わず口元が固く結ばれてしまう。どうしてそんなことが、なんて聞くのも怖くて、状況だけを聞いてた。

 足腰も弱っていたお婆ちゃんは家の中で柱にぶつかってしまったようで、最初は何ともなかったようだけど、徐々に頭に違和感を覚えての病院へ。そして今に至るとのこと。


 病院へ向かった先では、集中治療室用の控室みたいな場所に案内された。

 親族が全員集まっていた。お爺ちゃんに、母親の姉に当たる人、その夫に、いとことなる人。そしてもう一人の姉さんの計五人。みんな笑顔で手を振ってくれたけど、とても再会を喜び合う形ではなかったのをよく覚えている。

 面会は少数、私と兄と父で行くことになった。多くの医療関係者たちの話し合いやらを見ながら、私たちは更に奥へと入っていく。

 何台もあるベッドから、お婆ちゃんを見つけるのは苦労しなかった。父親が覚えていて、そこまでの場所を案内してくれたから。

 でも、そこで見たのは、正直に言えば誰、と言いたかった人で。

 正確に言えば、頭が凹んでいたのだった。

 どこかのアソパソパソが誰かにパンを上げて欠けたような状態。髪の毛だって手術後のために無い。

 予想はしていた。だけど、実際に見てどう思ったかなんて冷静に判断出来ない。出来なかった。

 まさに小説で散々書いてた、胸を締め付けられる想いでしかなくて。

 本当にあった面影は、あの優しそうな目元と柔らかそうな頬だけ。

 もう、会いに来た時の抱きしめてくれた笑顔や、帰る時に泣いた時に見せてくれた困った顔もしてくれなかった。目も閉じて、呼吸音も聞こえない。聞こえるのは、心電図の音だけで。

 父さんと兄は、落ち着いたように係り付けの医師に状態を聞いていたけど、私はじっとお婆ちゃんを見てるだけだった。管に繋がれ、心電図モニターが鳴っているその全体を、眺めているだけだった。終わるまで、ずっと眺めていただけ。

 延命治療の辛さが、この時身を持って分かった気がする。

 時間はたった5分。それだけで、お婆ちゃんとの再会は終わってしまったのだった。

 それなのに涙は……流せなかった。

 大人になってしまったというのか。子供のころ、あれだけお婆ちゃんと別れることだけで泣いていたあの時と違って、私は嫌な成長してしまったのかもしれない。そんなことを感じさせられた。

 控室に戻った私は、再び親族と面会することになる。

 大きくなった、もう××くん(私の親族間での愛称)と呼べないね。なんて親族特有の会話を苦笑いで過ごしていた。

 そんな時に言っていた中で、一番心に来たものがある。


「お婆ちゃんねぇ。ずっと××くんに会いたい、××くんに会いたいって言ってたのよ」


 何気ない一言だった。多分会いに来てくれたから、お婆ちゃんもきっと喜んでくれるだろう。そういう意味を込めて言ってくれたものだ。

 だけど、私はそれを聞いて、凄く後悔をしていた。


 大学に入ってから会わずじまいだった。お婆ちゃんに会ったのは高卒の時で。

 また会いたいね。というお婆ちゃんの笑顔に、また大学で落ち着いたら遊びに行く、なんて口約束だけが記憶に残っている。

 大学生活中、いくらでも時間を作れたのに。

 ○○行くのは時間がかかるから、また家族と一緒に、余裕が出来た時じゃないと、なんて後回しにしていた。

 そして……気付いた時には、こうなっていた。

 もうお婆ちゃんと笑顔を見せ合うことが出来ない。しかも、ずっとかもしれない。

 これほど怠惰にしていた自分を、憎んだことがあっただろうか。本当に馬鹿だと思えて。

 せめて少しでも、一日だけでも会ってたら、お婆ちゃんは喜んでくれたのかもしれない。たった一日だけでも。

 その時だけ、目頭が熱くなったのを覚えている。


 その日の夜に私は下宿先へと帰った。というのも、大学の院の試験準備があったからだ。

 国立の理系での大学院。自分の大学とはいえ、落ちる訳にはいかない。落ちてしまえば今から就活をしないといけないという、ややこしい話になってしまい、当然お婆ちゃんの見舞いさえ難しくなってしまう。

 家族からも、「一旦は落ち着いたから、また何かあったら連絡する。だからあなたは院の勉強に集中しなさい」と言われた。

 私は、既に決めていた。

 絶対に受かって、お婆ちゃんに吉報を届けると決めたのだ。

 自信を持ってお見舞いに行きたくて、今度顔を見せに行く時は、絶対に笑顔を見せて行くって決めて。

 そして何より、後悔をしたくなかったから。もう次なんて無いと、ずっと思っていた。

 とにかく勉強したのを覚えてる。今までと違って、時間があれば参考書を開いて勉強して、少しの合間をコンテスト小説に割り当てて。そのためには睡眠時間だって割くことを惜しまなかった。卒業研究も疎かに出来ない状況。

 ……リポD何本飲んだか分からないぐらいだ(笑)

 週に一回はこちらから家族に電話を掛けて、お婆ちゃんの様態も聞いていた。安定してきたことを聞いて、更にやる気につなげていた。

 絶対に落ちる訳に行かない。そしてコンテストは自分が以前から決めていたモノでやりきってやる。そんな強い想いは一か月続いていた。


 ……本当に、激動の日々を続けていたような気がする。

 結果……八月の末、お婆ちゃんに笑顔を届けられる自分がいた。

 

 コンテストの方は……少し時間がなかったかもしれない。もう少し展開がなんて、悔やまれる部分もあったのは本当の話です。……でも笑い話で済む問題であったのも本当。

 初めての挑戦、出せた事が何よりうれしかったのを覚えている。 


 そして九月上旬。私は○○県へ行って、家族と一緒にお見舞いに向かった。

 その手には合格通知があって、お婆ちゃんに笑顔を見せて、会いに行けて。

 今回は違う病院の病室で、4時間ぐらいお婆ちゃんの傍で看病をすることが出来た。身体を動かしたり、汗を拭ったりしていた。これが意外に重労働で、教わりながら一生懸命手伝わせていただいた。とても大変だったけど、凄いうれしかった。

 でも本当に嬉しかったのは、目を開けてくれていたこと。

 まだ意識としてはボーっとしてるようだったけど、前回と違って見てくれてて。

 きっと自分の笑顔を、見てくれたと信じている。

 更にはお婆ちゃんも、今は意識の回復が少しずつされているとの事だった。最近は、時折頷くことが出来るようになったとか。これからも少しずつだけど、回復しているという話も聞いている。

 本当に、嬉しかったです。


 ……今のお婆ちゃんはゼリーを口に含んでニコッと、笑ってくれるようになったと話を聞いた。

 お婆ちゃんは、今もなお懸命に生きようとしている。

 だからこそ私はこれからも笑顔でいられるように、出来ることを精一杯、頑張っていきたい。

 それが、お婆ちゃんに届くと信じているから――――

この小説を手に取ってくださり、ありがとうございます。


あなたの周りにも大切な人がいると思います。そんな人が気づいたときには……なんてことがあるかもしれません。そうならないためにも、日々を後悔しないでください。胸を張れるような日々を送ってください。

私はそれを伝えたくてこのような小説にしました。


最後に、祖母への一言で筆をおくことにします。

「また元気な姿で、会いに行きますね」

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