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第三章 掌

海猫のカナタは耳を疑いました。テトラがリンに伝えてくれと言った内容が恐ろしいものだったからです。

「お前、なんて、なんてことを・・・。」

カナタも、嵐のことは知っていました。鳥達の間でも噂になっていたからです。けれどまさかテトラがそんな事を考えているとは夢にも思っていなかったのでした。

 「お願いです、カナタさん。早くリンに伝えて下さい。リンは僕が会いに行くのを待ってるんです。」

テトラはまたまっすぐな瞳でカナタに向かってそう言いました。カナタは言います。

「テトラ。お前の思いは良くわかったよ。俺が何とかしてやるから、考えなおせ。テトラ。な?」

カナタは羽を少し震わせながら、テトラに訴えました。けれどテトラは目をそらさずに、答えます。

「ありがとう、カナタさん。でもリンは僕が守る。その為に僕はここに生きているんです。だからお願いです。早くリンに伝えてあげて下さい。」

カナタはその赤い瞳を見ていると、もう何も言えなくなって、悲しい気持ちでリンの所へ行きました。


「良いかい、リン。明日の嵐の晩に僕は君に会いに行く。この壁の所で待っていてくれ。僕は君を見つけて、君を抱きしめるから。」

リンは答えます。

「だめよ、テトラ。そんなことをしてはだめ。そんなことをしたら、私達死んでしまうわ。」

「僕は君と離れ離れになってからずっと考えていたんだ。僕は君がいなくちゃ生きていけない。僕と君は二つで一つなんだって。ねぇ、リン。君もそう思わないかい?」

「ええ、私もよ、テトラ。私もずっとずっと怖くて、淋しかった。でも・・・。」

「今君に会わなければ、もう二度と君に会えない。だから、お願いだよ、リン。明日月が真上へ昇る時間に、ここへ来て。僕もここで待ってる。」


その日の夜にドニエプラは赤い体を震わせながら手を合わせて祈っていました。

「テトラ、お願いだよ。リンを守ってやっておくれ。リンを助けてやっておくれ。私にはもうリンを守れない。テトラお願いだよ。あの子を守ってやっておくれ。」

ドニエプラはずっと祈り続けるのでした。


そして嵐の日がやってきました。少しずつ風の強まる中で、ぎりぎりまでテトラとリンとカナタの三人は壁を挟んで話していました。

「良いかい、リン。もし僕が君の所へ来ることが出来なかったら、なるべく早く安全な所へ行くんだよ。」

テトラはそうリンに届けました。リンは答えます。

「そんなの嫌よ!必ず、必ず来て。」

カナタはじっと二匹を見つめていました。そしていつか俺にもこんな風に愛しあえる人が出来たらいいな、と考えていました。


夕刻です。もうカナタでも飛ぶのが難しいほど風が強くなりました。空も、黒い雲が渦を巻いています。

「カナタさん、最後にもう一度、リンに愛しているって伝えてもらえますか。そしたら、カナタさんは、安全な場所へ避難して下さい。」

カナタにはテトラがまるで海を渡る大きな船のように見えました。まるでどんな荒波も乗り越えてしまう大きな船のように。

「ああ、テトラ。また明日・・・会えるよな。」

テトラの瞳の明かりが、少しだけ翳りました。

「カナタさん、今まで、本当にありがとうございました。僕、あなたが大好きです。カナタさん、本当は僕も怖いんです。僕にこんな大きな壁越えられるでしょうか。僕にもあなたみたいに羽があればいいのに。」

テトラは言いながら、壁で別れ別れになって初めて大粒の涙を、その真っ赤な瞳から落としました。けれどその瞳はずっと、カナタを見ていました。カナタは答えました。

「お前ならやれるよ。俺には分かるのさ。俺の大好きなお前になら、こんな壁絶対越えれる!俺が保障するぜ!」

カナタも泣きながら答えます。

「カナタさん・・・。」

「さあ早くリンに会いに行って抱きしめてやんな!そんでもって俺様にもっともっと仲の良い所を見せつけてくれよ!」

もうカナタはテトラを見ることが出来ませんでした。カナタはそのまま飛び立って、リンにカナタの言葉を伝えに行きました。

テトラはあらん限りの声で、ありがとうございましたと、叫びました。そしてテトラはいつかカナタさんにも愛する人が出来るだろうと確信していました。



そして、夜がやってきました。テトラは黒雲をにらんで立っていました。黒雲は壁を中心として、丸く渦を巻いています。もういつもならうるさい森の動物達や、鳥の声も聞こえません。海の中にも誰もいません。海は濁り、ちぎれた水草や小石が凄いスピードで流れていきます。それは時折テトラの体に当たるのですが、テトラは不動のまま空を睨んでいました。もうすぐ月が天頂に達する時刻です。


その頃長老も、自宅で同じように水面の向こうの空を眺めていました。そして思っていました。

「あんなにも小さくて可愛かったテトラが、もうこんなにも大きくなったのか。お父様、お母様。あの子を止められなかった私をお許し下さい。けれどお父様とお母様こそ、知ってらっしゃいますよね。愛は何よりも強いのです。どうかあの子をお守り下さい。テトラをお守り下さい。

