ステータス・マップ
見えているのに、それは〝視覚〟によるものではない。
この奇妙な感覚は、実際に体験しなければ分からないだろう。
脳裏に浮かぶ〝ステータス・マップ〟は、見下ろし型の複雑な迷路。
その広大さは計り知れず、未だマップの端に辿り着いた人はいないらしい。
そしてどんな人も、後戻りのできないその迷路を進んでいくうちに、遅かれ早かれ〝行き止まり〟に辿り着いてしまうのだ。
「シン。これってどういう事だぁ?」
「いや、さっぱり分からない」
僕たちはダンジョンに入って、すぐに逃げ出した。
探索らしい探索はしていないし、化け物を倒していないどころか、まともな攻撃すらしていない。
にも関わらず、僕とリョータのステータス・マップには、信じられないほどの経験値が加算されていた。
「ダンジョン内での何かしらの行動が〝経験値〟としてカウントされたのは間違いないんだが……」
「グニャグニャ棒を突っついたからじゃねぇ? アイツ、パねぇ強さだったじゃんか」
化け物と戦ったりダンジョンに深く潜ったりすれば、それに見合った経験値を得られる。
直立軟体から逃げる時、リョータは金属バットで一撃食らわせたし、僕の投げたバールはいい感じに突き刺さった。
だがそんな事で、ここまで大きな経験値が貰えるとは到底思えない。
「いや。この経験値の量はおかしい。〝第1室〟どころか、もっと先まで行けそうだぞ」
僕たちが初めての探索で出会った化け物が直立軟体だった。
強敵に襲われた事が経験になった……か。
それでこの経験値量ってあり得るのか?
「まぁいいかぁ! 何か分からんけど、経験値が貰えてラッキーって事で!」
「ラッキーで片付けていいのか、これ」
「いいんじゃねぇ? 死にそうになったんだから、ありがたくパワーアップしようぜぇ!」
死にそうになったと聞いて、今更ながらに背筋が冷たくなった。
そうか、僕たちは今日、死にかけたんだ。
それも経験と言えば経験だろう。
「それに、もしかしたらシンの〝ハミング〟が、グニャグニャ棒に効いたのかもしれないぞぉ!」
リョータがニッと笑う。
「あの状況でハミングなんかできるか」
たしかに、直立軟体ほどの強敵にスキルを使って、その効果が僕たちを生かしたというなら、間違いなく多くの経験値が貰えるだろう。
ハミングで生き残れたかどうかは知らんが。
「そういうお前の〝スキップ〟は、なかなかに良かったな」
「してねぇし! っていうか、お前こっち見てなかっただろぉ? 見ろよ、俺の勇姿を!」
見たら確実に死んでたぞ。
「……んー? そういえばあの時、なんか変な声が何度も聞こえてたなぁ。〝スキップしました〟とか? ……アレってシンの声?」
「そんなわけないだろう。とうとう幻聴の段階まで来てしまったか?」
ダンジョンで変なキノコとか拾って食べたんだろう。
明日もう一度、市役所で検査してもらおうな。
「何だよぉ幻聴の段階って! …………俺、幻聴の段階まで来ちまったのかなぁ」
急に受け入れるなよ。逆にこっちが不安になるだろ。
……待てよ? 変な声か。
そういえば僕もあの時、何か聞いたような気が……
「よっし! どうでもいい話、終わりぃ! 早くマップを進めようぜぇ!」
唐突だな。どうでもいい事はないだろ。
コイツは埋め込まれたタイマーとかで動いてるのか?
「いや、キノコに脳を支配されてないからな!」
お。珍しく僕の思考を読み違えたか?
フフフ。甘いな!
僕が〝食べたキノコに脳を支配されてるんじゃないか?〟とか、考えたとでも思ったのだろう。
たしかに、僕の表情と自身の唐突な言動から推理すれば、僕がそういう思考に至ったと考えても仕方がない。
「シン! 甘いのはお前の方だぜぇ!」
な、何だと?!
「俺は〝キノコに脳を支配されてない〟と言ったんだぁ! 分かるか? 〝キ・ノ・コ〟だ!」
キノコ……? キノコがどうかした……はっ?! そ、そんな?! バカな! お前、まさか!
「そうだぁ! 俺は〝キノコ〟なんて言葉を聞いていないんだよぉ!」
ガクガクと膝が震える。あ、あり得ない!
さっきの〝ダンジョンで変なキノコとか拾って食べたんだろう〟という僕の思考を既に読んでいただと?!
「そうだぜぇ! そして、それを利用させて貰ったんだよぉ!」
信じられない! 全部コイツの掌の上だったというのか?!
