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選んだ語り

その日、雨は止まなかった。


村の灯りは、濡れた地面に滲み、

揺らめく橙色が、足元を不確かなものにしている。


集会用の小屋は、村の中央にあった。

普段は、交易の相談や、狩りの割り振りを決める場所だ。


今夜は――

ボルダーのために、人が集まっていた。


扉を開けた瞬間、視線が集まる。


多くは言葉を持たない視線だった。

好奇でも、敵意でもない。

ただ、“理由を待つ目”。


ボルダーは、一歩だけ中へ進む。


湿った土の匂い。

濡れた衣服の気配。

焚かれた火の、弱い熱。


奥には、村長が座っていた。

年老いた男だが、背筋はまだ伸びている。


その隣に、数人の年長者。

そして、少し離れた場所に――マルバ。


誰も、すぐには口を開かなかった。


沈黙は、雨音と混じり合い、

長さを失っていく。


やがて、村長が低く言った。


「……さて」


その一言で、場の空気が定まった。


「お前たちは遺跡に向かった」

「だが、戻ったのは――お前一人だ」


事実だけが、淡々と並べられる。


責める声ではない。

だが、逃げ道もない。


「何があった」


問いは短い。

そして、重い。


ボルダーは、口を開く。


だが――

言葉が、続かなかった。


何から話せばいいのか、分からない。


砂虫獣。

戦闘。

獣石。

兄。


どれもが、喉の奥で絡まり合い、

順序を拒んでいる。


「……遺跡で……」


同じ言葉を、また繰り返していた。


誰かが、小さく息を吐いた。


焦れた様子ではない。

むしろ、待つことに慣れた沈黙だった。


村長は、急かさない。


「順でいい」

「覚えているところから話すんだ」


ボルダーは、視線を落とす。


床に落ちた水滴が、

ぽたり、ぽたりと広がっていく。


「……戦った」

「……兄さん――ザリスの人間が、裏切った」


「アルバンは……助けてくれた」

「……パイリーも……でも……」


そこまで言って、声が詰まる。


その先を言えば、

もう戻れない気がした。


――死んだ、と。


口にした瞬間、

すべてが確定してしまう。


「……最後までは……」


それは、逃げだった。


自分でも、分かっている。


だが、村の者たちは、深く追及しなかった。


一人の年長者が、静かに言う。


「俺たちは傭兵だ。命が返ってこぬことも、珍しくはない」


別の者が、頷く。


「しかし、アルバンも同行していた」


アルバン、傭兵の中でも古株であった彼の老獪さは広く知れ渡っている。

無謀な真似を嫌い、生き延びるための判断を誤らない男だ。


その名が出たことで、場にわずかなざわめきが走った。


「……あいつが戻らなかったとなると」

「よほどの状況だったか」


誰かが、そう呟く。


責める声音ではない。

だが、同情とも違う。


それは――

“納得”を探す声だった。


村長は、しばらく黙っていた。


焚き火の音だけが、小屋の中で小さく弾ける。

雨音が、その隙間を埋めていく。


やがて、ゆっくりと口を開いた。


「あの遺跡に、何があった?」


問いは静かだった。

だが、逃げ場のない静けさだった。


小屋の中の視線が、再びボルダーに集まる。

今度は、理由を待つ目ではない。


――判断する目だ。


ボルダーは、一度だけ深く息を吸った。


「……獣石が、ありました」


その言葉に、年長者の何人かが眉を動かす。


「遺跡なら珍しくもない」

「今さら騒ぐ話じゃない」


当然の反応だった。

この地では、獣石は価値があっても、未知ではない。


ボルダーは、ゆっくりと首を横に振る。


「……ただの獣石じゃなかった……多分……封印されていたんです」


「……俺には、詳しいことは分かりません」

「ですが、兄はそれを最初から狙っていました」


空気が、わずかに変わる。


「つまり、ザリスは最初から知っていたと?」


誰かが、声を潜めて言った。


ボルダーは、否定も肯定もせず、続ける。


「……それで、争いになった」

「兄さんは、とても強かった」

「そして、あそこには……」


“炎”という言葉を、飲み込む。


あの闇。

あの炎。

あの問い。


それを、ここで語るわけにはいかなかった。


語った瞬間、

自分は“異物”になる。


「……アルバンは、撤退を選びました」

「パイリーも……最後まで、俺を逃がそうとした」


声が、かすれる。


「……俺は……落ちました」

「その先は……覚えていません」


沈黙。


それは、疑念ではなかった。

“これ以上は聞かない”という合図だった。


村長は、しばらく目を閉じていた。


やがて、ゆっくりと口を開く。


「帝国の狙いは分かった」

「だが、今は何もできん」


「雨季に入った以上、ワシらは村から出られん」


誰も異を唱えない。


「アルバンとパイリーは……戻らなかった」

「それが、結果だ」


言葉は冷たい。

だが、この村では、それが慈悲でもある。


「お前は、生きて戻った」

「そして、この情報を持ち帰った」


その言葉で、結論は出た。


これ以上、掘り下げない。

これ以上、広げない。


村長は、視線を上げる。


「……この件は、ここまでだ」


誰も反論しない。

誰も、振り返らない。


人々は、静かに席を立ち始める。


それぞれが、

“理解できる形”で納得していく。


ボルダーだけが、動けずにいた。


(……違う……)


そう思っても、口にできない。


違う、と言えば、

理由を問われる。


理由を問われれば、

あの闇を語らねばならない。


――語れない。


マルバが、最後に残った。


「……もう休め」


短く、それだけ言う。


「お前が背負うもんは、今じゃねえ」


それは、慰めでもあり、忠告でもあった。


ボルダーは、小さく頷く。


小屋を出ると、雨は相変わらず降り続いていた。


村は、いつも通りだ。

灯りも、人の声も、変わらない。


(……語られたことは、終わった)


(……語れなかったことは、まだ続いている)


その差だけが、

胸の奥に、重く沈んでいた。


雨は、すべてを平等に濡らす。


だが――

沈む重さまでは、流してくれなかった。

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