いきなりピンチ?
狩る側だと思っていたのに、狩られる側だったなんて、ダンジョンではよくある話だ。
「とは言え、初日にこれかよ……」
僕の呟きが、薄暗い廊下に消える。
奥から1体、玄関からもう1体。
現れたのは〝直立軟体〟だった。
市役所の情報には、ここ〝杉浦邸ダンジョン〟での目撃例はなかったはず。
……というか、こんなのが出ると知っていたら絶対に来ないぞ。
「おいシン。最初に出会う敵ってぇのは、普通〝スライム〟とか〝ゴブリン〟じゃないのかぁ?」
僕たちは咄嗟に背中合わせになって、それぞれ目の前の化け物と対峙している。
背後から聞こえたリョータの語調には、いつもと違って余裕がない。
さすがに、この化け物のヤバさは知っていたか。
「まったくだ。ずいぶんとバランス調整がヘタだな」
これがゲームなら、すぐに電源を切ってレビューにマイナス評価を入れているところだ。
ステータス・マップをまったく進めていない人間が直立軟体に敵うはずがない。
……まあ〝ハミング〟や〝スキップ〟のマップじゃ、どれだけ進めたって勝てるかどうか分からないけど。
「うわぁっ!」
リョータの焦ったような声が背後から響く。
「どうした?!」
「今のどうやったんだぁ? あいつ足もないのに、玄関の段差をスムーズに上りやがったぞぉ?! 気持ち悪ぅっ!」
「脅かすなよ! ってか、集中しろ! 死ぬぞ!」
いや、まあ気持ちは分からんでもない。
あのグニャリグニャリと奇妙な動きをする棒を見ていると、脳がバグりそうだ。
……あの棒が?
玄関の段差をスムーズに?
気になる。超気になる。見てみたかった……いやいや! ダメだ! 今は余計な事を考えている余裕なんかない。
「ウグゲッウグウゲグッ」
グニャグニャと不規則に動きながら、低く不気味に唸っている。
口もないくせに、その音はどこから出しているんだ?
「リョータ。玄関の扉は開いているのか?」
不思議な事だが、ダンジョンは人間が〝観測〟し続けなければ、元の姿に戻ろうとするらしい。
開けた窓や扉は勝手に閉まるし、どこかを壊しても、しばらく目を離せば直ってしまう。
ダンジョンの外に持ち出さないかぎり、すべての物品は小石から雑草にいたるまで何事もなかったように元の位置に戻る。
「おぅ、大丈夫だ。それに、今のところ外には何もいない……と思う」
ちなみに、化け物の死骸や冒険者の遺体も、放置すれば消えてなくなる。
だが、外から持ち込んだ装備などはその場に残る事から、死んだ生物をダンジョンが養分として取り込んでいるのだろうというのが通説だ。
あと、死体が消えずに歩き回って冒険者を襲うダンジョンなどの例外もあるらしい。
「シン、俺が隙を作る! 背中は任せたぁ!」
「了解!」
たぶん僕たちが生き残るには、この方法しかない。
一人一殺? いやいや、違う違う。
戦ってはいけない。直立軟体は、今の僕たちが2人で戦っても太刀打ちできないくらいに強い。
ヤツらの隙を突いて逃げる。
けれど、どちらか1体にかかり切りになれば、もう1体に背後から攻撃されるだろう。
「ゲシャアアアアアッ!」
大きな鳴き声とともに、凄まじい速さで触手が伸ばされた。
僕はその攻撃を、バールでギリギリ弾く。
ガン! ゴイン! ガキン!
右上段から斜めに振り下ろされたかと思ったら、足元から振り上げるような攻撃。
うわさ通りの素早い攻撃が、次々に飛んで来る。
しかも僕が避ければ、そのままリョータの背中に届きそうな絶妙の角度と勢いで。
「小賢しいヤツめ」
「それ、悪役の使うセリフだろぉ……うおっ?! どりゃぁ!」
リョータのツッコミに続いて、ガン! ゴン! という鈍い音が響いて来る。
あっちも似たような状況みたいだな。
僕がヤツの触手を弾き損なえば、リョータが大きなダメージを受ける。
集中だ。目の前の〝敵〟に集中しろ……
『ピッ! 照準固定。〝サミング〟発動。ターゲット:チョクリツナンタイ・A』
……え?
「シャァァァアアッ?! キシャァァアアアッ!」
よく分からない言葉が耳元で響く。
直後、目の前の直立軟体が、奇妙な動きを始めた。
「フグゥァァァッ! ウアァァアァア! グァシャァァァッ!」
グネグネと振り回される触手は、さっきまでの鋭さも正確さもなく、鈍い音とともに壁や床や天井に叩きつけられている。
「お、おいぃ! シン?! どうしたんだぁ? 何があった?!」
大騒ぎを始めた直立軟体に気づいたのであろうリョータが、慌てた様子で叫ぶ。
もう1体の猛攻に邪魔されて、こちらを振り向く余裕はないようだ。
「分からない。どうしたんだコイツ……おっと!」
ガイン! と、こちらに向けて振られた触手をバールで弾く。
今の攻撃は僕やリョータを狙った感じでもないし、スピードも遅くて威力も低い。
どういう事だ?
