笑顔で溢れた闖入者
―18―
正午を過ぎた頃、孤児院の一階が急にガヤガヤと騒がしくなった。
耳をつんざくような笑い声が、二階の床板にまで振動してくる。
(うるさいなぁ……読書に集中できないんだけど?)
私は暇つぶしに目を滑らせていた本をベッドに放り投げ、窓辺の椅子から扉に目を移す。よく耳を澄ましてみると、どうやらそれは子供たちがおしゃべりしている最中のようだった。
(そういえば正午になったら大事なお知らせがあるってフウリが言ってたけど、それと関係あるわけ? 確か、新しい先生が来るとかなんとか……なんかみんなやけに楽しそうだし、孤児院でパーティでも開いてるの?)
そう思い至った途端、私はそわそわと落ち着かなくなる。
はしゃぎ声は絶え間なく続き、ただの一人部屋がやけに広く感じてしまう。
誰かいるわけでもないのに、私はキョロキョロと部屋の中を見渡した。
(……ちょっとだけ、気になる)
頭の中には迷いが生まれ始め、私は選択肢を迫られる。
“どうせ私には関係ない”。“私が行っても空気が壊れるだけ”。
そんなささやき声も聞こえたが、けっきょく重い腰が上がった。
(ちょっとだけ。ちょっとだけ確認して帰ればいい……)
そう言い聞かせ、足音を忍ばせながら扉をわずかに開く。
廊下に誰もいないことを確認すると、私はそろりそろりと一段ずつ階段を降りていった。
リビングルームの入口まで到着すると、はっきりと話し声が聞き取れるようになった。私はすぐ近くの支柱に隠れ、間取りの広い部屋の中をこっそりとうかがう。
孤児院の子供たちが輪になって、わあわあと人だかりを作っているのが目に見える。そして――
(誰? あの人……)
その中心には、見慣れない茶色のロングヘアーの女性が立っていた。
「はいはい! みんな落ち着いて落ち着いて! そんなに一斉に喋らなくてもちゃんと全部答えてあげるから」
「ええ~っもったいぶらないで教えてよせんせぇ! せんせぇって恋人いるの?」
「ふふっ、今はいないよ。あとそういう話題はカムちゃんがもう少しレディになってからね」
「ぶぅ~っ! わたしレディだも~ん!」
みんなの笑い声がドッとあふれ返る。
くだらないやり取りなのに、やけにみんな盛り上がっていた。
誰かが笑う度に、誰かがまたやまびこのようにおしゃべりを始める。
……私の前では絶対に見せないような、打ち解けた笑顔をさらけ出して。
「ねぇねぇ先生! 先生はどこから来たの?」
そんな騒々しい輪の中、普段は大人しいはずのフウリまで声を弾ませる。
茶髪の女性は見上げるフウリに視線を合わせると、明るい声で受け答えた。
「リヴァスって名前の街だよ。ファーグリンの街を出て西のほうに行った所にある城下町でね。英雄カルシスっていう人の銅像が建てられてるんだ」
「ええっそうなの!? カルシスって確か、40年前の戦争で活躍した有名な人だよね? そんなすごい人の銅像があるんだぁ!」
「うん! 私カルシスのことが大好きなの! カルシスには色んな童謡が作られててね、私は全部覚えてるんだ」
「へぇ~そうなんだ! どんな歌があるの?」
みんながわくわくと注目する中、茶髪の女性がスゥッと息を吸い込む。
「英雄カルシスは~リヴァスに生まれ~彼の地を救った~♪」
よく透き通ったのびやかな声。けど元気が良すぎて鼻につく。
ひととおり童謡の披露が終わると、リビングではパチパチと拍手が鳴り響いた。
(何あの人……随分みんなに懐かれてるみたいだけど、あれが新しい先生なの?)
私は眉をひそませながら、相手の顔をよく見ようと身を乗りだす。
けれど支柱の角につま先が当たり、ゴッ、と物音を立ててしまった。
それが耳に届いたのか、フウリがサッとこちらに振り返ってくる。
「あっ、エルザちゃん……」
その呟きと同時に、一斉にみんなが私のほうへ振り向いた。
私は慌てて首を伸ばした半身を引っこめようとする。
けれどその時にはもう遅く、例の茶髪の女性とも目が合った。
「…………ふふっ」
茶髪の女性はふいに意味深な微笑みを浮かべる。
何か狙いを定めたような、ねばっこい眼差し。
私は縮こまって目を逸らすけれど、コツコツと遠慮のない足音がこちらに向かってきた。
「もしかして、あなたが噂のエルザちゃん?」
おずおずと前に向き直ると、目の前に若々しい女性が立っていた。
背が高く、まん丸なとび色の瞳が、興味津々に私を見下ろしている。
「な、何? なんで私の名前知ってるの?」
「フウリちゃんが教えてくれたんだよ。この孤児院には、まだ部屋に籠もってお母さんが迎えに来るのを待ってる子がいるって。だから後で顔を出してあげてって頼まれてたんだ」
(フウリのやつ……余計なことべらべらと)
私はフウリのお節介にギリっと歯ぎしりする。あいつとは絶対仲良くなれない。
しかしそんな不機嫌な心の声などつゆとも知らず、とび色の瞳は距離を詰めるように一歩近づいてきた。
「はじめまして! マウル・ジェニエイバって言います。ファイウェル孤児院にやってきた新しいみんなの先生です。孤児院で働くのははじめてだからまだわからないこともたくさんあると思うけど、これからよろしくね! エルザちゃん」
馴れ馴れしく私の名前を呼び、満面の笑顔がズイと手を差し出してくる。
警戒心が全くなく、誰とでもすぐ仲良くなれるのが当たり前って風体だ。
この握手が受け入れられるのも、ごく自然な成り行きだと思っている。
パァンッ!!
だけど、私はその手をはたき落とした。
茶髪の女は目を見開き、さっきまでにこやかだった顔が硬直する。
周りから眺めていた子供たちも、ハッと息を呑むのが伝わった。
「気安く触らないでよ! 私はあなたと仲良くする気なんてない!」
私は相手を睨み上げ、はっきりと拒絶の意志をぶつけた。
会ったばかりの他人のくせに、ズケズケと踏み込んでくる厚かましさが気に入らなかった。
(何も知らないくせに。私がどんな気持ちでお母さんを待ってるかもわからないくせに)
私は手を浮かせたまま立ち尽くす女に背を向け、足を踏み鳴らしながらリビングルームを出ていく。
「あっ、待って!」
あの女の呼び止める声が廊下まで追いかけてくる。
けれど私は構わず階段を駆け上がり、自室に飛び込むとすぐに鍵をかけた。
静けさが戻った部屋の壁にもたれかかり、緊張で乱れた息を整える。
(何なのあの人……あんな図々しい人が孤児院に入ってくるなんて最悪)
ドッと疲れた足取りでベッドまで戻り、窓辺からベンチのある街通りを見下ろす。けれどいつもお母さんの面影が映る景色には、握手を求めてきたあの女の笑顔がチラつく。お母さんとの思い出が邪魔された気分になり、私は振り払うように頭をかきむしった。




