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死神は作者の勝手なイメージで西洋風の死神です。
舞台も発展した都市から離れた廃れた西洋風の村というざっくばらんな設定です。
死者の魂を狩り獲る死神、グリムリーパーがこの国には存在する。闇を抱えている彼らは忌み嫌われ、ほかの人間は近づこうともしなかった。彼らに近づくと、自分の魂を獲られるのではないかと危惧するからだ。
―――そんなグリムリーパーが、今、私の目の前にいる。
襟の長い黒いコートで口元を覆い隠しており、背には大きな鎌がかけられている。ひょろりと長い身長をかがめ、革の手袋で覆われた手で私の腰を引き寄せていた。ちらりと後ろを振り返ると、昨夜の雨で水かさの増した川がごうごうとうねっている。雨のあと絶壁でしか咲かない薬用の花をもとめ、この場所へとやってきた。そして、うっかり足を滑らせ―――今に至るというわけだ。
崖から落ちそうになった私を寸でのところで捕まえたグリムリーパーは、私の腰を掴んでいないほうの手で支えていた木の枝に力を加え、ぐいと私を引き上げた。そのまま私を柔らかな草の上に置き、ほんの少し彼は私を眺めていた。
「どうして……」
やっとのことで出た声は、自分でも驚くほどに震えていて……自分の体も震えていることに気が付いた。
両手で震える肩を抱いていると、グリムリーパーは私を一瞥したのち、暗い森へと姿を消した。
「お前はまだ死期ではなかったからだ」
そんな言葉とともに。
※
私は小さいころに一度、グリムリーパーに会っている。父が死んだ時だ。
父の部屋にはお医者様がいらっしゃていて、青白い顔の父の横たわっているベッドの周辺は、そこだけ異様な空気が漂っている気がした。居づらくて私は父の部屋から抜け出し、玄関で座り込んでいた。父の容体が急変したのは真夜中だったから、私のすんでいる住宅街には一つの明かりもついていなくて、心細く感じた。ふと、空気が揺れる気配がして暗闇に目を凝らすと、真っ黒なローブを纏った人間が近づいてくるのが見えた。そのまま見つめていると、その人間の右手に何か棒のようなものが握られているのに気付いた。父の部屋から漏れる小さな明かりがその人影を捉えた瞬間、私の背中に恐怖が走り、体が震えだした。
(グリムリーパーだ。お父さんの魂を獲りにきたんだ……!)
その人影には、大きな鎌が握られていたのだ。
私は震える体を抑え込み、ゆっくりと立ち上がる。そして、両手をそれぞれ真横に伸ばした。
「……こないで、お父さんの魂、獲らないで!」
通せんぼしながらグリムリーパーを見つめると、黒いその人影は数歩先で立ち止っていた。それから、数分、いや、数秒かもしれないけれど、私たちに静かな間が流れた。先に動いたのはグリムリーパーだった。
ゆらりと右手をあげ、大きな鎌を振り上げる。
とっさに頭を庇ったものの、いっこうに痛みは来ない。恐る恐る閉じていた目を開くと、鎌を振りかぶったまま固まっている姿が見えた。
不思議に思って真っ黒なグリムリーパーの瞳を見つめても、身動き一つしなかった。すると、引き結んでいたグリムリーパーの口がゆっくりと開いた。
「父を助けたいか」
鎌を気にしつつ、私は頷く。
「ならば、かわりの魂を持ってこい」
……そうしたら、お前の父を助けてやろう。
その言葉を聞いた私は、迷わずこう言った。
「……ここに」
自分の胸に手を当てて、長身を見上げる。
私は捨てられた子供で、今部屋で臥せっている義父が拾ってくれたのだ。恩返しするのは、今しかない、そう思った。
「そうか」
一言そう言ったかと思ったら、グリムリーパーは鎌を私目掛けてふりおろし―――首の寸前で止めた。
がく然とした私に、いっそ冷たさで出来ているのではないかと思うほどの視線が刺さった。
「お前はまだ死期ではない。私は天寿を全うした魂しか獲らない。それが仕事だ」
その言葉を理解したとき、既に目の前にはグリムリーパーの姿はなかった。
どうしようもない気持ちが涙となって体から溢れ、父との離別の寂しさが叫び声となった。……その夜、父は亡くなった。
―――グリムリーパーは私に、グリムリーパーとしての仕事の残酷さと、どうにもならない天命を教えてくれたのだ。
グリムリーパーを恨まなかった、と言えば嘘になる。グリムリーパーが私の家に来なければ父がその日のうちに亡くなることはなかったし、私も父の最期に立ち会うことが出来ただろう。
けれど、グリムリーパーの言う通り、その日が寿命の人の魂しか獲らないのならば、父はあの夜までが寿命だったのだ。人には必ず死ぬときがくる。その時が父はあの夜だった、ということだけなのだ。
グリムリーパーは、人の魂を獲る。それだけでは語弊がある。
グリムリーパーは、天寿を全うとした人の魂を獲るのだ。
そんな考えをもつようになった私は、私の村の誰よりも、グリムリーパーに恐怖を抱いていないと思う。
……だから。
「すみません。ここはグリムリーパーさんのお宅で間違いないでしょうか?この間のお礼に参りました、ニアと申します」
私はグリムリーパーが住んでいると言われる、村はずれの林の奥にある大きな屋敷のドアを叩いた。