第33話 人前に出るのが怖い僕が、顔を出さずに歌っていたら音楽レーベルに見つかりました ~支えてくれる恋人と一緒に、プロへの扉を考える話~
翌朝。
冬の朝日が窓から差し込み、部屋の中を淡い金色に染めていた。
霜で白く光る庭木の影が、床に細く揺れている。
僕はベッドの端に腰掛け、スマホを手に取った。
指先に伝わる冷たさと、胸の奥の高鳴り。
画面いっぱいに、通知が並んでいる。
「……え?」
まだ投稿してから十時間も経っていない。
それなのに、新曲『君がくれた光』への反応は、すでに数百件に達していた。
震える指で、コメント欄を開く。
『新曲、ありがとうございます。
涙が止まりませんでした。
私にも大切な人がいます。その人が、私の光です』
『まだ光をくれる人はいません。
でもこの歌を聴いて、いつか出会えると信じられました。
生きる勇気をもらいました』
『恋人がいるんですね。
でも、それを含めて、この歌が素敵なんだと思います』
温かい言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
――けれど、少しだけ、痛みも混ざっていた。
『恋人がいるって知って、ちょっとショックでした』
『幸せそうでいいな。羨ましいです』
胸の奥に、戸惑いが広がる。
誰かの期待を裏切ったような、わずかな罪悪感。
それでも同時に、僕の歌が誰かの心に届いたという確かな実感もあった。
「零くん、どうしたの?」
心音さんが隣に座り、優しく声をかける。
「……反応が、すごくて」
スマホを差し出すと、彼女は一つ一つ丁寧にコメントを読んでいく。
「たくさんの人が、喜んでくれてるね」
「……うん。でも、恋人がいることにショックを受けてる人もいる」
心音さんは少し考えてから、静かに言った。
「憧れてた人もいるんだと思う。
だから寂しくなるのは、自然なことかもね」
胸の中で、納得する気持ちと、迷う気持ちがぶつかり合う。
それでも、歌ったことを後悔していない自分も、確かにいた。
「でも、見て」
彼女が指差した先のコメント。
『恋人がいてもいなくても、
この歌に救われたことは変わりません』
『幸せな人が歌うから、こんなに希望があるんだと思います』
胸の奥に、温かな光が広がっていく。
――誰かの夜を、確かに照らせた。
「返信、書こうか」
「……うん」
僕たちはパソコンの前に座り、ゆっくりと文字を打ち始めた。
―――――
『君がくれた光』を聴いてくださって、ありがとうございます。
たくさんのコメント、すべて読ませていただきました。
この歌は、僕を救ってくれた大切な人への歌です。
誰かに救われる幸せは、きっと誰にでも訪れます。
今は一人でも、いつか必ず。
僕の歌が、その日までの小さな光になれたら嬉しいです。
これからも歌い続けます。
本当に、ありがとうございます。
Re:Voice
―――――
投稿すると、すぐに返信が届き始めた。
『ありがとう』
『希望をもらいました』
『ずっと応援します』
「投稿して、よかった」
「うん。私たちの幸せ、少し分けられたね」
窓の外では、冬の朝日が静かに街を照らしていた。
増えていく再生数が、誰かの心に届いた証のように、ゆっくりと輝いている。
僕は心音さんの手を握る。
「心音さんがいてくれるから、僕は歌える」
彼女は静かに微笑んだ。
冬の朝日は、変わらず穏やかに輝いていた。
『君がくれた光』を投稿してから、一週間が経った。
再生数は二万回を超え、
Re:Voiceのフォロワーは、いつの間にか四万人になっていた。
数字だけを見れば、胸がいっぱいになるはずなのに。
なぜか心は、まだ小さく震提醒している。
そんなある朝。
メールボックスに、見慣れない件名が並んでいた。
――【楽曲提供のご相談】Re:Voice様へ
「……心音さん」
声が、少し震える。
「どうしたの?」
「メールが……」
画面を見つめる指先が、ひんやりと冷たかった。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
『株式会社ハーモニック・レコードの佐藤と申します。
貴殿の楽曲を拝聴し、強く心を打たれました。
弊社所属アーティストへの楽曲提供、
またRe:Voice様ご自身のデビューについて、
一度お話しさせていただけないでしょうか』
「これ……」
心音さんが画面を覗き込み、目を見開く。
「音楽レーベルから?」
「うん。ハーモニック・レコードって……」
「ちょっと調べるね」
数秒後、彼女は息をのんだ。
「結構大きいところだよ。有名な人も所属してる」
現実感が、急に押し寄せる。
「……どうしよう」
「他にも来てる?」
言われて、メール一覧をスクロールした。
【楽曲使用のご相談】
【配信ライブ出演のご依頼】
【音楽プロデューサーより】
全部で、五通。
全部、本物だった。
「すごいね……」
心音さんが、静かに言う。
「零くんの歌、ちゃんと届いてる」
その言葉が嬉しいはずなのに、
胸の奥に、得体の知れない不安が広がっていく。
「……怖い」
正直な気持ちが、ぽろりと落ちた。
「こんなに注目されるなんて、思ってなかった」
心音さんは何も言わず、そっと手を握ってくれた。
「無理しなくていいよ」
「でも……」
せっかく声をかけてくれた人たちを、
何もせずに無視するのも、違う気がした。
「……話だけなら、聞いてみたい」
心音さんが、ふっと笑う。
「うん。それでいいと思う」
その日の午後。
僕はハーモニック・レコードの佐藤さんに返信した。
『まずは、お話を聞かせてください。
ただし、匿名での活動を希望しています。
顔出しや本名公開は考えていません』
送信ボタンを押す指が、わずかに震えた。
すぐに返信が来る。
『匿名での活動、問題ありません。
明日の夕方、お電話でお話しできませんか』
「……早いね」
「でも、先延ばしにすると余計に緊張するよ」
「……うん」
僕は頷いた。
「一緒にいてくれる?」
「当たり前」
心音さんの言葉に、胸が少し軽くなる。
翌日の夕方。
パソコンの前で、スマホを握りしめる。
着信音。
「もしもし、Re:Voiceです」
『こんばんは。佐藤です』
落ち着いた、優しい声。
『まずお伝えしたいのは――
あなたの歌は、本当に素晴らしいということです』
「……ありがとうございます」
『楽曲提供のご相談と、
将来的には匿名のままでのデビューも考えています』
数字の話、仕事の話。
現実的な言葉が、次々と耳に流れ込む。
胸が高鳴る。
同時に、足がすくむ。
「……少し、考えさせてください」
『もちろんです。ゆっくりで大丈夫ですよ』
通話が切れ、部屋に静けさが戻る。
冬の夜。
窓の外は、静かに冷えていく。
プロになる。
夢みたいな話。
でも――
その扉は、もう目の前にある。
心音さんが、そっと手を握った。
「零くん」
その温もりを感じながら、僕は考える。
この扉を、開くのかどうか。
答えは、まだ出ていない。




