8~強欲魔女とワラ束亭の魔法講座
宿屋「ワラ束亭」は、通りの一番はずれにあった。
外壁の一部はワラ束で補強されており、店名通りの見た目だが、通いの冒険者には「意外と寝心地は良い」と好評だ。何より値段が安い。
ノーラは、そんな庶民的すぎる外観にほくそ笑みながら、看板を見上げた。
「よし。今日はここに決まり。さあ、交渉スタートよ!」
「いや、まず普通に泊まれませんかね……?」
ソルトのぼやきをよそに、ノーラは勢いよく扉を開いた。
「いらっしゃ……またあんたか」
受付にいた女将が眉をひそめる。ノーラの顔を見た瞬間に、その眉間のシワは三段階深くなった。
「ちょっと待って、ひどくない!? まだ何も言ってないのに拒絶されてる!」
「こっちはアンタが何か言い出す前から防御態勢に入らないと身が持たないのよ。前に泊まったときの銀貨を見せ金にして、実は銅貨で払おう作戦をあたしゃ忘れてないからね」
「あれは魔術の実験だったの!」
「で、何の用?」
「今日は――とってもまじめに泊まりに来ました!」
「まじめに?」
「まじめに交渉して、まじめに値引きしてもらって、まじめに節約する!」
女将はため息をついた。
「はあ……で? 今回はどんな手で来るのさ。皿洗い? 風呂焚き? 怪しい銀の箱の鑑定会でも開く?」
「今日の交渉材料は――これだ!」
ノーラは懐から一枚の紙を取り出した。そこには緻密な図案と文字列が描かれている。
「これは……ルーン?」
「そう! いま巷で話題の真贋判定ルーンチャート。魔術書に仕込まれた偽ルーンを見抜くための図だよ。これをもとに、今夜だけの無料講座を開催します! 宿屋の食堂で!」
女将はぐっと口をつぐんだ。周囲にいた若い冒険者たちが、そっと耳をそばだてている。
「偽書判定……?」「あ、それ知りたい」「最近、安物のルーン本買って失敗したんだよな」
「お客の入りが増える……かもしれない」
「もちろん! 参加費は無料。あたしは宿代が無料になればそれでいい! どう? この知のバーター取引、成立でしょ!」
ソルトは後ろでそっと拍手した。「なにこの交渉上手……」
女将は腕を組み、うーんと唸ると、最後にこう言った。
「じゃあ今夜一晩、ワラ部屋で。食事なし、風呂別料金。客が集まらなかったら明日掃除手伝ってもらうよ?」
「交渉成立! 交渉成立! ……さあソルト、今日は豪遊できるわよ!」
「……ただ泊まるって、こんなに複雑でしたっけ?」
「庶民は知恵で生きるのよ」
夜の「ワラ束亭」食堂。
粗末な長机に並べられた椅子には、数人の冒険者と魔術好きが集まっていた。
ノーラは中央に立ち、身振り手振りを交えて堂々と講座を始めた。
「みんな、来てくれてありがと! 今夜のテーマは魔術書の真贋判定術――そう、つまりホンモノとニセモノの見分け方!」
冒険者たちは興味深そうにうなずく。中には若い魔術師の見習いや、古書好きの男の姿もある。
「さて。まずは問題からいこう。次の3冊、どれが本物でしょうか?」
彼女が懐から取り出したのは、擦り切れた3冊の魔術書。どれも似たような外見だが、ルーンや装丁にわずかな違いがある。
「順に手にとって見ていいよ。ただし、ページは3枚まで。直感も大事だけど、ルーンの流れを見るときは冷静さが命」
食堂が静まり返る。参加者たちが順に本を手に取り、慎重にページをめくる。
そこへ――。
「……面白いじゃないか。素人講座のつもりで来たが、なかなかどうして」
後方の席で、白髪交じりの中年の男が口を開いた。着流しのような旅装束に、肩から提げた革鞄。古書の匂いがする。
ノーラの目が光る。
「……あら。見覚えある顔ね。あんた、歩く市の鑑定屋じゃない?」
「名乗るほどの者ではないが、レイズとでも呼んでくれ。魔術書を生業にして三十年。さて、少しからかっても構わないかね?」
「望むところよ! あたしの知識が市で通用するか、勝負しようじゃない!」
卓上に並ぶ3冊の本。それぞれ、
『新体系ルーン理論・中巻(黄表紙)』
『正統派術式・第四版(青革装)』
『アリストルーン集・縮刷版(赤装丁)』
ノーラが先に解説した。
「1は装丁が新しいのに内容が旧式。2は逆に、紙質が劣化してるのに新版の術式。3は縮刷版だけど誤植が少ない。つまり――本物は、3!」
彼女が堂々と指差すと、周囲から「ほう……」と声が漏れた。
レイズは軽く笑う。
「見事な理屈だ。だが――間違ってる」
「は?」
「3は確かに誤植が少ない。ただし、縮刷された時点で解読者が呪文配列が一箇所誤ったので、ずれている。つまり、術式として使うと暴発する可能性がある。そんなものを本物とは呼べない」
「じゃ、じゃあ……?」
「2が正解だ。青革装のその本、確かに紙質は粗末だが、第二版の余り紙を再利用した第四版初刷。記述は新しく、装丁にコストをかけずに再編集された学術版。意外と出回っていない、知らないと見落とす」
ノーラは、唖然とした顔をした。
が、すぐにニヤリと笑った。
「ふふっ……なるほど、やるわね。でも!」
彼女は新たな書類を取り出した。
「こっちはどう? 幻の第五巻と呼ばれた禁書、『ミラー式反転詠唱集』。わたし、抜け落ちた写本の断片を持ってる。そっちが鑑定できる?」
レイズの目が細くなる。
「……それはまた、随分と貴重なモノを持っている。よかろう。知恵比べ、続けようじゃないか」
こうして、「ワラ束亭」食堂は即席の知識闘技場と化した。
ルーンの系譜、紙質と綴じ方の歴史、製本地の呪符紋、署名の変遷――
次々に繰り出される論戦に、見物人たちは興奮し、拍手を送った。
「……あの人たち、頭良すぎて何言ってるか半分くらいしか分からないですね」
「でも、なんかすごく面白い……!」
傍らでソルトが感嘆する。
そして最後、ノーラとレイズは共に笑った。
「お主、商魂だけの子狐かと思えば、なかなかどうして――知識があるな」
「そっちこそ、堅物かと思えば――遊び心があるのね。おもしろかったわ」
ふたりは固く握手を交わした。
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