はじめて見えた開かれた景色
―18―
ドンドンドン!
「エルザちゃ~ん! 朝だよ~! 起きて~!」
朝の日射しとともに、鼻につく大声がベッドの中になだれ込んだ。
――昨日追い出したあの女、また性懲りもなく来やがった。
私はとっさに顔をしかめ、嵐のようにうるさい女が過ぎ去るのを待つ。
(どうせ鍵はかけてあるんだ。今日は絶対に開けない!)
私は毛布に籠もり、岩のように動くまいと決意を固める。
けれどそう思った矢先――ガチャリ、と嫌な音が鳴った。
「おはようエルザちゃん! 今日も絶好のサボり日和だね」
扉が開かれ、あっけからんとした皮肉の挨拶が耳に届く。
予想外の事態が発生して、思わず私は半身を起こした。
とび色の瞳がどんどんベッドまで迫ってくるのが目に映る。
「あ~っ、『何でドア開けられたの?』って顔してるな~?」
そう悪戯っぽく笑うと、マウルとかいう女は鍵の束を目の前で見せびらかす。
院長先生がいつも管理してるはずのマスターキー。
……あのババア、私の世話をこの女に押しつけたんだ。最悪……。
「な、何なの一体? もしかしてまた朝食でも運んできたの? ならそこの机に置いてってよ!」
「ぶっぶ~、残念でした~! 今日はエルザちゃんのご飯作ってませ~ん」
「えっ!?」
目の前の女は両腕でバツ印を作り、かき回すような口調でハズレだと告げる。
私は目をパチクリと瞬かせ、訳のわからない言動ばかりする女に身構えた。
「な、ならなんでここに来たの? 用がないなら出てってよ!」
「あるから来たんだよ~。エルザちゃんって食事当番サボってばっかりいるんでしょ? せっかくだから私が料理の仕方教えてあげようと思ってさ」
押しつけがましい台詞が私の耳をつく。
そのお節介がまかり通るのがさも当然だと言わんばかりの有様だった。
「何それ!? 別に料理教えてほしいなんて頼んでないんだけど? どういうつもり!?」
「だってエルザちゃんってばずっと独りぼっちじゃん? だからみんなと仲良くなれるチャンスを作ってあげようと思ってさ。おいしい料理を作ってみんなの胃袋を掴めば、きっとみんなとも友達になれるよ」
「余計なお世話っ! 別に友達なんてほしくない!」
私は深々と毛布を被り直し、ハリネズミのように丸くなる。
けれど隙間からチラリと覗くと、相手はねっとりとした視線でこちらを見下ろしていた。
「ええ~、ホントかなぁ? エルザちゃんってはじめて会った時も、柱の陰からリビングの中覗き見してたでしょ? あれってやっぱりみんなのことが気になってたんじゃないの?」
「う、うるさいな! 人のことじろじろ見ないでよ!」
毛布に籠もったまま私は反射的に言い返す。
けれど頬がカッと熱くなっていた。
「ほらほら。そんなに怒ってばっかりじゃ幸せが逃げちゃうよ? エルザちゃんはせっかく若くて将来の夢とかもいっぱい見られるんだからさ」
「そんなものない!」
「はいはい怒らないの。私が料理の仕方教えてあげるから、一緒にご飯作ろうよ。
――えいっ!」
「……!!」
かけ声とともに、いきなり毛布をはぎ取られた。
私は思わず体を起こし、とび色の瞳を凝視する。
侵入者の女はしたり顔で立ちはだかっており、さらに強引に私の手を引っ張ってきた。
「ほら、早くキッチンに行くよ! 朝食の時間まであと30分しかないんだから。嫌だって言っても絶対連れていくからね」
相手の表情は笑顔のままだったが、その裏には有無を言わせない圧力がある。
私はとっさに抵抗しようとしたが、女の握力はものすごい。
けっきょく私は力負けして、しぶしぶ朝食作りをする羽目になった。
*****
「……それで、料理って何するわけ?」
私はしかめっ面をしながら、台所の前で手を洗っていた。
隣の女はニコニコしており、獲物に狙いをつけた鷹のように私を見張っている。
