「白い結婚」だと聞いて嫁いだのですが、なんだか、その、話が違いますね……?
私の旦那となる人――ハラルト公爵の告白は、少し変わっていた。
「白い結婚をしないか」
緊張した面持ちで口にされた言葉の意味が、正直私にはわからなかった。
白い結婚ってなんだろう。白い、とつくのだから、真っ白なシーツという意味なのだろうか。
真っ白なシーツで毎日寝ていいぞっていう告白……?
などと考えていた私だが、ここで「白い結婚って何ですか?」と聞き返せば雰囲気を壊すことくらいは理解できていた。
だから、私は侯爵令嬢として過ごす日々の中で鍛えたふんわりとした笑顔で「はい、喜んで」と答えたのだ。
私の想像できる範囲で一番無難な答えをしたと思う。
でも、私が答えた瞬間のハラルト様の少し落ち込んだような表情は、なんだか解せないのだけれど。
▽▲▽▲▽
結婚して三か月。ようやく私は「白い結婚」の意味を理解し始めていた。
だって! 夜の営みが! まったくない!!
最初は「旦那様まさかそういうご病気で……?」などと思っていたのだけれど、貴族学園からの親友であるペトラに告白された時の台詞込みで色々と話したところ「貴女……それは……」と頭を抱えられてしまった。
白い結婚、とは夜の営みをしない、という意味なのだ、と教えてもらったのである。
そ、そっか~! 白い結婚ってそういう意味だったのね?!
と、的外れなお返事をした過去を思い出して、私は唸ってしまった。
別に『そういうこと』をなにがなんでもやりたいわけではないし、むしろ、やらなくていいならやりたくはない。
だって、痛いっていうじゃない……!!
夜の営みは最初はすごく痛いっていうし、子供を生むのだって痛いというし、でも嫁に入ったのだから義務としてどちらもこなさなければならないと覚悟を決めていたのだけれど。
でも、やらなくていいといったのは旦那様なのだから、だったらやらなくていい環境を謳歌したい。
だって、痛いのは嫌いだから!!
後継ぎ問題はどうするのかとか、そんなの全部投げ捨てて、私は「痛いことをしなくていいならラッキー!」とだけ前向きに考えることにした。
別に寂しくなんてない。全然寂しいなんて思ってない!!
でも、それはそれとして、どうして旦那様は「白い結婚をしよう」なんて言ったのだろう。
それだけはどうしても不思議だった。
やっぱり、旦那様そういうご病気なのかしら……?
そんな感じで過ごすこと、さらに半年。
私が公爵夫人になってから九か月が立とうとしていた。
そんな折、お屋敷にこもりがちな私を心配した旦那様に「たまには貴族街で買い物でもしてきたらどうだろう?」と提案されて、私はうっきうきでショッピングに出かけた。
馬車に乗って貴族御用達の高級店をいくつか回る。
その中で立ち寄った一つのお店で、私は貴族学園時代から犬猿の仲の男爵令嬢と鉢合わせをした。
「あらぁ~、イザベル様じゃないですかぁ。一人寂しく買い物ですかぁ?」
「お久しぶりです、ソニア様。ソニア様こそおひとりのご様子ですけれど」
ソニア・ニューエン男爵令嬢。
男漁りが酷くて貴族学園ではほとんどの女子生徒に嫌われていた。
私も当時から旦那様になるハラルト様に色目を使われていたので好きではない。
と、いうかだ。
色目を通り越して色仕掛けで旦那様にアタックしていたことだって知っている。
旦那様は欠片も興味を示さず振ったらしいけれど!
