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エルザのことを忘れない  作者: 区隅 憲
後編 ~大人になった執着~
14/22

諦めきれないから許せなくなる

―11―



「あははっ、くすぐったいよマウル。そうやってすぐ膝のうえ乗ってくるんだからぁ」


 孤児院二階の子供部屋の前まで来ると、甘ったるい笑い声が耳に届いた。

その声には聞き覚えがある。控え目で大人しい、けれど今は落ち着きのある大人びた口ぶり。扉の隣のネームプレートには“フウリ”という名前が記されてあった。


 院長先生がドアノブを回そうとした時、その手がピタリと止まる。

扉の奥からは引き続いて、元気な女の子の大声が響いた。


「えへへ、だってフウリお姉ちゃんのお膝って気持ちいいんだもん! あったかくて、柔らかくて。今度は頭乗せてもいい?」


「ダメだよぉ。あんまりマウルを甘やかしちゃいけないって院長先生にも言われてるんだからぁ。……でも、二人きりだから、いいかな?」


「やった~! じゃあベッドに座ってフウリお姉ちゃん! 私頭ごろんするから!」


 そんな無邪気なやり取りの後、かすかに衣擦れの音が聞こえてくる。

まるで姉妹のように仲睦まじい関係。それは友達以上の匂いさえ醸し出されていた。扉の前で黙って佇んでいた院長先生は、わざとらしく咳払いをする。


「フウリ、入るわよ」


 二度のノックの後、院長先生は返事も待たず扉を開ける。

私も続けざまに入室すると、ベッドでじゃれ合っている女の子たちが目に入った。


「……マウル、やっぱりここにいたのね」


 そんな緊密な子供たちを見て、院長先生は呆れたようにため息をつく。

一人は長い銀髪の13歳ぐらいの女の子。

ベッドに腰かけており、目をまん丸にして恥ずかしそうに顔を赤らめていた。


 もう一人は茶髪の11歳ぐらいの女の子。

銀髪の少女の太ももに寝転がっており、来訪者たちをきょとんとした顔で見上げている。そしてその子は、さっき私と廊下でぶつかった――


「エルザちゃん……」


 銀髪の女の子は、私を一目見るなりポツリと呟く。

予想した通りその子はかつての私の友達――もうチビとは呼べないほど大きくなったフウリだった。卒業から四年経った今でも、ちゃんと私のことを覚えてくれていた。


「久しぶりフウリ。すっかり髪が伸びてお姉さんになったんだね」


「うん、エルザちゃんも……。昔と全然雰囲気違うよ」


 どこかよそよそしい態度で、フウリは静々と応対する。

自分の太ももに横たわる11歳ぐらいの女の子を、チラチラと気にかけていた。

どうやらいま私がここに訪れた理由を、何となく察しているらしい。


「マウル、大事な話があるの。フウリから離れて机の前の椅子に座ってくれるかしら?」


 院長先生の呼びかけに、11歳ぐらいの女の子――マウル先生はギュッとフウリのフレアスカートを握りしめる。まるで親鳥にしがみつく雛鳥のように、フウリの傍から離れることを嫌がっていた。


「そこに座りなさいマウル! 院長先生の言うことはちゃんと聞きなさいといつも言ってるでしょ!?」


「っ!!」


 先生はビクッと体を震わせ、フウリの膝元から頭を起こした。

トボトボと椅子の前まで移動した先生は、チラチラと私に怯えた視線を送ってくる。院長先生は部屋の隅に移動して、私に対面の場を設けた。


「マウル、お前を引き取る方がいらっしゃったわ。こちらはエルザ・ペートさんよ。仕事も安定してるし、お前を十分養育することができると判断したわ」


 院長先生は淡々と、私が新しい保護者になるのだと説明する。

けれど先生は落ち着きなく、すぐに椅子から立ち上がってしまう。

巣穴に逃げるようにベッドの傍らまで戻ると、またフウリの腕に抱きついた。


「で、でも私、フウリお姉ちゃんと遊ぶ約束してるから……」


「マウル、これは規則なの。この孤児院で子供の引き取り手が現れた場合、必ずこの孤児院から出ていかなければならない」


「…………」


 先生はフウリにギュッとしがみつきながら、上目遣いに私を盗み見る。

けれどすぐに顔を俯けて、天敵と遭遇した小動物のように縮こまった。

あれほど誰にでも人当たりがよかったはずなのに……昔の先生の面影はすっかり鳴りを潜めていた。


「……マウル、行っておいで。大丈夫だから」


 けれど束の間の後、ふいにフウリはベッドから立ち上がり、先生の傍からスッと離れた。まるで雛鳥の巣立ちを見届けるように、不安そうに見上げる先生に優しく微笑みを合わせた。


「フウリ、お姉ちゃん?」


「あのね、マウル。マウルはもう忘れちゃってるかもしれないけど、君とエルザちゃんは親友だったんだよ。二人はとっても仲良しで、いつもいつも一緒にいて、お互いのことをすごく大切に想い合っていた。だから、だから――」


