幕間~高貴なる無職生活 、紅蓮の女王、職を失う
ジルコールの街の片隅――フレアリスの家は、街の中心地のはずれにある静かな場所にある。ほとんどの冒険者がギルドの提供する格安集合住宅を借りているの対し、フレアリスは銀貨9枚の賃料で賃貸の一軒家を借りている。
「ふう……完璧ですわ」
香草をあしらったクリームシチューがぐつぐつと音を立て、狭くも清潔な台所に優雅な香りが広がっている。そしてソーセージと卵を程よい焼き具合で仕上げ、買ってきた小麦の白パンを皿の上に乗せる。食事の準備は万端だ。
フレアリス・ヴァン・ルクレール。元名門貴族、冒険者ランクCのパーティーからクビを言い渡された元・新人登録魔女。だが今もなお、彼女の中では自分が選ばれし者であることに変わりはなかった。
「名家の末裔が冒険者ギルドなる粗野な団体に籍を置いたこと自体、間違いだったのですわ……おほほ」
小声の強がりと共にスープ皿にシチューをよそい終えると、テーブルに置いている帳簿を開く。
「……残金。18フロー(銀貨18枚)。つまり、あと二か月で家賃と生活費が……あら?」
真顔でページを何度もめくる。
「……ええと、これは、いわゆる、破産予備軍、というやつでは……?」
高級借り住まいの一軒家。外観は白壁に赤い屋根、内部は広い玄関に螺旋階段。ソファはふかふか、風呂は温熱魔石がいついた浴槽で、水を入れるだけで温熱魔石が40度程の温度に、自動調整してくれるこの風呂をフレアリスは気にいっていた。冒険者ギルドの格安宿舎を「わたくしの身分に相応しくない」と断ってまで借りたこの家は、名家の幻想そのものであった。
「くっ……庶民どもめ。名家の威光が通用しないとは……この国の民度は地に堕ちましたわね」
そうぼやいていると、ある日――
「そこのお嬢さん、そこの! そこの整った顔してるあなた!」
振り向くと、飾り気のない服を着た若い男が、通行人にパピルス紙のチラシを配っていた。
「うちの店で客引きしてみない? 顔立ちいいし目立つし、一日だけでも試してみてよ」
「はあ? わたくしに? あなた、何様のつもりで――」
しかし、フレアリスは思いとどまる。
(こういう庶民の文化を理解しておくのも、支配者としての素養かもしれませんわ……)
「よろしい。今日一日だけ、その下民の営みに身を投じてあげますわ!」
通行人に笑顔を振りまくフレアリス。しかし、その笑顔は、貴族が馬車から炎天下の路上を歩く庶民を見てあざ笑うかのような類の笑顔で――
「そこの貴方! ひ弱そうな胃袋ね。わたくしの給仕する店で、少しは人間らしい食事をしていくといいですわ!」
「そこの老いた方! 貴方のような風貌でも、味覚くらいはまだ残っているのでしょう!? こちらの名店へどうぞ!」
当然、客は引けない。
通行人はフレアリスの高圧的な呼びかけに全力で逃げる。
――さらにウェイトレスとして店内に入ってから――
「このソラリア風おんどり蒸し煮。気になるね、どんな味付けの料理なんです?か」
「お待ちくださる? こちらのお品書き、わたくしは読んでおりませんので。ご自分の知識で何とかしてくださる?」
「は、はぁ……」
フレアリスの対応に、客として来た若者の男性は困惑する。
さらに――若い女性が水を注文すると――
「お水? あら、持ってきてほしいならそれなりの態度が必要ですわね?」
このような対応で仕事を続けるフレアリス。
1時間後、店主がため息まじりに言い渡す。
「ごめん……今日限りで」
「――な、なぜですの!? わたくし、顔で選ばれたのではありませんの!?(顔でしか働いてませんけど!?)」
それから3日後――
海辺での臨時作業。「人手不足」と貼られていた張り紙を見て、ようやく仕事を得たフレアリス。
作業現場は砂浜のある海辺で、浅瀬で座礁した船首が半身を墓標のように斜めに突き立てている。船身は半壊したようで、木の破片が辺りに散らばっている。
周りは体格の良い中年の男ばかりで、若い女性はフレアリス一人しかいないようだった。年寄りのおばちゃんは数人いるが、皆、黙々と作業をしている。
「ようし、今日は木材を集めて、運んで、番号ごとに並べておいてくれ」
「はあん……労働。なるほど、庶民のルーティン、というやつですわね。地道で結構」
が、1時間後。
「ふうっ……しかしこの残骸、あまりに散らかっていて非効率ですわ!」
(しかもこの残骸、重たい……。高貴な私が、このような肉体労働を興味本位で選んだのは失敗でしたわ……!)
