砂漠の風
砂漠の風は、冷たく、そして乾いていた。
朝日が昇ったとはいえ、夜の熱をすべて奪われた地表は硬く、足元から冷えが伝わってくる。吐く息は白くこそならないが、確かに冷気を孕んでいた。
一行は、言葉少なく歩を進めていた。
デンドラの鈍重な足音と、砂を踏みしめる人の靴音だけが、静かな朝の砂漠に刻まれていく。
誰もが無意識のうちに口を閉ざし、それぞれの思考に沈んでいた。
その沈黙を破ったのは、壮年の男だった。
「……俺はアルバンだ」
歩調を合わせながら、男は低く言った。
声は荒れているが、張りがある。長年この砂漠を生き抜いてきた者の声だった。
「前を行く女が、パイリーだ」
遠く先頭を進む女は、ちらりと振り返ることもなく進み続ける。
本来、砂漠には不向きとされる火鳥獣ガルに跨り、砂を蹴立てながら歩くその姿は、周囲への警戒を一切緩めていなかった。
火鳥獣の赤い羽毛が、朝の光を受けて微かに揺れる。
その手綱捌きは無駄がなく、迷いもない。
――この女も、砂漠に慣れ切っている。
ガルーシャはアルバンに一瞥だけを寄越し、すぐに視線を前へ戻した。
それ以上の反応はない。
重い空気が、一行を包んだ。
ボルダーは俯いたまま、デンドラの手綱を握りしめている。
指先に力が入り、革が軋む音が小さく鳴った。
兄の背中を直視する勇気は、まだ持てなかった。
黒獣隊の鎧に包まれたその背は、遠い。
物理的な距離以上に、決定的な隔たりがあるように感じられた。
アルバンは、そんな空気を気にすることもなく、値踏みするようにガルーシャを観察した。
歩き方。
呼吸の間合い。
砂に足を取られない重心の置き方。
そして――
冷え切った気配。
「……ふん。なるほどな」
短く、鋭く呟く。
「ひとつ聞かせてもらおうか」
アルバンの声に、わずかな刺が混じる。
それは敵意ではない。試すための刃だ。
「貴様は、紛れもなく砂漠の民だ。
そして、本当にガルーシャ・シンバルだと言うなら――」
一瞬、視線が鋭くなる。
「その腕が錆び付いていなければ、
わざわざ俺たちを雇う必要もなかったはずだ」
核心を突く言葉だった。
この砂漠では、強さは誇示するものではない。
証明されるものだ。
ガルーシャは反応を示さない。
視線も変えず、歩調も乱さない。
だが――それでも口を開いた。
それは、必要に迫られたからではない。
ただの気紛れに過ぎなかった。
「……砂漠を離れて、暫く経つ」
低く、淡々とした声。
「大いなるこの砂漠もまた、形を変えているだろう」
言葉は的を射ていた。
砂漠は、生き物だ。季節ごとに、年ごとに、姿を変える。
だが、アルバンはそれを答えではなく、かわしだと受け取った。
眉間に深い皺が刻まれる。
「……」
一拍置き、アルバンは話題を変えた。
「それにしても、妙な時期だ」
辺りを見回すその眼光は、まるで獲物を探す獣のようだった。
砂の合間から、淡い色の花が揺れている。
「ミルズバムリも、花を咲かせている。
雨季を待てば良かったんじゃないか?」
雨季。
ミルズバムリの開花によって知らされる、砂漠が姿を変える時。
砂虫獣は休眠期に入り、移動は比較的安全になる。
そんな雨の中を進みたいという商隊が、ごく稀に訪れることもある。
理屈だけを見れば、正しい提案だった。
だが――
「……抜かせ」
ガルーシャは、即座に切り捨てた。
「シューマと相対すれば、死は免れん」
その名に、アルバンの表情がわずかに強張る。
砂雨獣シューマ。
それは雨季に姿を現す、砂漠の頂点捕食者。
「それに――」
ガルーシャは続ける。
「遺跡の大半は、すでに砂に埋もれている。
雨季を待てば、侵入は不可能になるだろう」
それ以上、語ることはない。
ガルーシャは口を閉ざした。
アルバンも、深追いはしなかった。
この男は、必要なことしか言わない――そう理解したからだ。
(……雨季、か)
ガルーシャは歩きながら、視線を巡らせる。
砂の合間に揺れる、ミルズバムリの花。
その淡い色が、胸の奥の記憶を刺激した。
ザリス帝国を発つ直前。
あの女との会話を想起させる。
砂漠の風が、一行の間を吹き抜ける。
それは、ただ冷たいだけの風ではない。
過去を運び、選択を突き付け、
確かに、熱を運ぶ風であった。