「よっし! どうでもいい話、終わりぃ! 早くマップを進めようぜぇ!」
いきなり何もなかったように話を締めくくるな。
僕の心のモヤモヤをどうしてくれるんだ。
本当に変なキノコは食べていないのか? テレパシーが備わる系のとか。
「キノコは食べてないし、タイマーも埋め込まれてないぜぇ!」
悲報。僕の心、全部読まれていた件。
……いや、あんまり無茶をしないでくれ。この話は結構シリアスな感じでアレする方向なんだぞ。
△▼△▼△
「なぁなぁ、俺んち寄ってかねぇ? マップ進めるにしてもさぁ、こんな道端じゃ、じっくり考えられないだろぉ」
という誘いに乗り、僕はリョータの家にやって来た。
そういえば、ここに来るのも久し振りだな。
「やー! いらっしゃいシンちゃん! ちょっとリョータ。ただいまくらい言いなさいなー!」
リョータのお母さんだ。見るからに元気いっぱいの体育会系で、驚くほど若い。
ちなみに、リョータの両親もウチの両親も、異常なまでに若い。
そしてどうやら昔からの知り合いらしく、家族ぐるみの付き合いがあったりする。
「シン、何してんだよぉ! 早く上がって来いってぇ!」
バットを振り回すな。
あと、ヘッドライトが点いたままだぞ。眩しいな。
「お邪魔します」
僕はお辞儀をしてから、2階への階段を上る。
ん? なんで泥が……
「あー! リョータ! 靴履いたまんまじゃんかー!」
突然、独特のイントネーションで叫んだお母さんの姿がフッと消えた。
「このおバカー!」
かと思ったら、次の瞬間には階段の上にいるリョータのヘルメットを外して、拳骨を落としていた。
相変わらずスゴいスピードだ。
っていうか、杉浦さん宅で靴を脱がなくていいのか気にしてたくせに、自宅は土足で上がるってどういう事だよ。
「痛ててて……な、殴らなくていいじゃんかよぉ!」
「2回目以降は鉄拳制裁だよー。ほれ。自分で拭きなさい」
2回も土足で上がったのか。
お母さんは雑巾をリョータに手渡すと、被せたヘルメットをポンポンと叩く。
……あれ? あの雑巾、いつの間に持って来たんだろう。
それに、リョータが履いていた靴が、キチンと玄関に置かれている。
いやいや、全然見えなかったぞ。
お母さんのスキルは〝天体観測〟だったよな。
どんなステータス・マップの進め方をしたら、こんなに俊敏になれるんだ?
「……よろしい。さあシンちゃん、どうぞどうぞ!」
腕組みで頷いて、僕をリョータの部屋へと促すと、お母さんは階段を下りていった。
「まったく、母ちゃんは暴力的だぜぇ。ドラスティック・バイオレンスってヤツだよなぁ!」
それを言うならドメスティックだ。
ドラスティックだと〝徹底的な〟とか〝思い切った〟とか〝過激な〟……って、ああ。合っているのか。
「それじゃ、やっちまうかぁ!」
リョータが机の引き出しからノートを取り出す。
表紙には〝オレの成長記録〟と書かれていた。
「シンのもあるぜぇ!」
もう一冊の表紙には〝ボクの成長記録〟と書いてある。
「勝手に作るな」
あと、一人称で区別しようとしないでくれ。
僕のほうがチビっ子感が出てて、なんかフンワリと恥ずかしいだろ。
「まぁまぁ、遠慮すんなよぉ!」
リョータは、ニッコニコで〝ボクの成長記録〟を開いて丸テーブルに置く。
いや、マジで遠慮だと思ってるっぽいな。どういう思考回路なんだろう。
「よっし! まずは、いま見えてる所からマッピングしなきゃだよなぁ!」
ステータス・マップ。
中央にポツリと光る赤い丸がスタート地点。
その周囲が明るく照らされていて、中心から離れれば離れるほどボンヤリと暗くなっていく。
丸く映し出された迷路が見えなくなるくらいに下へ意識を移動させると、奇妙な模様のラインがあり、その外側に、経験値を表すゲージが表示されている。
このラインはステータス・マップの〝外枠〟だ。左右に意識を滑らせると、やはり同じようなラインが見える。
……ちなみに。
上へ上へと意識を向け続け、ラインを超えてもさらに上へ。
意識を向けられるギリギリのところに、無機質な一対の〝目〟がある。
こちらをジッと見ているようにも見えるし、高みからマップを見ているようでもある。
この目は〝神の瞳〟などと呼ばれていて、ステータス・マップを進める者が不正をしないか監視しているのだろう……などと噂されているが、もちろん真相は分からない。
「おい、何やってんだ。シンも描けよぉ!」
リョータが、ステータス・マップをノートにグリグリと描き写している。
時折、ちょっと薄目になるのが絶妙に気持ち悪い。
マッピングは大事だ。自分が進んだ迷路が分からなくなって、最悪、迷子になりかねない。
手に入れたい能力に辿り着くためにも、記録は残すべきだ。
「せめて、定規は使えよ……」
まあ、コイツは算数の平行線を引く授業でもフリーハンドを貫いていたからな。言うだけムダか。
不本意だが〝ボクの成長記録〟に自分のマップを描き込んでいく。
表紙はあとで書き直そう。
「ふいぃー! できたぁ!」
「僕もOKだ」
なるほど。リョータのマップも僕のマップも、上方向に〝第1室〟があるな。
ごく稀ではあるが、最初から〝第1室〟が2つ以上見えていたり、逆にまったく見えなかったりする人もいるらしい。
「よし! 進めるぞぉ! とりゃああああっ!」
リョータが目を閉じて叫ぶ。
もちろん叫ばなくてもマップは進められるのだが、何となく気持ちは分かるので、そっとしておこう。
「それじゃあ、僕も」
本能的に。もともと知っていたかのように。
ステータス・マップの進め方は、なぜか不思議と分かってしまう。
僕は現在地を示す赤い丸に意識を集中して、上方向へと動かした。
通った道筋は赤く塗りつぶされて、代わりに、遥か下にあるはずの経験値ゲージが同じ長さだけ減っていくのが分かる。
「ちょっ! これ、スゴいじゃんよぉ! この減り方なら、余裕で〝第1室〟超えて、次の部屋までいけるんじゃねぇ?」
嬉しそうに騒ぐリョータ。
「それ、僕がさっき言ったぞ?」
経験値のゲージには、まだまだ余裕がある。
部屋の配置が悪くなければ、もう1段階パワーアップできるかもしれないな。