砂の呼び声
ボルダーはデンドラたちを引き連れ、オアシスへ向かっていた。
六本脚の水獣――デンドラ。
鈍重な体躯ながら、腹部に大量の水を蓄えるこの獣は、砂漠を渡る民にとって命そのものだった。
人が水を携えて進める距離には限界がある。だがデンドラがいれば、隊商も傭兵団も、はるか遠くまで踏み込める。
だからこそ、定期的な水の補給は欠かせない。
特にこの時期の砂漠は過酷だ。昼は灼けるような熱、夜は骨身に染みる冷気。
人だけでなく、獣にとっても消耗が激しい。
水を満たした皮袋を背に、ボルダーは先頭を歩くデンドラの首元を軽く叩いた。
「もう少しだ。帰ったら、たっぷり休ませてやるからな」
言葉が通じるわけではない。
それでも、長年世話をしてきた獣たちは、落ち着いた足取りで進んでくれる。
この仕事は嫌いじゃなかった。
剣を振るよりも、獣と向き合う方が性に合っている。
自分には、それしかできない――そう思っていた。
その時だった。
――砂が、鳴いた。
耳ではなく、腹の底に直接触れるような低い振動。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
次の瞬間、前方の砂丘が不自然に盛り上がる。
「……っ!」
ボルダーは思わず足を止めた。
砂が崩れ、波打つように流れ落ちる。
そして、その下から姿を現したのは――
巨大な影。
「……砂虫獣!?」
(……あり得ない)
砂虫獣はオアシスを嫌う。水の匂いが濃い場所には、まず近寄らない。
その体躯は細く、まだ成体でないのは明らかだ。それでもなお、人はおろかデンドラ程度なら丸呑みにできるほどの巨体であった。
だが、現れたそれは疑いようもなく砂虫獣だった。
節くれ立った外殻。
地を削るようにうねる胴体。
デンドラ達の匂いを捉えたかのように頭を向け、ゆっくりと口を開き、恐ろしい牙を覗かせる。
「……まずい……!」
巨体が砂を割り、一直線にデンドラへと迫る。
温厚な水獣たちは混乱し、低い鳴き声を上げて逃げ惑う。
隊列は一瞬で崩れ、鈍重な個体が後方に取り残された。
「走れ! 集落の方だ!」
ボルダーは叫び、先頭のデンドラの側面を叩いた。
獣たちは本能的に理解したのか、必死に脚を動かす。
幸いにも、ここから集落まではそう遠くない。
砂丘を越えれば、傭兵団の見張りがいるはずだ。
誰かが気付けば、助けが来る。
だが――
後方で、重い衝撃音が響いた。
振り返ると、鈍重な一頭に、
砂虫獣の影が覆い被さろうとしていた。
「……っ!」
一瞬の迷い。
逃げれば、助かる。
自分一人なら。
だが、置き去りにされたデンドラはどうなる。
「くそっ……!」
ボルダーは歯を食いしばり、腰にぶら下げた獣石を掴み取る。
戦闘向きではない。
剣の腕も、獣石の扱いも、兄には遠く及ばない。
傭兵としては落ちこぼれだと、嫌というほど分かっている。
それでも――
(見捨てられるかよ……!)
拳の中で獣石が、淡く光を放つ。
「――コル・ヴォルガン!」
放たれた火炎が、砂虫獣の外殻を焼いた。
硬い殻に阻まれ、致命傷には至らない。
焼けた外殻が剥がれ落ち、下から新たな装甲が露わになる。
砂虫獣は悲鳴のような振動音を発し、巨体をくねらせた。
「まだだ……!」
一撃では足りない。
二撃、三撃と火を放ち、必死に距離を取る。
汗が噴き出し、腕が震える。
獣石の反動が、頭を揺らす。
さらに――
水を呼ぶ。
「コル・ルーガン!」
砂中から水が噴き出し、何本もの柱となって乱立する。
不規則に立ち上る水の壁が、砂虫獣の進路と感覚を惑わせた。
隙を見せた砂虫獣に、ボルダーはもう一度、獣石へ魔力を込める。
ドシュッ。
一本の水柱が勢いよく噴き上がり、
砂虫獣の頭部を打ち据える。
巨体がわずかによろめき、
その動きが一瞬だけ止まった。
「やったか!?」
砂虫獣は苛立ったかのように、低い雄叫びを上げる。
ゆっくりと、睨み合う二つの影。ボルダーの頬から一筋の汗が流れ落ちる。
しかし、やがて興味を失ったのか、砂へと身を沈めていった。
静寂。
砂が、何事もなかったかのように元に戻る。
その直後だった。
「ボルダー!」
背後から声が上がる。
振り返ると、傭兵団の仲間たちが武器を構え、駆けつけてきていた。
完全に姿を消した砂虫獣を確認し、ようやく緊張が解ける。
ボルダーは膝に手をつき、深く息を吐いた。
「……成体じゃなかったのが、せめてもの救いか」
自分に言い聞かせるように呟き、デンドラたちを落ち着かせる。
このまま戻ろう。
そう思った、その時だった。
「ボルダー、待て」
団の一人が、少し困ったような表情で声をかけてきた。
「さっき、指名が入った」
「……指名?」
嫌な予感が、胸をかすめる。
「お前を“傭兵として”雇いたい、ってな」
意味が、すぐには理解できなかった。
自分は飼育員だ。
戦闘員としては半人前で、補給係がせいぜい。
それなのに――
「……俺を?」
砂漠の風が、ざらりと音を立てて吹き抜ける。
胸の奥で、何かが軋んだ。
呼ばれた。
砂に。
運命に。
ボルダーは、その正体を知らぬまま、ただ立ち尽くしていた。