 瞬間、フウリは声を詰まらせる。

灰色の瞳からポタポタと、頬を伝う雫が垂れ落ちた。

それでもフウリは歯を食いしばり、しゃくり声を上げながら言葉を紡いだ。


「エルザちゃんのところに、行っておいで……っ。エルザちゃんなら、マウルのこと、大切に育ててくれるから……っ」


 堪えきれなくなった気丈さがはち切れ、フウリは両手で顔を覆った。

それでも噴水のように溢れる感情を隠しきれず、やがて逃げるように部屋を出ていった。バタリと閉じられた扉の向こう側から、子供のように泣きじゃくる大声が絶え間なく室内を貫く。


(ごめん、フウリ……。フウリも先生と別れるのが辛いんだね。

でも私は、あなた以上に先生のことが大切だから……先生のことを放したくない。だから、ありがとう。私の決断を受け入れてくれて)


「…………」


 扉からそっと視線を戻すと、寄る辺を失った先生は、ただ自分のワンピーススカートを握りしめていた。突然決められた自分自身の境遇に対して、複雑な表情を浮かべたまま固まっている。


「マウル、もう理解できたわね? 明日の朝になったらお前はこの孤児院を卒業するのよ。エルザさんのところに行って幸せになりなさい」


 院長先生はその場を締めくくるように、先生にはなむけの言葉を送る。

そして翌日、私は先生を連れてファイウェル孤児院を出ていった。



*****



 私が先生と一緒にアパートに到着した頃、辺りはすっかり夜空に包まれていた。

出立の間際、突然先生が孤児院からいなくなるトラブルがあったので、馬車の便が遅れてしまったのだ。


「先生、ここがあなたの新しい家だよ」


 アパートの玄関を開くと、私は先生に向かって笑顔で振り返る。

先生とまた一緒にいられることが嬉しくて、私の声は弾んでいた。


「狭くて何もないところだけど、あなたの部屋はリビングの左扉を開けた所にあるから。何かほしいものがあったら遠慮なく言ってね」


「……別に、何もいらない」


 けれど、先生の声は沈んでいた。

馬車で何度か話しかけた時も、ずっと浮かない返事しかかえさなかった。

先生はただ顔を俯けたまま視線を逸らし、私との会話を徹底的に避けている。


「そ、そう? じゃ、じゃあ、ご飯食べる? 先生は何か食べたいものない?」


「ううん、別に。何でもいい……」


 先生はそっけなく他人行儀な態度で呟く。

かつての積極的だった頃の面影がすっかり消えてしまい、私は言葉に窮してしまった。


「あの……もう寝てもいい? 私、ちょっと疲れちゃったから。あそこが私の部屋でいいんだよね?」


 そう断りを入れると、先生は私の返事も待たず、そそくさと移動してドアノブを回す。


「それと私、先生じゃない……」


 それだけ言い残すと、ガチャン、と鍵が閉められる。

後に残されたのは、何の音もしないリビングと、独りきりになった私だけだった。

 


 私の中でガラガラと何かが崩れ始めた。

子供の姿になった先生は全くの別人で、まるで赤の他人と接しているようだった。

あの底抜けに明るかった笑顔も、よく私をからかったお茶目さも、全部遠い過去になる。私の知っている先生はもういない。私のことも本当に忘れてしまったんだ。


 ――けれど、だとしても、

私は、あの頃の約束を諦めたくなかった。



*****



 夜遅く、仕事から帰ってきた私は、アパートの玄関の前で笑顔を作る練習をしていた。先生はもう眠っているかもしれない。でももしまだ起きているなら、今日こそ先生と仲良しになろう。


 ――そうすれば、きっと過去の約束も思い出してくれる。

私はそんな期待を抱きながら、疲れを顔に出さないように元気よく扉を開けた。


「ただいまマウル! まだ起きてるかな?」


 挨拶とともにリビングを見渡すと、テーブルの上にはランプの明かりが灯っていた。照らし出された先には先生が座っている。今朝私が作り置きした羊肉のスープとパンを黙々と口に運んでいた。


「あっ、ご飯冷めちゃったかな? 今日はせっかく羊のお肉のご馳走なんだし、私が温め直してあげよっか?」


 私はニカッと笑いながら親しげに声をかける。

けれど先生は私に振り向かず、ただひたすら黙って食事を続けていた。

私が「ただいま」と挨拶した時も、「おかえり」という返事をかえしていない。

先生を引き取ってからもう一ヵ月、全く手応えのない関係がずっと続いていた。


「……マウル、食事しながらでいいから聞いてくれる? 今日もあなたの記憶を呼び戻すために、あなたの日記を読み上げるから」


 それでも私はめげることなく、先生との絆を取り戻すために会話の糸口を探ろうとする。私は一旦自分の部屋に戻り、簡単に身支度を整えると先生の日記を持ち出した。そして先生の隣の席に座ると、いつものように1ページずつ読み聞かせを始める。ランプの明かりだけが頼りな部屋の中、私の朗読する声だけが響き渡った。


「マウルはね、昔は私ととっても仲良しだったんだよ。

マウルは私に料理を教えてくれたし、文字の書き方も教えてくれた。

だから私たちは『お互いのことをずっと忘れない』って、孤児院の前のベンチで約束を交わし合ったんだよ」


 日記の読み聞かせを挟みつつ、私は朗らかに過去の思い出を語りかけた。

こうしていつも笑顔で接すれば、きっといつか相手も心を開いてくれる。

そう教えてくれたのは先生だった。

だけど、期待を胸に膨らませていた次の瞬間――


 ガランガランッ!