「あたしはいいんですぅ。恋人に贈るプレゼントを買いにきたので!」
「恋人? 婚約者ではなく?」
「うるさいですねぇ」
常々頭の弱い喋り方をする人だとは思っていた。
それにしても、婚約者ではなく恋人かぁ。
お相手の家の人に婚約を反対されているのか、あるいは考えたくないけれど、不倫か。
ソニア様ならどっちもあり得そうなので、ちょっと判断に困る。
私の疑問に眉を寄せる辺り、ご本人も堂々と「婚約者」を名乗れないのを気にしてはいそうだけれど。
「そういえば聞きましたよぉ。結婚して九か月も立っているのに妊娠の兆しもないとか! 愛されてないんですね~。やっぱり政略結婚で嫌々ハラルト様はイザベル様を娶ったんだぁ」
「そう思いたければ思っていただいて構いません」
「あっは、図星つかれて困ってるぅ」
にたにたと笑う表情が本当にいやらしい。仮にも男爵令嬢であるのにこの品のなさ。
いくら男性受けする豊満な体を持っていていても、婚約が決まらないわけである。
「イザベル様は石女だったんですねぇ」
「はぁ」
石女、の意味を私は知らないけれど。
いい意味でいわれていないことくらいは察せられる。ため息を吐いて私は背を翻した。
「どこいくんですかぁ?」
「帰ります。買い物という気分ではなくなりました」
「バイエルン公爵夫人! 奥にお部屋をご用意しますので!!」
私の言葉に慌てたのは様子を伺っていた店員だ。
男爵令嬢より公爵夫人の私を優先する言葉が出てくるのは当たり前なのだけれど、それすら今の私には気に障った。
「いいえ、結構です。日を改めます」
「失礼いたしました……!」
深々と頭を下げる店員に罪はないが、それはそれとして気分を害したのは事実だ。
私はさっさと馬車に乗り込んだ。ねっとりとした絡みつくような視線を振り払うように。
▽▲▽▲▽
帰宅した私はお風呂に入って肌のお手入れをして、夕食を食べるために食堂に移動した。
旦那様も帰宅されていて、二人で夕食を囲む。
いつも通り美味しい食事に手を付けながら、私は世間話のつもりで今日のことを切り出した。
「旦那様、今日は出かけさせていただきありがとうございます」
「楽しかったか?」
「うーん、ちょっと嫌なことはありましたが、おおむね楽しかったです」
少し考えて、誤魔化すことなく素直に告げた私に旦那様の眉間に皺が寄った。
食事の手を止めて、旦那様がじっと私を見つめてくる。
「嫌なこと、とは」
「貴族学園での同級生に会ったのですが、あまり好きではない方で」
「なるほど、ソニア令嬢か」
ずばり言い当てられて、私は軽く目を見張った。
そんなにわかりやすい言葉を選んでしまっただろうか。
「よくわかりましたね」
「イザベルが人を嫌うことはなかった。苦手、というワードで思いつくのは彼女一人だ」
「そうなのですか」
旦那様は私のことをよくみてらっしゃる。
感心した気持ちで頷いた私の前で、旦那様がワインの入ったグラスに手を伸ばした。
ワインに口をつけたのを眺めながら、そういえば、と私は疑問を口にした。
「旦那様『石女』とはなんでしょうか?」
「っ?!」
げほ、と旦那様がむせこんでしまう。ワインが気管に入ったらしい。
げほごほとむせる旦那様に慌ててしまう。
「大丈夫ですか?!」
「だ、大丈夫だ……。まさか、ソニア嬢にそんなことを言われたのか。イザベル」
剣呑な眼差しで私を見つめる旦那様の瞳には、殺意が宿っているように見える。
そこまで過激な反応をされる単語だったのだ、と私は自分の不勉強を恥じた。
「すみません、旦那様がそのような反応をされる単語だと知らなくて」
「いや、知らなくていい。……だが、そうだな。今日の夜、用意をしておいてくれないか」
「はい?」
用意、とは何だろう。
首を傾げた私の前で、瞳から殺意の炎を消した旦那様が思わず胸がときめくような色っぽい笑みを浮かべる。
「色々と教えてやろう。夜は待っているように」
「はぁ」
なんだろう。使用人の前では言えない単語だろうか。やっぱり悪い意味だったのだ。
うかつに口にしたことが悔やまれる。
しょんぼりと反省していた私は、旦那様から視線を外していた。
獣のようにぎらぎらと光る眼差しが自分を射抜いていることに、全く気づいていなかったのだ。
夜、言われたとおりに寝室で待っていると、いままで同じベッドで寝ても一切手を出してこなかった旦那様が、怪しい手つきで私のネグリジェを脱がせようとしてきて慌ててしまう。
慌てた拍子にベッドにひっくり返った私の上に、覆いかぶさるように旦那様が乗ってくる。
私の手首を旦那様がベッドに押し付ける。
「だ、旦那様……?」
「石女、とは妊娠しない女性の蔑称だ。イザベルがそう言われるのは我慢ならない」
なるほど確かにそれは嫌みを通り越した蔑みの言葉だ。
だけど、今の私にはそこに突っ込む余裕がない。
ベッドに縫い付けられるようにして、私は必死に声を上げた。
「白い結婚ではないのですか?!」
「……イザベルは」
旦那様が悲しげに視線を伏せる。長いまつ毛が美しい。
現実逃避のようにそう考えてしまう。
「私と結ばれるのが、嫌なのだと、ずっと思っていた」
「え?」
「私たちは政略結婚だったし、きっとイザベルには他に好きな男がいるのだと思っていて、ならば、離縁したときに処女の方が再婚しやすいだろう、と」
どうしてそんなお話になるんですか?!
