黒の来訪者
傭兵団の集落に、影が差し込む。
砂漠の夕暮れ時。
焚き火の煙と獣の匂いが漂う集落は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
荷を下ろした商隊が水を求め、傭兵たちが酒を酌み交わす。
ここはアラシア南部に点在する、数ある傭兵団の拠点の一つに過ぎない。
――少なくとも、外から見れば。
通常、この集落を訪れるのは二種類だけだ。
砂漠を横断する行商キャラバン。
あるいは遺跡調査の許可証を掲げた、アラシア国の役人や学者。
それ以外の来訪者は、ほとんどいない。
だからこそ、その男の姿は、遠目にも異質だった。
黒一色の重装鎧。
砂嵐に晒されても曇らぬ装甲。
胸元に刻まれた、見覚えのある意匠。
「……ザリスだな」
誰かが、低く呟いた。
鎧の男は単身だった。
護衛も、随伴もいない。
飛空船の影も見当たらない。
それが、余計に不気味だった。
直近、ザリス帝国とアラシアの関係は緊張状態にある。
獣石の採掘権、国境付近での諜報活動、そして水資源を巡る小競り合い。
表向きは平静を装っていても、砂漠の民は皆、空気の変化を敏感に感じ取っていた。
集落の空気が、わずかに硬直する。
武器に手を掛ける者。
獣を奥へと誘導する者。
自然と、男を囲む形になる。
だが、鎧の男は周囲に一切目を向けなかった。
まるで、最初からこの集落を知り尽くしているかのように。
迷いなく歩き、真っ直ぐに中央の巨大なテントへ向かう。
「……止めるか?」
「いや……様子を見る」
巨大なテントの入口を、鎧の男は無言でくぐった。
中では、数人の男たちがテーブルを囲んでいた。
この傭兵団の古参たちだ。
沈黙の中、最初に口を開いたのは、白髪混じりの男だった。
「何の用だ」
声は低く、感情を抑えている。
だが、鋭さは隠れていない。
鎧の男は一歩前に出て、短く答えた。
「馬鹿なことを聞く」
その言葉に、空気が一瞬で張り詰める。
「貴様らは傭兵だろう」
「……そう言うお前は、ザリスの者だろう」
別の男が口を挟む。
「それも、その鎧……黒獣隊だな」
周囲がざわめいた。
黒獣隊。
ザリス帝国皇帝直属の特務組織。
名は知られていても、実態を知る者はほとんどいない。
だが、白髪混じりの男が得意気に指摘し始める。
「黒獣隊なら、飛空船での移動が常のはずだ」
ニヤリと口角を上げる顔は醜悪に写る。
「まさか、部隊から逸れたとは言うまい」
その言葉に、傭兵たちの間から笑い声が漏れた。
「道に迷ったか?」
「砂漠は広いからな」
嘲るような声。
だが、鎧の男は動じない。
しばし、沈黙。
やがて、低く口を開いた。
「ここからハーントッシュへ向かう途中」
言葉は簡潔だった。
「バンガ村から半日歩いた地点にある遺跡に向かう」
一瞬、時間が止まった。
「そのために、貴様らの手を借りる」
テント内の空気が、凍りつく。
驚きと戸惑いが、はっきりと表情に現れた。
バンガ村。
それは、この傭兵団が密かに管理している補給地の一つだ。
表向きには廃村とされ、地図にも記されていない。
アラシア上層部ですら、正確な位置を把握していない。
ましてや――ザリス帝国が知るはずがない。
「……待て」
白髪の男が、机を叩いた。
「貴様、バンガ村のことは誰から聞いた?」
沈黙。
「そして――」
声が低くなる。
「なぜ、我々ですら把握していない遺跡の所在を掴んでいる?」
傭兵たちの視線が、一斉に鎧の男へと集まる。
剣の柄にかけられた指が、わずかに力を増す。
一触即発。
だが、鎧の男は答えなかった。
沈黙を貫いたまま、ただ立っている。
その無言が、何よりも不気味だった。
テントの外で、砂漠の風が唸りを上げる。




