表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

第一章 恋

二人は、とても仲の良い恋人同士でした。

大きな熱帯の河を、二匹の小さな魚が楽しそうに泳いでいます。それはネオンテトラという種類の魚で、南米の河に住んでいます。体長はメダカぐらいに小さく、透明なひれと色とりどりのきらきら光る銀の胴をしています。

二匹のうちの、もう一方よりほんの少し大きな、胴に一筋の赤い炎のような線の入った方が、テトラという名の雄のネオンテトラでした。そして、テトラよりほんの少し小さくて、ほとんど全身が青く銀色に光っているのが、リンという名の雌のネオンテトラでした。

「テトラ、私、なんだかとっても幸せ。」

「どうしたんだい?リン、突然そんなこといって。」

テトラとリンは手をつないだまま、晴れた海を泳いでいました。

そうそう、この物語の中ではこの河の事を、海と呼ぶことにします。なぜならこの河はとてもとても大きいので、そこに住む人々に、海と呼ばれていたからです。

「ううん。今、あなたが隣にいて、私と話をしてくれている。それだけでこんなにも幸せなんだって、あなたに、伝えたくて。」

リンは青い体を、少し赤く恍惚に染めて、答えるのでした。

「それなら、僕も幸せさ。リン。」

そういってテトラは、リンの手を握り、そっと抱きしめるのでした。



「やれやれ、まったくどうしたものかね。ちょっと長老!聞いてるのかい?長老ったら!」

一匹の真っ赤な太ったネオンテトラが、真っ白なひげを腰まで伸ばした銀色のネオンテトラに向かって、むなびれを腰にあて、元から真っ赤なほっぺたをもっと赤く大きく膨らませながら騒いでいます。

「なんだいドニエプラ。私はまだ耳は大丈夫なんだ。そんな大きな声で言わなくても、聞こえてるよ。」

ドニエプラと呼ばれた赤い太ったネオンテトラが長老にさらに身を乗り出して言います。

「それならさ、長老!」

と、スッと長老と呼ばれた銀のネオンテトラは杖・・・のように見える水草の茎をドニエプラの口の前に押し出して言いました。

「ドニエプラ、もう良いだろう。好きなもの同士なんだ。好きにやらせてやればいいさ。うちらじゃあもうどうしようもないじゃないか。優しく見守ってやれよ。」

「うーっ。私はあんなね、テトラなんて親のいない拾い子なんて嫌なんですよ。リンは私が、私がたった一人で、手塩にかけて大事に育て上げた大切な一人娘なんだ。それをみすみす、あんなやんちゃ坊主のテトラなんかに・・・。私はほんとならもっと胴体の大きくて、ぎらぎら金色に光ってるガイなんかが絶対良いと思うんだよ・・・ぶつぶつ・・・。」

長老はわめきつづけるドニエプラの声を聞くまいと、長いひげの先を丸めて、耳の中に詰め、うんうんと苦笑いを続けるのでした。


テトラは嵐の日に、長老が拾った子供です。この海では何年かに一度、とても大きな嵐が訪れるのでした。そして多くのネオンテトラの仲間達が死に、片親や親のいない子供が多く生まれます。テトラもそのうちの一人でした。その嵐の過ぎ去った晩に、月夜の下、水草の陰で、今にも消え入りそうな息で銀色の体を震わせているテトラを、長老が見つけて連れ帰り、育てたのでした。

本当はテトラにも、ちゃんとした名前があります。けれど長老はそんなみなしごを何人も世話しているため、なかなか名前を覚える事が出来ません。テトラもテトラで、小さい頃は人よりも少し小さな体格ながら、やんちゃで方々を遊びまわっていたため、他の種類の魚達にテトラだぜ、テトラが来たぜ、などと呼ばれるうちになんだかそれがあたりまえのようになって、いつのまにか、テトラ、とまるで種類のような名前でみんなに呼ばれるようになったのでした。


一方リンは、ドニエプラさんの一人娘として、大切に大切に育てられました。ドニエプラおばさんも、嵐で夫を無くしてしまった為、女手一つでリンを育て上げましたから、リンを目の中に入れても痛くないほどに可愛く思っているのでした。


リンとテトラは、幼馴染でした。テトラはとてもやんちゃだったので、リンを良く危ない遊びに誘いました。二人は出来る限り海面まで出て、海を渡る大きな船の、赤や黄色、青や緑の色とりどりの明かりを見たり、遠く聞こえてくる楽しげな音楽や、人間達の笑い声を聞くのが好きでした。

けれどそれをドニエプラおばさんが許すはずはありません。リンをホタテの貝殻で作った小さな檻に閉じ込めて、その上に座り込んで見張っています。

そんな時テトラは体中に色とりどりの水草をつけて、自慢の弾丸のような泳ぎで、海面からドニエプラめがけて飛び込んでいくのでした。

そうするとテトラの体はまるで、餌を狙いに来た南米の鮮やかな色の鳥のように見えるのです。ドニエプラは驚いて一目散に岩場に逃げ込みます。

「さぁ、今だリン。行くよ!」

「うん、テトラ。ごめんなさいお母さん、行って来ます!」

そういってテトラはリンの手を取ると、凄いスピードでそこを後にするのでした。

「テ、テトラあんたまた!く、くやしいーいーいー!」

後にはいつも地団駄を踏む、ドニエプラの姿だけが残されるのでした。



 その大きな海を、二つに分けるように、それは人間によって、建設され続けていました。いくつもの柱が海の上にそびえ立っています。それは地図で見れば、まっすぐ縦につながり、その間にコンクリートの橋のようなものが取り付けられているのでした。