「うん! 今日はトマトスープを作ろうと思うんだ!」
「トマトスープ? 昨日もそれ食べたけど……」
「あっ、覚えててくれたんだ。覚えてるってことはつまり、私の作ったトマトスープが美味しかったってことだよね?」
「べ、別に全然美味しくなかったし」
そう決めつけられ、私はとっさにそっぽを向く。
けれどその答えは全くの嘘だった。
……昨日食べたトマトスープ、それは懐かしい味だった。
甘くて、苦くて、美味しい、まるでお母さんみたいな……
「ええ~っ嘘つけぇ! だって全部食べてくれたじゃん! あんなにいっぱいあったのに完食しちゃうなんて、大好きな証拠だよ!」
「……べ、別にっ、捨てるのがもったいないから食べただけだし! 余計な口利くならもう戻るけど?」
「ああ~もう、そんなブスっとした顔しないでよぉ。みんなと仲良くなるために笑顔笑顔」
「だから、友達なんていらないって言ってるでしょ!」
不毛な言い合いが始まってしまい、けっきょく私の意識は現実に引き戻される。
一瞬お母さんの顔がよぎったけれど、やっぱりそれは錯覚だった。
――こんなやつ、全然お母さんに似てなんかない。
これ以上思い出をかき乱されるのが嫌になって、私は食料が備蓄された保管室の扉へ向かった。
「料理するんでしょ? ならさっさとやり方教えてよ」
「おや? エルザちゃんもやっとやる気になったんだね!」
「さっさと終わらせたいだけだし。無駄口叩く暇があるなら早く来てよ」
ニヤッと口角を上げる軽口を受け流し、私は教師役とともに保管室に入る。
中には新鮮な野菜が入った籠が取り揃えられており、清潔に掃除されていた。
「今朝も私が買い出しに行ってきたんだよ。院長先生から『子供たちが起きる前に朝食の準備を済ませておきなさい』って言われてね」
「……いいように使われてるんだね」
「うんそうだよ! これからお世話になる人なんだから、ちゃんと恩は売っておかないと」
相手は私の当てこすりにもあっけからんと答える。
なんというか、誰に対してもふてぶてしいなこの女。
私は小さくため息をつき、籠の中から適当に3つほどトマトを取りだした。
「……トマトスープの材料って他に何が必要なの?」
「あっうん! 今日は玉ねぎと人参を入れようかな? 後はダシに鶏肉も入れて。材料はそこの籠とそこの戸棚に入ってるから」
私はさっさと言われた通りに食材を集めて籠に放り込む。
まだ眠気もあるし、面倒くさい。何よりお母さんの顔がチラついて変な気持ちになりたくなかった。
「よ~し、準備完了だね! じゃあキッチンに戻ろっか?」
そしてあの女は意気揚々と保管室から出る。
私もしぶしぶとその後に続き、とうとう料理を作る本番となった。
「じゃあ、まずは玉ねぎを切ろっか? ほら、包丁持って」
相手は手早く剥いた玉ねぎをまな板に置き、私に包丁を渡してくる。
私は相手の手に触れないように意識しながら受け取ると、玉ねぎの切り分けに取りかかった。
(……んっ、あれ?)
けれど、なかなか上手く切ることができない。
両手で包丁を持って上から刃を押しつけてみても、玉ねぎはびくりともしなかった。
(何なのコレっ……この包丁不良品なんじゃないの!?)
力任せに切ろうとしたが、玉ねぎはまな板から滑ってあらぬ方向へと転がってしまう。
その顛末を見ていた女は、慌てた様子で声をかけてきた。
「ああっ、危ないよエルザちゃん! 包丁は両手で持つんじゃなくて、片方の手だけで持つんだよ。それから玉ねぎは緑の繊維に沿って切るのがコツ。左手は猫の手で押さえる!」
相手は軽く丸めた手の形を作り、私に真似するようジェスチャーする。
そんな奇妙なポーズを取る相手に、私はいぶかしむ視線を送った。
(本当にこんなので切れるの?)