「……原因は分からないけど、急に弱くなった。動きもおかしい」
「おい、それってチャンスじゃねぇ? もしかしたら、初めての探索でグニャグニャ棒を倒せるかもじゃねぇ?!」
たしかに、あんな状態の直立軟体なら倒せるかもしれない。
だけど……
「いや、リョータ。今回は逃げよう」
おかしくなっている直立軟体が、何かの拍子で正気を取り戻す可能性だってある。
さらに、もう一匹は健在で、未だに道を塞がれた状態。
つまり、まだまだピンチは継続中なんだ。
「リョータ!」
背中合わせでも分かる。こういう時、リョータは僕の意見をちゃんと聞いて考えてくれるんだ。
「……分かった。無理はしないってぇ約束だったもんなぁ」
あと、無駄に真面目くさった顔をしていると思う。
背中合わせでも分かるし、思い浮かべるとちょっとだけイラッとする。
「よし。そうと決まれば、こっちは無視だ! そっち全力で行く! 僕が上!」
「おっしゃぁ! 俺は下な! せーのぉ!」
かけ声と同時にリョータが屈み込んだ。
僕は、振り向きざまに、持っていた軽量バールを渾身の力で投げつける。
狙ったのは直立軟体の目。
クルクルと回転しながら飛んだバールの先端が、目の下10センチの辺りに突き刺さった。
チッ! 外したか!
「グギャシャアァァァァッ?!」
だが、意外と効いているようだ。苦しそうな悲鳴が響く。
間髪入れずに、低い位置からリョータが突き出したバットの先が命中する。
バランスを崩した直立軟体が、一瞬だけ大きく左へと傾いた。
「リョータ! 今だ!」
「おぅ!」
廊下の壁とバケモノとの狭い隙間へ、僕とリョータが勢い良く滑り込む。
よし、抜けた! そのまま、一目散に玄関から外へ。
開いたままの扉には目もくれない。あんな扉、閉めても秒で破られる。
目指すはダンジョン外へと続く鉄の扉。
「僕が押す。リョータはうしろを見ててくれ!」
「分かったぜぇ!」
扉の横に設置してあるインターホンのボタンを、何度も急かすように押す。
今回のように逼迫した状況でも、このインターホンでの通話で許可が下りなければ、ダンジョンから出る事はできない。
「ヤツは?」
「大丈夫だぁ! まだ家から出てきてないぞぉ!」
通常、化け物はダンジョンの奥を好み、その傾向は高ランクの化け物ほど強い。
人を見れば襲いかかって来るが、視界から外れただけで追うのをやめるヤツもいるらしい。
ダンジョン内にいる化け物が増えすぎたり、通称〝はたらきもの〟と呼ばれる、外の世界を好むタイプの化け物が湧かない限り、自分からダンジョンの外に出ようとはしないようだ。
「もしかして、ここまでは来ないんじゃないかぁ?」
「いや、分からない。攻撃したせいで怒っているだろうからな」
俗に言う〝敵対心〟というヤツだ。
人間だろうが動物だろうが引っ叩いたりすれば怒る。
当然、化け物も腹を立てれば追いかけて来るだろう。
『ガガッ、ブツッ……退出か? 所属と氏名を言え』
雑音とともに、インターホンから返事が響いた。
この声には聞き覚えがある。先ほどの自衛隊員だ。
「小井市所属の、内海伸悟と高橋良太郎です」
退出のためには、いくつかの質問に答えなくてはならない。
返答次第では、すぐに扉を開けて貰えない事もある……らしい。
『化け物と遭遇したか?』
遭遇したと答えた場合、質問項目が増えるのは知っている。
だが、虚偽の報告があった場合〝厳罰〟が下されるらしいので、正直に答えるしかない。
「しました」
ちなみにこの時点で、化け物に追われているとか、早く出してくれとか騒いでも、退出が早まる事はない。
むしろ、外界の安全のために見殺しにされる可能性が高い。
『怪我や体調不良はないか?』
「ありません」
『寄生、憑依、精神汚染などの可能性はあるか?』
「ないと思います」
接敵すれば、寄生されていないか、憑依されていないかに加え、精神操作を受けていないかなども疑われる。
自覚症状がなければ正直にそう答えればいいし、少しでも身体に異変があれば、専門の対策チームがダンジョン前に到着するまで出して貰えなくなる。
『化け物の名前と数は?』
「直立軟体が2体です」
『なっ?!』
『そんなバカな!』
インターホンから、驚いたような声がザワザワと聞こえて来る。
先ほどまで落ち着いた口調だった自衛隊員の声に、若干の焦りが混じる。
『視認できる範囲に直立軟体はいるか?』
はい。と答えれば、即座に扉が開いて自衛隊員が助けてくれる……などという事はない。
ダンジョンの外に危害が及ぶ可能性があるなら、絶対に扉は開かない。
『どうなんだ? 直立軟体はいるのか?』
視線を移すと、リョータが左右に首を振っている。
た、助かった……!
「いません。大丈夫です」
僕がそう答えた瞬間、鉄の扉が鈍い音とともに開く。
その先には、銃を構えた自衛隊員がズラリと並んでいた。
「退出を許可する。よく生きて帰ったな、ボウズども!」