 その上に、一羽の鳥が座って、大きな夕焼けを眺めていました。「こっから見る夕焼けはやっぱり一番だねぇ。」と、鳥は一人ごちました。そして少し飛び出た羽を抜き取り、口にくわえると、ぼんやりと海を眺めていました。

 彼の名前はカナタと言います。海猫という鳥の一種で、本来は本物の海の岩場に住んでえさを捕るのですが、今回は遠出をしてこの大河までえさを捕りにきたのでした。

 ちょうど、その真下を、テトラとリンの二匹が手をつないで泳いでいました。時折ひたいの先で優しく互いをつつきあいながら、もつれ転がるように一つになりながら泳いでいきます。

 時折小さな泡が二人の絡まりあうひれの間から滑り出てたたかれ、さらに細やかな霧のようになって、青い海の水の中へと放たれるのでした。


 海猫のカタナはちらりと、そちらを見ました。やっと今日はじめての餌にありつける、カナタはそう思いましたが、彼は二匹がじゃれあっているのを見てやめました。

「俺はな恋人同士は襲わねぇ。それが俺のポリシーさ。」

そういって彼は優しそうな目で二匹を見つめました。だからカナタはいつもお腹が空いているのです。彼は口にくわえた羽を、口寂しそうにくわえなおしました。


夜が訪れました。無数の星が空に輝く頃、海の中では二匹のネオンのように赤と青に明滅しながら見つめあっていました。テトラは熱い瞳で言います。

「僕は君の事が好きだ。君はどうだい?」

その瞬間、まるで彼の体の赤い模様が、流星のように強く光ります。

「私も好き。テトラの事、大好き。」

そう言って、リンは恥ずかしそうに目を逸らし、青い体がほんの少しぽっと光りました。テトラはその言葉を聞いて、顔を真っ赤にして、恍惚そうな表情を浮かべました。

彼らにとっては二人とも、初めての恋でした。不器用ながらもただ相手のことだけを思い、大切に、大切に愛し合っていました。


今日は大きな満月です。リンの青い体は海面から降り注ぐ月の光に照らされて、いつもよりいっそう綺麗に見えます。そして、テトラの体の赤い色はリンにとって、まるで自分を導く太陽の光のように見えました。

「ねぇ、リン。」

二人はずっと互いに見惚れていましたが、ふいにテトラが口を開きました。

「なぁに、テトラ。」

テトラはリンの手を取ります。

「抱きしめても良い?」

「うん。」

二人は青い海の中で、しっかりと抱きしめあいました。そして一つになりました。

その日の海は、恐ろしいほど綺麗でした。夜とは思えないほど、水面を通した強い満月の一面のゆらめく光の中で、エメラルドグリーンの水草は盛大に歌い踊り、その中央で抱き合う二人を祝福していました。

まばゆい宝石を無数に散りばめたビロードの空の下、青くどこまでも広がる海の元、地球の大地の上で彼らは愛し合う一つの小さな奇跡でした。幸せというものがあるのなら、今の彼らはまさにその、幸せそのものでした。


どうして運命は、いつもこうも残酷なのでしょう。幸せの後には悲しみがあるのなら、幸せなんてなければいい。そう思わずにはいられない、孤独な夜もあります。けれど、人は幸せを求めて生きている。ただ、その瞬間の為に。

あの時、鳥は飽きずにずっとあの場所にいて、満月を眺めていました。そして時折そっと、邪魔しないようにテトラとリンを覗き見るのでした。

「へへへ。幸せのお裾分けをくださいな、と。」

鳥は一人ぼっちでした。けれど人が幸せな姿を見るのはそれだけで心が温かくなる良いものだと、知っていました。


始めは、遠くから、まるで岩山が崩れ落ちるような音と地響きが届いて来ました。海猫は何事かと、口にくわえた羽を落としました。それはどんどんと近づいてきます。

それは闇の中でも月の光に照らされてはっきり見えました。それは壁でした。人間の手によって、作られたコンクリートの大きな壁が、海を二つに分けるように海の両岸から、凄いスピードで降りてきます。今日の昼にようやくそれは完成し、誰かが今開始のスイッチを押したのです。

鳥は、はっと気づいたように二人を見ました。二人は慌てた様子できょろきょろと上を眺めています。テトラはかばうようにリンを片手で抱いて、熱い瞳で辺りを睨んでいました。

「危ない!」

鳥は叫びます。なぜなら今ちょうどテトラとリンの頭上に、壁が降りてこようとしていたからです。二人はその拍子に、少し体を離しました。

「もうだめだ!」

とカナタは目を閉じ、そしておそるおそる目を開けました。するとどうでしょう。海はその壁によって完全に真っ二つになっているではありませんか。二人はどちらも無事でしたが、大きな壁の向こうと手前にバラバラに弾き飛ばされていました。こうして一度一つになった二人は、壁によって、また二つに無理やり引き剥がされたのです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