確かに政略結婚でしたが、最初からずっと私に優しかった旦那様のことを私もお慕いしていましたが?!
旦那様の暴露に驚きすぎて言葉が出ない。
返す言葉を失っている私の前で、自嘲気味に旦那様が笑う。
「でも、もうイザベルを手離す気はない。毎日イザベルが私を笑顔で出迎えてくれる、そんな幸せを手離せない」
「……ください」
「うん?」
「手放さないで、ください」
私は顔を真っ赤にして、上にのしかかっている旦那様を見つめる。
心情を伝えるのは勇気が必要だけれど、いま口にせずいつ口にするのか、とも思う。
「私はずっと、旦那様だけが好きでした。手放されてしまっては、泣いてしまいます」
「そう、なのか」
「はい」
私の告白に大きく目を見開いた旦那様が、ゆるゆると目を細める。
その瞳に宿る見たことはないけれど、噂に聞く肉食獣のような燃える炎に、心臓がどくどくと早鐘を打つ。
「では、食べてしまっても?」
「……はい」
私は先ほど以上に顔を真っ赤にして頷いた。
旦那様は心底嬉しそうに笑って――その日、私は初めて旦那様と正真正銘本当の意味で、夜を共にしたのだった。
▽▲▽▲▽
「イザベルは美味しいなぁ」
それが、夜の旦那様の口癖だった。
ベッドの中で私を甘やかして、なかせて、それで決まってそう口にする。
あの日から、私は毎日旦那様に抱かれている。
朝起きるたびに腰は痛いし、声も掠れているけれど、確かな充足感があった。
そんな日々を過ごしていれば――当然、妊娠もすぐにした。
旦那様に抱かれるようになって三か月が過ぎた頃、私が食事の席で気分が悪くなって吐いたことがあった。
大慌てでお医者様を呼んだ旦那様と一緒に何か悪い病気だろうかと不安になりながらお医者様に診てもらって、結果は「ご懐妊です」との言葉。
ぽかんとする私の横で、旦那様が「よくやったイザベル!!」と私を抱きかかえてくるくるその場で回って、お医者様に怒られた。
遅れてやっと実感した私が、涙ながらに「旦那様の子だぁ……!」と泣きだしたら、またも旦那様は大慌てで私の頭をよしよしと撫でてくれた。
そうして生まれた第一子は私の色彩を受け継いだ長男で、男の子だけれど目鼻立ちも本当に私にそっくり。
「成長したら旦那様に似てくるかしら?」
と私は日々赤子を眺めてはにこにことしていた。
だが、ある日。
人を一人殺してきたのではという物騒な表情で帰宅した旦那様から話を聞いて、流石の私も怒りで血管が切れるかと思うことが起こる。
それというのも、旦那様曰く――。
▽▲▽▲▽
イザベルによく似た息子が生まれて二か月、幸せの絶頂の中、私は久々に王宮に仕事にきていた。
陛下との話が終わって、足早に屋敷に返ろうと歩いているときに声をかけられた。
「ハラルト様ぁ、お久しぶりですぅ」
「……久しぶりだな」
背筋が粟立つような猫撫で声はソニア男爵令嬢のものだ。
本当は無視をしたかったが、他に人が通りかかっているこの場で露骨な無視をすれば、悪評が立つかもしれない。
私一人がなにかいわれるならばいいが、我が家には愛する妻と愛おしい息子がいるのだ。
将来、公爵家を継ぐ息子のことを考えれば、下手な噂を立てるわけにはいかない。
そうおもって足を止めたのが間違いだった。
すぐに私は後悔することになる。
「お子様が生まれたそうでぇ。おめでとぉございますぅ」
「ありがとう。用はそれだけか?」
「あのですねぇ、お子様、本当にハラルト様の子ですかぁ?」
何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
遅れて言葉の意味を理解して、私は自覚できるほど鬼の形相になったと思う。
「どういう意味だ。返答次第ではただではすまなさない」
脅しの言葉だ。だが、無礼な令嬢は感覚もまともではなかったらしい。
