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囚われし村

集会所の灯りは、いつもより少なかった。


昼だというのに、外は暗い。

雨音が壁を叩き、一定の間隔で屋根を打ち続けている。


長い卓を囲むように、年長者たちが座っていた。

誰も酒には手を伸ばしていない。


村長サンバー・デルは、卓の奥に腰を下ろしている。

背は少し丸くなったが、視線だけは鋭いままだ。


「……まず、衛兵の報告からだ」


しわがれた声だった。


ゴルムが一歩前に出る。

槍を持つ手に、わずかな力が入っている。


「昨日の朝、南東の用水路に詰まりを確認しました」


卓の周囲が、静かになる。


「泥と流木です。規模は小さく、昼前には除去しました」


ダンピンが、顎に手を当てたまま口を挟む。


「そこは、去年も詰まったな」


「はい。ただ……」


ゴルムは一瞬、言葉を探した。


「今朝、同じ場所が、再び詰まっていました」


ナラの指が、帳面の上で止まる。


「同じ場所、というのは?」


「同じ曲がり角です。

 水の流れも、溜まり方も、ほぼ変わりません」


誰かが、小さく息を吐いた。


ダンピンが、舌で歯を鳴らす。


「直したはずだ」


「はい」


「完全に?」


「……はい。水は流れていました」


沈黙が落ちる。


雨音だけが、会話の隙間を埋めていく。


サンバーが、ゆっくりと口を開く。


「今日の分は、もう手を入れたのか」


「はい。今朝方に」


「流れは?」


「今は……保っています」


その言葉に、誰も安堵しなかった。


ナラが帳面を閉じる。


「水位は、昨日より上がっています」


淡々とした声だった。


「数値上は、まだ余裕があります。

 だが……」


言葉を切り、卓の上を指で叩く。


「このまま同じ場所が詰まり続ければ、水は必ず逃げ場を探します」


ダルバラが、腕を組んだまま言った。


「逃げ場ってのは……」


「畑か、住居です」


即答だった。


空気が、さらに重くなる。


ビーニーが、静かに口を開く。


「食料は、足りています」


誰も否定しない。


「作物も育っている。

 炊き出しも、今のところ問題はありません」


サッキーが、唇を噛む。


「……なのに、ですよね」


その一言が、場の空気を言い当てていた。


ダンピンが、低く唸る。


「食い物の問題じゃねえ」


ベンが、小さく頷く。


「……場所、ですよね」


サンバーは、全員を見渡す。


「この村は、雨であろうと受け入れて、共に生きてきた」


ゆっくりと、噛みしめるように言う。


「雨季も、氾濫も、経験してきた。

 だが――」


一拍、置く。


「同じ場所が、同じように詰まり続けることはなかった」


誰も反論しない。


ゴルムが、声を絞り出す。


「シューマの痕跡は、ありません」


それが、さらに事態を悪くしていた。


ダンピンが、卓に肘をつく。


「……じゃあ何だ。泥が自分で戻ってきてるってのか?アーガインじゃあるめぇに」


冗談めいた言い方だったが、誰も笑わない。


ダスカが、ぽつりと言う。


「……戻ってきてる、ように見えるだけかもしれません」


視線が集まる。


「同じに見えるだけで、少しずつ、位置がずれているとか」


ナラが、静かに頷く。


「あり得る」


「だが、それならなおさら厄介だ」


ダンピンが続ける。


「ズレてるなら、ある時、一気に来る」


サンバーは、深く息を吐いた。


「氾濫は、時間の問題か」


誰も否定しなかった。


外で、風が吹く。

雨脚が、わずかに強まる。


「……住んでいる場所が、持たんかもしれん」


サンバーのその言葉は、決定ではなかった。


だが、誰もが同じ結論を思い浮かべていた。


「避難は?」


ゴルムが言う。


ダンピンが、即座に首を振った。


「雨季だ。外に出りゃ、シューマがいる」


「出なくても、ここが沈む」


言葉が、ぶつかる。


サンバーは、目を閉じた。


「今すぐ決める話ではない」


そう言ってから、はっきりと言い切る。


「だが、猶予は長くない」


卓の上に、沈黙が広がる。


それは、恐怖ではなかった。

混乱でもない。


――理解だった。


雨は止まらない。

水は溜まる。

そして、村は動かない。


だが、

事態だけは、確実に動いている。


皆一様に言葉を飲み込む。

しかし、ダンピンは違った。


「マルバのおっさん、あんたはどう思う?」


ダンピンの声は、少しだけ荒れていた。


視線が、一斉に卓の端へ向く。


マルバ・オーンズは、椅子に深く腰を下ろしたまま、腕を組んでいた。

酒の匂いはしない。今日は、最初から飲んでいない。


「……俺か」


低い声だった。


しばらく、何も言わない。

焚き火の爆ぜる音と、雨音だけが、場を満たす。


やがて、マルバはゆっくりと口を開いた。


「まず言っとく」


視線を、卓の中央に落としたまま。


「これは“自然の異変”じゃねえ」


空気が、ぴしりと張りつめる。


ゴルムが、思わず身を強張らせた。


「理由は?」


ナラが問い返す。


マルバは、顎を指で擦った。


「自然ってのはな、雑だ」


短く、断じる。


「雨が強けりゃ、全部詰まる」

「弱けりゃ、全部流れる」


「だが今回は違う」


マルバは、指を一本立てる。


「同じ場所だ」


ダンピンが、低く唸る。


「……人為的だって言いてぇのか」


「人かどうかは知らん」


マルバは、即答しなかった。


「だが、“意志”は感じる」


その言葉に、誰かが息を呑んだ。


「水はな、道を覚えねえ」

「泥も、流れを選ばねえ」


マルバは、卓を見回す。


「だが、妨害は繰り返せる」


沈黙。


サンバーが、静かに言った。


「……誰かが、用水路を見ている、と?」


「見てるか、試してるか……」


マルバは肩をすくめる。


「あるいは――」


一拍、置く。


「ここに人が住めなくなるまで、追い込もうとしてる」


ダルバラが、低く息を吐いた。


「……冗談きついね」


「冗談なら良かったがな」


マルバは、笑わない。


ダンピンが、歯噛みする。


「敵が見えねえのが、一番厄介だ」


「だからこそだ」


マルバは、ようやく顔を上げる。


「見回りを減らすな」

「直すだけで満足するな」


視線が、ゴルムへ向く。


「詰まりを直した後、誰かが残れ」


「雨の中でもだ」


ゴルムは、短く頷いた。


「……了解しました」


サンバーは、しばらく考え込んでいたが、やがて言った。


「無理はさせん」

「だが、目は増やす」


「夜もだ」


マルバは、最後にそう付け加えた。


「夜は、水音がよく聞こえる」


その言葉が、じわりと広がる。


会議は、それ以上続かなかった。


解決策は、まだない。

だが――


村は、もう“異変”を異変として認識した。


それだけで、今日の集会は十分だった。


外に出ると、雨は相変わらず降り続いている。


だが今はもう、

誰もそれを「いつもの雨」だとは思っていなかった。


――村は、静かに“警戒”を始めた。

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