私はまたからかわれているのかと思ったが、大人しく言われた通り『猫の手』とやらを作ってみる。玉ねぎを左手で押さえながら、緑の筋に向かって刃先を入れてみた。
すると、信じられないくらいあっさり玉ねぎを切ることができた。
私はその発見に驚き、何度も確かめるように包丁を操ってみる。
やっぱり気持ちいいぐらい、玉ねぎがスパンと切れた。
(包丁ってこうやって使うんだ……)
私は覚えたばかりの技術に夢中になり、次々と玉ねぎを刻んでいく。
気がついたら玉ねぎはすっかりバラバラになり、そして隣からパチパチと拍手が鳴った。
「すごい! 上手だねエルザちゃん! きれいに玉ねぎ切れてるよ」
「こ、これぐらい、誰だってできるし……」
「誰でもできないからすごいって言ってるんだよ~! ほら、次は人参を切ってみよ~!」
「う、うん……」
私は同じように人参も次々と一口大に切ってみる。
あっという間に全部具材が切り終わると、次はいよいよ料理を煮込む段階に入った。
『竈の火はふいごで風を送って絶やさないようにするんだよ』
『スープが沸騰したら薪を抜いて火の勢いを小さくして』
その時もさんざん料理のやり方を教えられ、その度にいろいろと失敗して手こずった。今まで家事を避け続けた私にとって、そうした作業をこなすのは思った以上に大変だった。
けれど、はじめて作業をやり遂げた時、どこか心がすっきりと吹き抜ける感覚があった。できなかったことができるようになる度に、まるで新しい景色が少しずつ開かれていく――
料理をするのって、けっこう楽しい……。
気がついたら私は真剣に取り組んでおり、時間が経つのも忘れてしまうほどのめり込んでいた。
「うん! こんなものかな? はい、トマトスープ完成~!」
すべての工程をやり終えると、隣からにぎやかな拍手がまた鳴り響いた。
あの人が満面の笑みを向けており、私がはじめて作った料理なのに自分のことのように喜んでいる。
(……本当に私、料理なんてできたんだ)
私は半ば放心状態となり、けれど胸がドキドキと高鳴っていた。
煮えたぎる香りが鼻の奥をくすぐり、色鮮やかな赤い煮汁が紫の瞳を映し出している。じぃっと完成したスープとにらめっこしていると、ふいに隣からスプーンが差し込まれる。あの人は鍋の中から鶏肉をすくい出し、ひょいと口の中へ運び入れた。
「……うん! 美味しくできてるね。エルザちゃんも食べてみなよ」
相手は満足そうにうなずくと、今度は私に向かってスプーンを差し出してくる。
銀色の深いくぼみには、マグマのように湯気だった鶏肉の塊が乗せられていた。
「い、いいよ。あなたが食べたんだから、もう私が味見する必要ないでしょ?」
「ええ~もったいな~い! こっそりご飯を多めに食べられるチャンスなのに。エルザちゃんは遠慮しいだなぁ」
「べ、別に。あなたが食い意地張ってるだけでしょ?」
「ええ~ひど~い! エルザちゃんだって私のトマトスープ全部食べたくせに~」
「だから、それはもったいないからって言ったじゃん!」
けっきょく私はつまみ食いの誘いを断る。
けれど本当は少し後悔していた。
私はお肉が大好物だから、ものすごく食べてみたかった。
でも、どうしてもそれはできない。
この人にご飯を食べさせてもらうことが、お母さんにあ~んしてもらった記憶と重なって恥ずかしかったから……
「じゃあそろそろ朝食の時間だし、みんなのご飯用意しよっか? お皿にトマトスープを入れて、パンを盛り付ければ完成だよ。パンは予めお店で買ってきたから」
それから私たちは食事をトレイに乗せ、リビングテーブルへと運んだ。
既に孤児院の子供たちが集まっており、みんな今か今かと朝食を待っているのが目に見える。
「えっ? このトマトスープ、エルザちゃんが作ったの?」
私がテーブルに食事を配膳していると、フウリが目を丸くして声をあげた。
みんなも呆気にとられた顔をしており、朝食の支度をする私を物珍しそうに注目している。
「うん、そうだよ! このトマトスープはね、エルザちゃんがみんなのために腕によりをかけて作ってくれたんだ。舌が飛び抜けるぐらい美味しいよ」
(……別にみんなのために作ったわけじゃないし)
あの人はだいぶ大げさなことを言いふらし、私の料理をみんなに勧める。
なんとなく私はむずがゆい気持ちになり、誰とも視線を合わせないようにそっぽを向いた。
(それにはじめて作った料理なんだから、どうせ美味しいわけ――)
「うわぁ~すごくおいしいよこれ~! エルザちゃんお料理上手だったんだねぇ!」
フウリが手放しで私の料理を絶賛する。
他の孤児院の子供たちも食事に夢中になり、みんな「おいしいね」、「おいしいね」と褒めてくれた。
「…………」
思わず私は頬がじんわりと熱くなるのを感じる。
チラリと隣を見ると、あの人がニマニマと私を眺めていた。




