11~強欲魔女と真贋鑑定士
ソラリア王都、南区の古書街――
華やかな表通りから一筋奥まった石畳の路地に、その店はひっそりと存在していた。
木製の看板には《レガリア鑑定局》の文字。だが、店の表には商品もなく、戸も半ば閉じたまま。普通の旅人や商人なら見逃してしまうような佇まいだ。
「ここね……噂の《魔術書の目利き》がいるっていう店」
エレアノーラ=リッチポンド――通称ノーラは、腰に一冊の古びた魔術書を携えていた。装丁は煤け、角は擦り切れている。それでも、その表紙に施された微細な金属インレイは、かつての権威と価値を感じさせた。
この本が本物であれば、少なくとも金貨百枚。下手をすればそれ以上の価値がある。
(問題は、本物かどうか……)
ノーラ自身も目利きには自信がある。けれどこれは「魔術書」。しかも“失われた時代”のものとされる、幻の一冊だ。生半可な知識での鑑定は通用しない。
ゆっくりと扉を押すと、店内には薬草と古紙が混じったような匂いが漂っていた。ほの暗い室内、無数の巻物と書籍が高く積まれた書架の奥に、年齢不詳の男が静かに座っていた。
「……なるほど。金の匂いがすると思えば、君か。銀刻の値踏み姫」
真贋鑑定士、アーネスト=ヴェルダイン。
魔術書に関しては、神殿図書館の司書すら一目置くという噂の男。
だが、その目はまるで氷のように冷たく、そして獲物を値踏みするように鋭かった。
「さぁて……持ってきたのは、鑑定か、買い取りか。それとも、“だまし合い”かね?」
ノーラは、懐から布に包んだ魔術書を取り出した。
包みを解く仕草は丁寧に、けれどゆっくりと――相手の目を試すように。
「見てほしいのはこれ。タイトルは……《ヴェス=カラルの残照》」
アーネストの眉が一瞬、わずかに動いた。
その反応を見逃さず、ノーラは薄く笑った。
「失われた『鏡文体系』の魔術書よ。第三王暦末期に写本されたものだと思われるけれど、写本師の銘は削られてる。まぁ……それが何を意味するかは、貴方ならわかるでしょう?」
アーネストは黙ったまま立ち上がると、無言で書を手に取った。
白手袋をはめ、息をひそめるようにして本をめくる。
ページをめくるたび、乾いた音が響いた。羊皮紙に書かれた文字は、古ラテンのようにも見えるが、それとはわずかに構造が異なる。
そしてその合間には、複雑な魔法陣や星の配置図、鉱石と植物を組み合わせた儀式図が記されていた。
しばらくして、アーネストは本を閉じた。
「興味深い。だが……真贋は、まだわからんな」
「そのつもりで来てるのよ。そっちが“疑う側”なら、私は“売る側”の策を持ってきてる」
ノーラは懐から、もうひとつ小さな封筒を取り出した。
中には、同じ写本師による別の文書の一部――かつて交易所の火災から奇跡的に残ったと言われる「損傷写本の断片」が収められていた。
「筆跡を比較して。もし一致すれば、この書物の年代も、作者も、技術的な背景もすべて確定できる。ね?」
アーネストの目が光った。
「……あの断片、確か帝国東部の第三国立典礼館に所蔵されていたはず。あれは、簡単には――」
「正規の手続きを踏んだわけじゃないわ。でも、確かに“所有権”は移ったの。相続証明もあるわよ」
まるでカードを切るようにノーラは次々と資料を並べていく。
話の構造と文脈は明快、虚勢はない。だが――アーネストもまた、ただの鑑定士ではなかった。
「……君の情報網は相変わらず、商人の枠を越えているな。まるでスパイの仕事だ」
「金の匂いのする場所に、情報は転がってるの。拾うか拾わないかは、鼻の利き次第よ」
アーネストは、ぐっと本に顔を近づけ、ページの端をこすった。
すると――指先にごく微細な光粉が付着する。すぐにそれを小瓶に移し、銀の匙でかき混ぜると、緑色の炎が一瞬だけ灯った。
アーネストは椅子に腰を下ろし、指先で机を軽く叩いた。カタン、カタン、リズムを刻む音が沈黙を包む。
「……見せてみろ。証明書の方も」
「ええ、どうぞ。あとついでに、写本師の筆跡照合の過去例と、参考資料もね。まさか“調べるのに数日かかる”なんて言わないわよね?」
書類を手渡しながら、ノーラは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ほんのわずか、アゴを上げ、まるで値踏みされる側ではなく値踏む側であるかのような態度で。
「フ……相変わらず、口の立つ娘だ」
書面を流し読みしながら、アーネストは一度小さく息をついた。
「《ヴェス=カラルの残照》か……写本が現存するとは思わなかった。いや、そもそも“存在していた”という話ですら、古文書オタクの与太話扱いだったというのに」
「与太話が、銀貨に変わるから面白いのよ。で? 評価額は?」
アーネストの目が一段と鋭くなる。
「焦るな。まず、これが真作だと仮定して――」
彼は羊皮紙の質、インクの変色、魔術構文の整合性、そして断片との筆跡照合を順に確認していった。その間、ノーラは静かに椅子に腰かけ、腰元の懐中時計を指先で弾く。
一刻後、アーネストは立ち上がった。
「……認めよう。これは、本物だ。いや……ほぼ間違いなく本物《に限りなく近い本物》だ。ここまで精巧な贋作を作れる奴がいるなら、そいつを雇いたいくらいだ」
「でしょう? で、買い取ってくれるのかしら?」
「欲を言えば、正直預かり調査という形で数日欲しい。だが……君がそれを許さないのも、わかっている」
アーネストは口の端をゆがめるようにして笑った。
「ならば、仮査定といこう。現在の魔術書市場で《鏡文体系》の現存品……いや、その断片ですら、王立図書院でさえ金貨三枚は提示する。写本となれば話は別だが……この保存状態、照合資料つきなら――」
彼はペンを取った。帳簿の上に、美しい筆致で数字を書き込む。
「――金貨五枚。《ソル》五つ分。それが、俺がこの場で出せる額だ」
ノーラは、ゆっくりと立ち上がった。
扇子を開き、口元にあてたまま、氷のような微笑を浮かべる。
「交渉はここからよ。私は銀貨百、《フロー》百枚相当と見積もってる。最低でも六枚、《ソル》六つを切ったら話にはならないわ」
「ほう……銀刻の値踏み姫は、足元の見極めもなかなか強気だな?」
「足元を見るのは貴族の靴職人。私は天井を見るのが得意なの。貴方が屋根裏に隠してる本物の価値も含めてね?」
一瞬、アーネストの額に汗が滲んだ。
どうやら、図星だったらしい。
「……フッ。やはり面白い娘だ。いいだろう、《ソル》六枚。それ以上は出せん」
「交渉成立」
ノーラはすっと手を差し出し、アーネストもまたその手を握った。
握手の中に込められたのは、金と知恵を武器に戦う者たちの、静かな敬意だった。
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