長老は手を空に差し伸べて、もう会うことの出来ないかもしれないテトラに言いました。

「ああテトラよ。運命をぶち破れ!壁を越えろ!テトラ!ああテトラ!大事な私の子・・・!」

長老だけではありません。二人のことを知っているその海の全ての生き物が、家の中で嵐の恐怖に震えながら二人の事を思っていました。二人が無事に再会を果たすことを。


テトラは目をつぶりました。ごうごうという水の中で、誰かが自分に話しかけるような声がしたのです。けれど、何も聞こえはしませんでした。ただテトラは何だか体中に力が湧いてくるようなそんな気持がして、今の自分なら、例えあの壁だって越えられる。そんな気がしたのです。テトラは目を開くと、あの壁目がけて、凄いスピードで泳ぎ始めました。


それはまるで弾丸でした。水草が当たっても、石や木が当たってもテトラは壁めがけて泳いでいきました。

壁まで来ると、流れはいっそう強さを増しました。河を上ってきた波が壁にぶつかって渦を巻いています。テトラの方が河下なので、海からの波が強いのです。この分なら、きっとリンは大丈夫、とテトラは思いましたが、テトラ自体は波にもまれてくるくるくるくると遊ばれていました。テトラは待っていました。一番大きな波が来たら、その波に乗って、向こう側へ行こう。それまで持ちこたえられれば・・・。

風はどんどん強くなり、雨も凄いスピードで降り始めました。森の木々が叫ぶようにゆれ、夜の海はまるで機嫌の悪い巨人の子供が駄々をこねたように荒れ狂っています。


テトラはもう意識ももうろうとする中でリンの事だけを思っていました。

「リンに会いたい。リンに会いたい。リンに会えたらこんな命なんていらない。」

テトラは神に祈りました。

「どうか神様。僕をリンに会わせて下さい。」


それはリンも同じでした。河上なので河下に比べれば少しは穏やかな海の中で、リンもテトラを待っていました。祈りながら。

「神様お願いです。テトラに会わせて下さい。」


雷がひどくなってきました。まるで、二人の願いを神様が聞いたかのように、いくつもの雷が森に海に落ちていきます。海に落ちた雷は、水の上を走り消えていきます。テトラもリンも少しピリピリと体に電気が流れるのを感じました。その時でした。大きな大きな波が河下からやってきたのは。

それは全てを呑み込みながら、壁に向かって登って来ます。テトラは最後の力を振りしぼって、その波のてっぺんに向かって泳ぎました。泳いで、泳いで、泳いで、そして波は壁まで辿り着いたのです。


テトラの体は真っ赤に光っていました。それは太陽の光にも負けない美しい強烈なルビーのように赤い色でした。波のてっぺんで壁を越えながら、ただ、彼はリンに会うことだけを考えていました。そして、リンはその赤い光を見つけたのです。すぐにリンにはそれがテトラだとわかりました。リンは力いっぱい泳いで、泳いで、泳ぎました。いつしかリンの体もまるで宇宙から見た地球のように、青く優しいアメジストのように光っていました。

二人は互いに気づきあい、波にもまれながら、必死で相手に向かって泳ぎました。けれどなかなか辿りつけません。テトラの体からは血が吹き出し、辺りを染めています。リンはそんなテトラを抱きしめたくて、必死で泳ぎ続けました。


そして二人はもう一度、抱きしめあったのです。

「リン、リン、リン、会いたかった。」

「テトラ。私もよ。会いたかった。」

二つの赤と青の光は一つになり、固く結びついています。リンが言いました。

「ずっと、ずっと、待ってたんだからね。一人で、本当に怖かったんだよ。」

「うん、リン。ごめんな。もう絶対君を離したりなんかしない。これからはずっと一緒だよ。」


抱き合った彼らは、そのまま大きな渦に巻き込まれ、もはやどちらが天でどちらが底なのかさえ、わからなくなってしまいました。所々で渦の起こす摩擦で、ぴかぴかと辺りが輝いています。引き裂かれるような痛みとごうごうという音の中で、リンが言いました。

「ねぇテトラ。私、震えが止まらないの。もう一人にはなりたくない。もう絶対一人はいや。お願いよ。私を置いていかないで。ずっと一緒にいて。どんな暗闇の中でも、私のそばにいて。」

テトラはリンの手を握って答えました。

「リン。僕はここにいるよ。いつも僕はここにいる。リン。僕の鼓動が聞こえるだろ。僕はずっと君を抱きしめているよ。大丈夫、僕らはもうこれからずっと一緒さ。もう二度と君を離さない。」

リンは泣きながら、テトラに言いました。

「うん。あなたさえいれば私はもう何もいらない。私は、大丈夫。」

もう彼らには、周りの音も景色も何も見えなくなってしまっていました。ただ彼らにわかるのはお互いがそばにいる、その温かさだけでした。

「良いかい。リン。僕にしっかり掴まっているんだ。僕の手をしっかり握ってるんだよ。」

「ええ、テトラ。」

二人は手をしっかりと握りあっています。

「僕ら二人どこまでもいこう。二人どこまでも一緒に。遠く二人一緒に見上げた、あの星空までも。」

「ねぇ、テトラ。愛してる。あなたに会えて良かった。」

リンはテトラの胴に頭をよせて、笑顔でつぶやきました。テトラも、リンをしっかり抱いて、こう答えました。

「僕もだよ、リン。愛してる。」

恐ろしい嵐は、夜中続いていました。それはまるで天の神様が、悲しみに泣いているかのような、切ない嵐でした。


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