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結局、住み込みの恩返しは却下されたものの、通いでのゴキブリ退治を許可してくれた。嫌々ながらも私が来たときはドアを開けてくれるし、グリムリーパーの顔色を気遣った私の差し入れも食べてくれる。
私といるときはグリムリーパーは家を離れない。魂を獲りにいかないのかと問うても、無表情を突き通すだけだ。仕事にいかないのなら、どうしてコートを脱がないのか理解に苦しんだ。彼は、襟の長いコートを家の中でも脱がないのだ。そのせいで私はいまだにグリムリーパーの顔の鼻から下を見たことがない。グリムリーパーの食事をこっそり見ようとしたが、いつ食べたのか私の差し入れたバスケットはいつも空になっているのである。
「どうして口元を隠すのです?」
……私の何度めかの差し入れの際、痺れを切らした私はグリムリーパーに問いかけた。
「私がまだ小さかった頃みたとき、グリムリーパーさんそんな襟の長いコート着てませんでしたよね?」
父が亡くなったときにみたグリムリーパーは、真っ黒なローブを着ていた。幼い頃の記憶が確かなら、口元は隠れていなかったはずだ。それなのに、なぜ今は口元を隠すのだろうか?
私がゴキブリ駆除の薬草を焚いて屋敷内に煙を充満させていたため、私とグリムリーパーは中庭にいた。雑草がはえている中庭は、きちんと手入れをすればそれなりに見映えが出るだろう。ほこりのとった椅子を持ち込みそれに座った私は、木に寄りかかっているグリムリーパーを見つめる。
「……俺は、グリムリーパーとして存在してからずっと、このコートを着ている」
随分と長い間ののち、私には一切目を向けずにグリムリーパーは声を発した。
「え、でも、あの時はローブを着ていたじゃないですか」
「……」
沈黙。グリムリーパーはいっこうに喋る気配がない。……つまり、ずっとそのコートを着ているということは事実であり、そのことはもう私に伝えたからほかの言葉はいらないだろう、ということだ。
少しの間だけれどグリムリーパーと一緒にいてわかってきたことがある。必要なことしか話さないのが彼だ。ということは、私があの時みたグリムリーパーは―――
「違うグリムリーパーだ」
「……この村に、あなた以外のグリムリーパーがいたなんて……」
グリムリーパーは人から嫌われている。近づこうとしない人がほとんどだ。それはすなわちグリムリーパーの生態を知るものがいないということだ。グリムリーパーがなぜ人の魂を獲るとか、そもそもなぜグリムリーパーが魂を獲ることが出来るのか、知らないのだ。死神―――グリムリーパーということは、彼らは人ではないのか、知ろうともしなかったのだ。
私は急に怖くなった。目の前にいるグリムリーパーが怖いというわけではなく、グリムリーパーの存在を「人の魂を獲る死神」としか認識していない世間に恐怖したのだ。
「……グリムリーパーさん、名前を教えてくれませんか?」
私がそう問いかけてやっとグリムリーパーはこちらを向いた。ポーカーフェイスの向こうに、なにが隠されているのか無性に知りたい。
「なぜ」
「あなた以外のグリムリーパーの存在を知った今、あなたのことをグリムリーパーさんだなんて呼べません」
「なぜ」
「もしここに、あなた以外のグリムリーパーさんがいらっしゃったら、私はあなたに声をかけるとき、なんて言えばいいんですか?グリムリーパーさんと声をかけたらあなた以外のグリムリーパーさんも振り向いてしまいます」
じっとこちらを見つめるグリムリーパーに、少々居心地が悪くなる。真っ黒な瞳は黒曜石のようになめらかだ。顔の半分が隠れていてもわかる、恐ろしいぐらいに整った顔立ちに見つめられる平々凡々な私が恥ずかしくなった。
「……必要ない」
「え?」
「あんたが俺の名前を呼ぶような機会はない」
ふい、とそらされた視線に少しほっとしたものの、かけられた言葉に眉が寄った。
「グリムリーパーとグリムリーパーが会うことはない。偶然も必然もない。それが決まりだからだ」
グリムリーパーは木に寄りかかるのをやめ、屋敷へと歩を進める。煙が十分に充満したいい頃合いだ。私も椅子を持って換気をするために屋敷へと向かう。
―――私がいくらグリムリーパーのことを知っても、大事な部分には手も触れさせてくれない。
謎の言葉を言及したくても前を歩くグリムリーパーには質問を受け付ける隙がなかった。……人はグリムリーパーのことを嫌っているが、反対を考えたことがなかった。
少しだけ、寂しかった。