6
グリムリーパーの決まりを破ったものを、堕ち人という。彼は、グリムリーパーの決まりを破ったのだ。
決まりを破らせたのが私だとフードのグリムリーパーは言っていた。異端の魂であり、死期をすでに過ぎている私とグリムリーパーの関係は、あの崖での出来事から始まった。
仮に、グリムリーパーの弱点を人間に知られてはいけない、グリムリーパーは人間から貰ったものを口にしてはいけない、ということがグリムリーパーの決まりでないのなら、彼が決まりを破ったのは私が助けられたあの崖でのことである。
―――考えられるのは、あの時が私の死期であったのに、魂を獲らず、救ったことが決まりに反する、ということだ。
「……なぜ、あの時、私を助けたの……?」
涙を拭いながら、彼に尋ねる。私をいっさい見ようとしない彼は、黒い髪で隠れて表情が見えなかった。黒いコートがないのに、今度は髪の毛が邪魔をする。
「……死期ではなかったからだ」
「うそ!あの時で私は天寿を全うとするはずだったのでしょう?あのグリムリーパーが私の魂は異端だって……死期がとっくに過ぎているっておっしゃっていたのよ!私が思い付くなかで死を感じたのはあなたに助けられたあの時だけ!」
金切り声をあげた私に、ようやくこちらをみた彼は、いつものポーカーフェイスを見せてくれなかった。
「……どうして、あなたが泣きそうな顔をするの?」
彼は痛みを堪えるような、それでいてなにかから解放されたかのような、微妙な表情をしていた。綺麗な黒曜石は、私をうつしている。
「……しるしを持ったグリムリーパーは、グリムリーパーではなくなる」
やっと口を開いているところをみれた。口元にある痛々しい傷に思わず目がいく。
「人間を捨ててグリムリーパーとなったのに、グリムリーパーではなくなった俺は、なにになるのだろうか」
その自嘲の含んだ言葉に、慌てて瞳をみる。それはもはや私をうつしてはいなかった。どこか遠い―――過去を振り返るようなものであった。
「……あなたがグリムリーパーではなくなったのなら、私はあなたをなんて呼べばいいのですか?」
似たような質問を前にもしたけれど、なぜか今は答えてくれるような気がした。
もう一度私を見つめてくれた彼は、その整った顔を歪めた。
※
―――ある貴族に、赤子が産まれた。その赤子は生まれつき黒持ちだった。黒は忌み色とされるこの国で、その色を一身に持った赤子を、父は世間から隠すことで体裁を守ろうとした。
赤子は幽閉されたまま、少年時代を過ごした。一家から黒持ちが出たとほかの貴族に知られたら、この一族は終わりだと赤子の父が考えたからである。
黒持ちの少年は、これからも、冷たい牢獄で過ごさなければならなかった。殺さなかったのはほんのすこしばかり残っていた両親の少年への情であった。
その少年に同情するものがいた。少年の父の弟である。少年にとっては叔父にあたるその人は、黒持ちに偏見を持っていなかった。
しょっちゅう少年の牢獄に来る叔父が、少年にとって唯一の世界であった。
少年の声が変わる頃、叔父に愛娘が産まれた。
叔父の奥方も黒持ちに偏見を持っておらず、叔父と連れ立って牢獄に来たこともあった。
その時に抱いていた赤子に、少年は目を奪われた。
自分の姿を嫌悪してやまなかった彼の目にうつったのは、穢れを知らない小さな赤子。
真っ黒な自分とは真逆のまっさらな存在。
少年は、その赤子に触れるのを躊躇った。自分が触れることで赤子を穢してしまうのではないかと危惧したからである。
そんな少年を見て、叔父はわらった。いいから、抱いてごらん、と。
恐る恐る触れた赤子は、柔らかくて、少年にあたたかな気持ちを呼び起こした。赤子から、希望に満ちており、二人の愛情を一身に受け入れている幸福を感じたのだ。
少年は気づかなかった。赤子から溢れる希望に満ちたものが、この赤子の魂であることに。少年が、その魂を生まれながらにして感じとることのできる、グリムリーパーの素質を持っていることに。
―――叔父たちと過ごす少年にとっての幸せな日々は、あっけなく崩れ落ちた。
もともと少年の父親を嫌っていたある貴族が、どこから入手したのか黒持ちがいるという情報をもとに、傭兵を少年の屋敷に送り込んだのだ。
その傭兵たちに、少年の両親はもちろん、屋敷に働いていた使用人や一家に荷担していた商人までも皆殺しにされた。
そのなかに、叔父もいた。
叔父は、最後の最後で少年を牢獄から出したのだ。今までの仕打ちを許してくれ、生き延びてくれ、と。
そこで少年ははじめて、叔父が少年の見張り役だったことに気づいたのだった。少年の父が、黒持ちが、屋敷内にいるということが漏れないように、身内であり最も信用のおける自分の弟にその監視を命じたのだった。
少年は、逃げた。
途中で傭兵と思われる男に出会い、顔を切られたが、髪の色と瞳の色をみた男は勝手に少年から逃げていった。
逃げて、逃げて、気がつけば少年はグリムリーパーとなっていた。
もともと魂を感じとることができた少年は、グリムリーパーとなるべく地上に生まれでたのだとぼんやりと思うようにしていた。
そうやって生きてきて早数年。
青年になった少年は、天寿を全うする魂を感じた。
グリムリーパーとなるために、あるグリムリーパーのもとで修行していた少年は、もはや一人前のグリムリーパーとして、成長を遂げていた。
産まれた頃から感情の起伏が少なく、地下牢にいたときにトラウマになったゴキブリ以外では顔の筋肉を動かすこともなかった。
そんな青年は、現場に向かった際に、大きく顔を歪めることとなった。
覚えのある魂を、感じたからだ。
あたたかな存在。いるはずのない人間。
自分を騙していた男の子供。
―――気がつけば、青年は、彼女を……自分の従姉妹を助けていたのである。