自称○000万プレイヤーの先輩ホスト達が住むアパートの排水溝を見たら、子供の頃のトラウマが蘇った件
中学校に入学する前、父さんが仕事の都合で故郷に引っ越した。母さんと俺は父さんに連れられて、父さんの母さん、つまり俺の祖母がいる実家に行くことになった。
祖父は俺が子どもの頃にガンで亡くなっており、祖母は一人で実家に住んでいた。
父さんはいつも祖母のことを心配していた。一年に数度、盆や正月に家族で訪ねるたび、父さんは、実家の近所で空き巣や放火事件が起こっていることを話に出して、祖母に知らない人間がうろついていたら気を付けるよう口を酸っぱくして言っていた。
父さんが家族を連れて祖母と一緒に住むことにしたのは、経済的な理由というより、年老いた祖母を危険から守るためであったのだろうと思う。
言うまでもないことだが、祖母と母さんとは嫁姑の関係である。舅や姑と途中から一緒に住むことになった妻は、上手くいかないことが多いと聞くから心配なのよね、と母さんは言っていた。
俺も不安だったが、一緒に暮らし始めると、優しい性格の母さんは気難しそうな祖母と上手く付き合っているように見えた。
祖母も穏やかな笑みを浮かべながら母と話していた。
父さんは「うちの嫁姑は他と違って仲良くてほんとうに良かった」と喜んでいた。
ある晩、トイレに起きた俺は、祖母と両親が寝ている和室のふすまが少し開いているのに気づいた。
祖母が父さん母さんと一緒に住むときに、唯一の条件としたのが、父さんと隣同士で寝ることだった。
母さんは最初ためらっていたが、「ほかは何でもあなたたちのやり方に従うから」と祖母に言われ、最終的には受け入れた。
それで、母さんと祖母は父さんを挟んで一緒の部屋で寝るようにしていた。
「開けたら閉める」が母さんの口癖だった。
扉やふすまの閉め忘れは珍しいな、と思った俺は、なんとなくその隙間から部屋を覗いてみた。
天井の電灯は豆電球だけついて、部屋の中をぼんやりと黄色く照らしていた。祖母と父さん母さんは皆寝ていた。
俺ははっきりと見た。いつもはきちんとセットしている祖母の長い白髪と、母さんの長い黒髪が解けて、父の頭の上でまるで蛇のように絡みつき、互いが互いを締め上げているのを。
俺は悲鳴を上げるのをすんでのところで堪えた。そのまま後ずさりし、足音を立てないようにして布団の中に戻った。
それから俺は、何度もその時の光景を夢に見てうなされるようになった。悪夢から逃れようとネットでいろいろ調べた。
すると、昔の怪談に行き当たった。豪族だった一遍上人が若い頃に二人の妾と寝ていたある夜、その妾たちの髪が蛇と化し、いがみ合い、喰らい合うところを目撃した。一遍上人は女の嫉妬の恐ろしさを知って出家した、というものである。
この「蛇髪譚」はさまざまな形で語り継がれてきたらしい。残念ながら嫁姑バージョンの説話は見つけられなかったが、いずれの話も、女同士の髪が蛇になる原因は嫉妬であることは何となく分かった。
だが分かったところで俺のトラウマが消えるわけではない。俺は、上辺だけ仲良くしている母と祖母のいる家から脱出したい、女の嫉妬を見たり考えたりしなくて済む世界にいきたい考えるようになった。
とにかく、まずは東京のそこそこ有名な大学に行って実家から離れて下宿することを目標に、俺は灰色の中学・高校生活を過ごした。人間不信、女性不信になっていた俺は、心理学で有名な先生のいる○○大学で勉強したい、と適当な理由をでっち上げて両親を説き伏せ、志望校に無事合格した。
それで大学生になったが、とりあえずの目標を達成した俺は、大学になじめず休みがちになった。自分自身に嫌気がさした俺は、手っ取り早く金が稼げて、女性への不信感も克服できそうなホストクラブの世界に魅力を感じ、体験入店した。
そこで、鮮やかな金髪のロングヘアーが印象的な先輩ホストの一人に、俺は妙に気に入られた。○000万プレイヤーであると豪語する先輩は、「今度ホスト仲間がいるルームシェア先に遊びに来いよ」と俺を誘ってきた。
ホストクラブの非日常な雰囲気も相まって、完全に舞い上がっていた俺は、先輩ホストの誘いに乗って、ルームシェア先を訪ねることにした。
初めて出会った先輩に気に入られたという事実自体に気を良くしていた俺は、男同士で切磋琢磨できる環境で、先輩の技を盗みながら№1ホストを目指すのも良いかも、と調子のいいことを考えていた。
翌日、早速先輩に教えられた下宿先を訪ねた。高級マンションの一室で、○000万プレイヤーたちが年間売上№1や指名数№1を目指してストイックに頑張る場所を想像し、緊張しながらも俺はちょっとワクワクしていた。
下宿先は、築四十年は確実に経っているアパートで、華やかなイメージのホスト業界とはかけ離れた場所だった。想像とのギャップに呆然としながらも、ところどころ手すりが錆びている外階段の横を通った。
ひび割れがあちこちにある廊下を歩き、先輩がルームシェアをしているという部屋の前にたどり着いた。チャイムを押したが、先輩は不在だった。
「しばらく待つか」と思い、視線をおとすと、扉の左横には風呂場からの排水を流す溝があった。俺の目は、そこに流れておらず残った「何か」をとらえた。
それは、水分を含んで寄り集まり、蛇のようにとぐろを巻く、長くて鮮やかな金髪だった。長い黒髪の束に絡みつき、流れてきた排水の勢いでもたげた金色の鎌首は、動きの弱い黒髪を威嚇し、さらに締め上げようと蠢いていた。
俺は、ひゅごっ、という今まできいたことのない音が自分の喉から漏れるのを自覚しながら、その場を一目散に逃げ出した。
走りながら、子どもの頃実家で見た光景が何度もフラッシュバックした。そのあとは、自分の下宿までどう帰ったか、よく覚えていない。
俺は部屋でひとり布団を被って震えながら、ある考えに行き着いていた。
嫉妬は、女だけの感情ではない。
むしろ、厳しいノルマや上下関係のなかで、一握りの成功者になろうと、日々互いを蹴落とし奪い合おうとする男の嫉妬の方が、もっと陰湿で恐ろしいものなのではないか。
そんなことをぐるぐる考えながら、俺はいつの間にか深い眠りに落ちていった。
あれから俺は、億プレイヤー№1ホストになる夢をすっぱり諦めた。
今は、大学に通って真面目に授業を受け、図書館で心理学や文学、怪談などの本を片っ端から読んでいく毎日だ。同じ心理学専攻の同級生とも、前よりは構えずに話せるようになった。
世の中のことや人間のこと、俺にとって訳の分からないことばかりだ。
だけど、いろいろなことを経験したり調べたりしたら、少しはわかることもある。
自棄にならず、一つ一つ積み重ねていこうと思う。
俺の中にいる「蛇」が姿をあらわして、誰かのトラウマにならないようにするためにも。
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