黙々と食事をしていた先生は、いきなりスプーンを床に叩きつけた。


「そんなこと、知らないって言ってるでしょ!」


「……えっ?」


「私、お姉さんのことなんて知らないもん! いつもいつも帰って来るなり訳のわかんない話してきてさ! どうしてそんな嫌がらせばっかりしてくるの!?」


 椅子を蹴って立ち上がった先生は、鋭く眉根を吊り上げる。

そんな明らかに敵愾心てきがいしんを見せる先生に、私は慌てて弁解を尽くした。


「マウル、落ち着いて! これは大事な話だからちゃんと聞いて! 私たちは本当にお互いのことを大切に想い合っていたの。だからあの時の約束を思い出せば、あなたの記憶喪失もきっと――」


「ああもうっしつこいな! 私はそんな人のこと知らないって言ってるでしょ! 私はもう寝るからいちいち構ってこないでよ!」


 先生は乱暴な足取りで部屋に駆け戻り、ガチャン! とすぐに鍵をかけた。

私はうす暗いリビングで独り残され、アパートにはまた冷たい静寂が訪れる。

けっきょく何も進展がないまま、今日も先生との会話が途切れた。



 希望を胸に抱く度に、何度もそれは打ち砕かれてしまった。

夢に描いていた先生との二人暮らしは、ただ無味乾燥としたまま過ぎ去っていく。

私が懸命に話しかけても、無視され、怒鳴られ、あげくの果てに拒絶される。

私の心は次第に摩耗していき、耐え続けた不満が逆巻き始めた。


『私が仕事から帰っても、先生は「おかえり」と言ってくれない』

『私が料理を作っても、先生は感謝もしてくれない』

『私が日記を読み上げても、先生は聞く耳すら持ってくれない』


 結び直そうとした絆も、取り戻そうとした記憶も、全部どす黒い澱へと沈んでいく。私と先生は約束したはずなのに……私と先生は大切に想い合っていたはずなのに……。


 どうして、どうして、どうして!?

これじゃあ何のために、先生を引き取ったのかわからないじゃないっ……!



*****



 フェノメノン製本店で、今日も私は夜遅くまで働いていた。

同僚たちのほとんどが既に帰宅している中、工房にはただ私の筆記音だけが響く。

窓辺から雪明かりがチラつき始めた頃、かじかむ手の冷たさも忘れて作業に没頭した。


「エルザ、調子はどうだい?」


 声に気づき振り向くと、ライダック店長が立っていた。ランプを手に夜更けの見回りに来たのだ。私は優秀な写字生であることをアピールするべく、いつも以上にはきはきと答えた。


「はい! ちょうどさっき『エラバ信教の誕生』の写本が終わりました! じっくり見直しをしてみましたが落丁などもないはずです! 後で誤字や脱字がないかチェックをお願いします!」


「そっか! いい調子みたいだね。冬の季節はウチも繁盛期だし、エルザには毎年いつも助けられてるよ」


 店長は私の報告を聞くと、満足そうに2回、3回と頷く。

それを見ると、私はここで必要とされている人間なのだと自認できた。

――私の居場所は、ここしかないんだ。


「……エルザ、いつもごめんね。毎日夜遅くまで働いてもらっててさ。君も最近子供を引き取ったって話だし、本当なら早く帰ってあげたほうがいいとは思うけど」


 自分の立場を反芻していると、ふいに店長はプライベートな話題を持ち出してくる。けれど私は余計な心配をかけさせまいときっぱり答えた。


「いえ、大丈夫です! 今日はこのまま『マルコの独白』の写本も終わらせようと思います! フェノメノン製本店もいま忙しい時期なんですから、もっと私に仕事を回してください!」


「そ、そっか。そう言ってくれるのは、頼もしいけど……」


 途端に、店長は気後れしたように言葉を濁らせる。

私の実力なら問題ないはずなのに、何故か微妙そうな顔つきをされた。

しばらく言いにくそうに視線を迷わせていると、店長はふいにお節介な声をかけてくる。


「……エルザ。僕が言えた義理じゃないけど、最近無理してないかい?

仕事を引き受けてくれるのは嬉しいけど、あんまり根を詰めすぎても体の毒になってしまうよ?」


「私なら大丈夫です! こうやって仕事に集中してるほうが嫌なことも忘れられるんです!」


「えっ?」


「……どうせ私がアパートに帰っても、誰もいやしませんから」



*****



 それからというもの、私はマウルのことを放ったらかしにして、仕事漬けの日々を送るようになった。どうせ私が日記を読み上げても、あの人は思い出そうとすらしてくれない。


 ……あの約束は、もうなかったことになったんだ。

次第に私は記憶喪失の相手を見限るようになり、あの娘と顔も合わせなくなった。


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