私の言葉に怯むことなく吐き気がするようなぶりっ子の仕草で首を傾げた。
「だってぇ、お子様の色彩はイザベル様と同じだしぃ、全然ハラルト様に似てないって聞いたからぁ」
つまり、この女は。
私の愛する妻が、イザベルが。不貞をしたといいたいのか。
(殺してやりたい)
率直に、そう思った。
私のイザベルへの溺愛具合を知れば、そんな疑念など抱かないだろうが、夫婦の夜を知らせる相手ではない。
私はぐっと奥歯を噛みしめた。
それが、ソニア男爵令嬢には別の意味に見えたらしい。
「私がぁ、ハラルト様の本当のお子様をぉ、生みますよぉ」
ぞっとした。こんなにも言葉が通じない人間がいるのかと。寒気がした。
私は異国の魔物でも見つめる気持ちで、ソニア男爵令嬢を見ていたが、会話をするだけ無駄だと察して今度こそ無視を決め込むことにした。
「私は急いでいる。失礼する」
「いつでもお声がけ、くださいねぇ」
にこにこと笑いながら手を振る姿に、本当に吐くかと思った。
天変地異が起こってもあの女に手を差し伸べる日は来ない。
それを、わからせねばならなかった。
▽▲▽▲▽
「頭が弱い以前の問題な気がしてきました……」
旦那様が殺気立っている理由を聞いて、私はうずくまって頭を抱えたい衝動と戦っていた。
それをしないのは、腕の中に幼い我が子を抱いているからだ。
ハラルト様が息子を抱こうと伸ばした手から逃げる。
傷ついた顔をしているハラルト様に「今の旦那様にフランツは抱かせられません」ときっぱりと断った。
「……すまない。頭を冷やしてくる」
「はい」
「ついでに、明日にでもニューエン男爵家は取り潰す方向だ」
「はい?」
さらりと言われた言葉とともに立ち去ろうとする旦那様を慌てて呼び止める。
私の聞き間違いでなければ『取り潰す』といいませんでしたか?!
「まってください、どういうことですか」
「ソニア令嬢の生家のニューエン男爵家は色々ときな臭くてな。イザベルに口にするのも気持ち悪い蔑称を告げたと聞いたあの日から、色々と探っていた。家ぐるみで不正をしている証拠は山ほど掴んだから、いつ取り潰しにかかろうかとちょうど思っていたところなんだ」
にこりと爽やかさえ感じる笑みを浮かべて告げられた言葉に、私は少し動きを止めた。
頭の中をぐるりと回るのは、貴族学園でされた嫌がらせの数々。貴族店での嫌み。トドメに息子を蔑む言葉。
うん。
「慈悲はいりませんね!」
「イザベルのそういうところを私は愛しているよ」
ちゅ、と額に口づけを落とされる。
最初は真っ赤になっていたけれど、もう大分慣れたので、私も笑顔で受け取った。
「早く次の子がほしいな。次は女の子がいいんだ」
「授かりものですからね。気長にいきましょう」
「ああ。出産して半年は身体を休めるように、と医者も言っていたからね」
つまり、半年が過ぎれば夜を共にしたい、という意味だ。
最近私はやっと旦那様の副音声に気づけるようになりつつある。
「うー! あー!」
「あらあら、フランツ、お腹が減りましたね」
「すまない。父が独占してしまった」
ぐずりだしたフランツをあやしながら、私は笑った。
最初は「白い結婚」の意味も知らなかったけれど。
なんだかんだ幸せいっぱいなので、まあ結果良ければすべてよし、かな!
読んでいただき、ありがとうございます!
『「白い結婚」だと聞いて嫁いだのですが、なんだか、その、話が違いますね……?』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?
面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも
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