プロローグ 消えたかった夜のこと
いつから声を出すのが怖くなったのか、もう思い出せない。
気づいたときには、言葉は喉の奥でつかえていて、誰かに話しかけられるたび、心が強くきしんだ。
僕の声は、僕にとって呪いみたいなものだった。
幼い頃、ほんの一言を笑われた日から、僕は自分の声を嫌いになった。
心を閉ざしたのも、その頃からだったと思う。
施設で育ち、義理の両親に引き取られた僕は、
表面上は何不自由ない“普通の生活”を送っているように見えていた。
けれど、家では本音を言うことが許されなかった。
何かを言えば否定され、
だから僕は、いつしか黙ることを選んだ。
誰とも本当の言葉を交わせないまま、
僕はただ「そこにいるだけ」の存在になっていた。
「自分は、ここにいてもいいのか」
そんな問いだけが、ずっと胸の奥に居座っていた。
ある夜、僕は静かな街を歩いていた。
何かを決めるように。
誰にも会いたくなくて、誰にも見られたくなくて。
ビルの屋上、夜風が柵をすり抜けていく音が、やけに静かだった。
何も言わずに、ただ目を閉じる。
終わりを選ぼうとしたわけじゃない。
けれど、どこかで「もういいや」と思っていた。
――でも、目を開けたとき、そこにあったのは白い天井だった。
見慣れない病室の中で、僕は静かに息をしていた。
声も出せず、身体も重くて、
ただ、心の奥がじんわりと痛かった。
「……また、生きてしまったんだな」
かすかな声が、胸の内にしみ込んでいく。
誰にも届かない、届かせる気もない、そんな言葉だった。