望まぬ葛藤
「……参ったな」
ボルダーは、粗末な机の前に一人座り込み、天井を見上げたまま呟いた。
ランプの火は弱く揺れ、壁に歪んだ影を落としている。
デンドラたちを獣舎へ戻した後、砂虫獣の件について団長へ報告した。
それ自体は、傭兵団として当然の流れだった。
問題は――
その“ついで”のように告げられた話だ。
生きていた兄のこと。
そして、その兄が依頼主として、この集落に現れているという事実。
(……なんで、今さら)
胸の奥が、ざわつく。
ガルーシャ・シンバル。
ボルダーにとって、たった一人の肉親。
そして、長い間、心の中で“死んだことにしていた存在”。
それが、突然、現実として突き付けられた。
「……はぁ」
深く、長い溜息が零れる。
机の上には、飲みかけの酒。
ぬるくなったそれを掴み、喉へと流し込んだ。
苦い。
昔から、兄は遠い存在だった。
剣を握らせれば、誰よりも強く。
呼石術を使わせれば、誰よりも巧みだった。
ボルダーが必死に覚えた初級術を、兄は遊ぶように上級へと昇華させていた。
周囲は口を揃えて言った。
――シンバル家の誇りだ。
――次代を担う逸材だ。
それに比べて、自分はどうだったか。
戦闘では凡庸。
剣筋は遅く、呼石術も中途半端。
兄の背中を追いかけるほど、差を突き付けられるだけだった。
羨望。
嫉妬。
劣等感。
それでも――
兄は兄だった。
事件の夜を、今でも鮮明に覚えている。
砂嵐。
視界を覆う赤褐色の世界。
そして、地鳴りと共に現れた巨大な砂虫獣。
逃げろ、と叫ぶ声。
次の瞬間、すべてが掻き消えた。
気が付いた時、そこに家族はいなかった。
父も、母も、兄も。
必死に名前を呼び、泣き叫び、砂の中を彷徨った。
喉が枯れ、声が出なくなるまで。
――誰も、戻ってこなかった。
それなのに。
(生きて、いた……?)
拳を握る。
安堵よりも先に湧いたのは、怒りだった。
なぜ戻らなかった。
なぜ何も言わなかった。
なぜ、自分を置いて消えた。
「……なんだよ、それ」
机に額を預け、ボルダーは小さく笑った。
乾いた、感情の抜け落ちた笑いだった。
考えれば考えるほど、頭の中が煩くなる。
兄は、今も“強い”のだろうか。
黒獣隊などという、聞き慣れない肩書きを背負って。
自分は――
デンドラの世話をし、補給を担い、戦場の外にいる。
同じ砂漠に生まれながら、
まるで別の世界を生きているようだ。
「……今日は、もういい」
酒を一気に煽り、ボルダーは立ち上がった。
寝床に体を投げ出す。
砂漠の夜は冷えるはずなのに、体の奥は妙に熱を帯びていた。
考えるのをやめよう。
そう思っても、瞼の裏に浮かぶのは――
記憶の中の兄の背中。
剣を振るう姿。
砂嵐の中で振り返った、最後の顔。
「……兄さん……」
胸が、締め付けられる。
やがて、意識が沈み始める。
完全な脱力の中、
ボルダーは微睡の底で、ぼんやりと兄の顔を思い浮かべていた。
再会など、望んでいなかった。
それでも、運命は容赦なく、砂の上で再び二人を引き寄せようとしている。
――夜は、まだ明けない。