「嬢ちゃん。そんな小さいのちんたら運んでると、日が暮れちまうぞ」
フレアリスが後ろを振り返る。
筋肉隆々とした大男が、フレアリスの抱えている木材にさらに木材を乗せ通り去って行く。
「ぐぅ…よ、余計な気遣いを…お、重い! このような効率が悪いことを……延々とやってられませんわ!」
フレアリスはぷるぷる震える腕で、なんとか運んだ木材を指定場所に置いた。そして、船の座礁した解体現場の前で腰に片手を置いて、まるで遠征で都心から地方に降り立った英雄かのように、積まれた木材をしばらく眺める。
他の作業員の、こいつはいったい何をしてるんだ? という怪訝なまなざしも何のその。
「ふっ……要は片づけたらよろしいのでしょう。名家フレアリスの火術、“清浄の業火”により、庶民どもの煩雑を一掃してくれますわッ!」
と言い無詠唱で炎の魔法を発動させる。
地面から炎の息吹が左端から右端へと向けて、小さなマグマの波のように吹き上がり、地面に散らばっていた木材を一気に燃え上がらせる。
作業員たちは炎に驚き、後ろへと下がっていた。畏敬と畏怖、両方が混じったような表情で金色の髪をなびかせるフレアリスの後ろ姿を見つめていた。
「す、すげえ! 木材が一瞬で燃えちまった!」
「あれが魔女の魔法か……なんという火力だ」
「火起こしが、自在にできるのは便利そうだな」
「あれ、燃やして処理しても良かったのかねぇ?」
「……さぁ」
など反応は様々。
「あ、あんた……魔女だったのか!?」
先ほど、フレアリスに木材の重量を追加した作業員が声をかける。
「灰より甦りし暦後の不死鳥、フレアリス=ヴァン=ルクレール。刻むがよろしいですわ我が名を!」
とどや顔でポーズを決めるフレアリスだったが――
そこに、作業責任者がやってきた。
フレアリスの肩を後ろからトントンと叩く。
「……あの木材、全部再利用予定だったんだけど」
「…………は?」
「ク、クビ! 二度と来るなーッ!」
「そ、それではお給金は?」
「払えるかー! 損害賠償を請求したいくらいだよ! 出てけー!」
「ぬわぁああん!?」
フレアリスは、またもやクビとなった。
その夜、しょんぼりと暖炉に当たりながら、シチューを煮るフレアリス。
「……庶民の文化、奥が深すぎますわ……」
シチューが今日も少ししょっぱいのは、塩のせいか、涙のせいか。
魔法の詠唱と無詠唱について。
無詠唱は魔法詠唱の時間を短縮し、発動の際のルーン文字構成を短縮した最低限のルーンで構成したもの。その分、威力は通常詠唱の魔法に比べ10%~30%程度落ちるが、無詠唱を出来る者は高度な技術として魔女間では認定される。
魔術師の場合は魔力回路が魔女とは異なる為、ルーン発動、詠唱の手順を得て発動する。
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