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誰にも届かなかった僕の声が、君にだけ響いた。  作者: ひとひら


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第8話 花火が照らしてくれた夜、僕の声は揺れていた


海沿いの遊歩道を、僕たちは並んで歩いていた。

足元には街灯がぽつぽつと灯り、オレンジ色の輪がアスファルトに映っては消えていく。

潮の香りと夜風の冷たさが頬を撫で、まだ湿り気を帯びた夏の空気が肺の奥へと優しく染み込んでいく。


遠くからは花火の準備を知らせる低い音が響き、波打ち際の穏やかな潮騒が耳をくすぐった。


「人、多いね」

二つ年上の春野さんは、こうした混雑に動じることなく、僕の歩幅に合わせて歩いている。

その落ち着いた姿は、まるで今夜の空気そのもののようだった。


「うん……でも、こういう場所は、ちょっと緊張するかも」

僕は小さくつぶやく。声は風にかき消されそうで、それでも届いてほしくて少しだけ強めにした。


僕たちは人混みから離れ、海沿いの道をゆっくり歩く。

まだ昼の熱を帯びたコンクリートには潮の匂いが漂い、波音が近づくにつれて胸の奥に眠っていた何かが目を覚ましていく。


僕は無意識に、口の中に浮かんだ旋律をそっと零した。


――あの歌。

先日作ったばかりで、まだ名前もない、途中までの未完成の歌。


「……もう少し、聴かせてくれる?」

春野さんが立ち止まる。僕の視線を一瞬、意識しているようだった。


「う、うん……いいよ」

僕は少し顔を伏せ、でも声が震えないように気をつけて答えた。


春野さんは歩を緩め、街灯の橙色に照らされた横顔を少し細めて言った。



「……その歌、やっぱり好きだな」


彼女の言葉が、夜風よりも優しく胸に落ちてきた。

ただのひとことなのに――心臓がドクンと跳ねる。


歌を褒められただけのはずなのに、まるで僕自身を肯定されたみたいで。

信じられないくらい、胸の奥が熱くなっていく。


どうしよう。

落ち着こうと思っても、鼓動はごまかせなかった。


僕は息を深く吸って、揺れる心を隠すように続きを口ずさむ。

歌声は夜の海に溶け、花火の準備音と波のリズムに寄り添っていった。


横顔を見られるのが、こんなに怖くて、こんなに胸を締めつけるなんて――。




突然、夜空を裂くような大きな破裂音が響いた。

白、赤、青の光の花が、夜のキャンバスに一瞬だけ咲き誇る。

ぱっと開くその煌めきは儚く美しく、星のように瞬き、零れていく。


僕の歌声と花火の光が重なった気がした。


白は――

自分を終わらせようとしたあの時、見上げた冷たい白い天井。


赤は――

声を押し殺して泣いた、静かな夜の灯りの色。


青は――

誰にも届かなかった歌を閉じ込めた、深く澄んだ夜の海の色。


花火は静かに、鮮やかに夜空を彩り、

ひとつひとつの色が記憶の破片を優しく照らし出しては、泡のように夜の闇へと溶けていく。


そのたびに胸の奥に潜んでいた過去の景色が浮かび、ゆっくり波にさらわれて遠ざかっていった。


――だけど。

光はすぐに消える。

僕の中の影は、完全にはなくならない。

笑われた声、押し殺した夜、音を出すことさえ怖かった日々。

それらはまだ形を変えて僕の中で生きている。


「……歌、ちゃんと届いてるよ」


その言葉に、胸がざわついた。

素直に喜びたいのに、心のどこかで「どうせ」とつぶやくもう一人の自分が、そっと顔を出す。



花火の音が途切れるたび、海風が冷たく肌を撫でる。

砂浜に寄り添うカップルの影が視界の端に揺れ、時折こちらに笑い声が流れてくる。

その笑い声は遠い昔の嘲笑と重なりかけて、僕は小さく息を呑んだ。


「……大丈夫?」

春野さんが優しく尋ねる。



「……うん、なんとか」

僕は小さく、ぎこちなくも確かに答え、歌を紡ぎ続けた。

歌っている間だけ、過去に押しつぶされそうな感覚は遠くへ消え、

自分の歌だけが、夜の闇にそっと溶けて揺れる。




名前を呼ばれたい――。


でも怖い。

呼ばれた瞬間、僕の作った距離が壊れてしまう気がする。

それでも、どこかで期待してしまっている。


歌い終えた僕は迷いながらも小さく「ありがとう」と言った。

それは波打ち際に置かれた貝殻のように、控えめだけれど確かにそこにある言葉だった。




帰り道、僕たちは人混みを避けて、海沿いの細い道を歩いた。

街灯は少なく、隣には深い闇の海面が静かに広がっている。


歩きながら、ふと手が冷えていることに気づいた。

その瞬間、柔らかい温もりが僕の指先に触れる。


思わず顔を上げると、春野さんが少し照れくさそうに微笑み、そっと手を握っていた。


「……いい?」

声に出さず、ただ優しい瞳で見つめてくる。

僕は小さく頷き、ぎこちなくも指を重ね返す。


その温もりは、夜の涼しい空気に包まれながらも、確かにここにあるものだった。

手のひらから伝わる微かな鼓動が、胸の奥をふわりとほどいていく。




最後の花火が消え、音も光も消えてしまっても、

残り香のように僕の心にはわずかな安心が残っていた。


まだ名前を明かすことはできない。

だけど、確かにこの夜、僕たちの間に新しい繋がりが生まれていた。


読んでくださり、本当にありがとうございます。

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一言でも、心を込めて大切に読ませていただきます。


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― 新着の感想 ―
読ませて頂きました。 静かな始まりから、だんだん色付いてくる様な とても繊細な世界観でした。 なんて言うか、綺麗なお話でした。 オススメ頂きありがとうございました! これからもがんばってください!
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