はじめてのダンジョン
ウチの2軒となりには、高い壁と頑丈な金網で囲われたダンジョンがある。
そう。杉浦さん宅である。
ダンジョン周辺の家々は、壁を作ったり監視所やらを設営するために、別の住居が用意され、立ち退きを強いられた。
つまり、ダンジョン被害に遭ったのは杉浦家だけじゃなかったって事だ。
「ヒドい話だな。隣の家がダンジョンになったというだけで、引っ越さなければならなくなるなんて」
「……っていうかさぁ。ダンジョンの近辺で生活したいとは思わないだろぉ?」
僕の言葉にリョータが片眉を上げ、呆れたように鼻を鳴らす。
「特に〝壁〟を作るための立ち退きは、住む家までちゃんと用意してくれるんだからな。引っ越すぜぇ、普通は」
「何を言っている? 家を追い出されるなんて、絶対イヤだぞ」
慣れ親しんだ棲家を追われるなど、ちょっと考えられない。
ダムの建設のために故郷が湖になった話とか、聞いただけで涙が出てくる。
「シンさぁ。死ぬほど慎重なクセに、そういうトコあるよなぁ」
リョータは、やれやれと言った様子で首を横に振った。
「見てみろ。お前ん家が異常なんだよぉ」
リョータの指差した先には、某大手引越会社のトラックが停まっていて、家具や冷蔵庫を積み込んでいた。
言われてみれば、最近は妙に空き家が目立つような気がするが、なるほど、そういう事だったのか。
「それに、冒険者登録も反対されなかったんだろぉ? お前の両親、肝が据わってるよなぁ」
「ウチは放任主義だからな」
未成年者の冒険者登録には、保護者の同意が必要だ。
僕が冒険者になると言ったら、父さんも母さんも〝ああ、そう〟くらいのノリでOKしてくれた。
「そういうお前の家もだろう?」
「いやいやいや、一緒にされちゃ困るぜぇ。俺の場合は、長年にわたる地道な説得の賜物だからなぁ?」
リョータが自慢げに胸を張る。
ああ、そう言えばコイツ小学生の頃から、親にも周囲にも〝冒険者になる冒険者になる〟ってずっと言ってたな。
アレってそういう作戦だったのか。
「冒険者証をお預かりします」
金網を超えてすぐのプレハブ小屋にある、簡易的な受付カウンター。
僕たちが手渡した冒険者証を、市の職員であろうスーツの男性が、何やらよく分からない機械に通した。
窓から見える薄灰色の壁には頑丈そうな扉があり、自動小銃で武装した自衛隊員と思しき人たちが数人いて、何かしら話しては、楽しげに笑い合っている。
「確認させて頂きました。高橋良太郎さんと、内海伸悟さんですね」
事務的な対応のあと、スーツ姿の男性は優しい笑みを浮かべるとプリントアウトされた紙を持って、僕たちを先導するようにプレハブを出た。
こちらに気づいたのであろう自衛隊員たちが、ピシリと姿勢を正して表情を整える。
「現在ダンジョン内にいる冒険者は、パーティ6組18名、ソロ1名の合計19名です。どうぞお気をつけて」
男性がダンジョン入口に目をやると、頷いた自衛隊員の1人が、扉の方へと向き直り、銃を構えた。
「慎重に開けろ。何かいたら、急いで退避するように」
その低くゆっくりとした口調は、この扉の向こうがどれだけ危険なのかを如実に物語っている。
残りの隊員も、いつの間にか腰を落として銃口の先を扉へと向けていた。
僕とリョータは、扉の取っ手に手を伸ばす。
「それじゃ、行くか」
「おう! やってやろうぜぇ!」
△▼△▼△
ゴウン。と鈍い音を響かせ、背後で鉄の扉が閉まる。
正面には見慣れた杉浦さん宅があり、パッと見はダンジョン化する前と何も変わらない。
「今回は初めての探索だから無理はしない。危ないと感じたらすぐに引き返すぞ」
「分かってる。で、俺が既に危ないと感じているのはカウントしなくていいかぁ?」
それをカウントして踵を返したら、さすがにちょっと恥ずかしいだろ。
お前は自衛隊員さんたちの〝スン〟って顔を見たいのか?
となりで金属バットを構えているリョータに、僕は無言の呆れ顔を返しておく。
ゆっくりと玄関に近づき、ドアノブを回して引くと、ギィという小さな音とともに扉が開いた。
「これさぁ。靴脱がなくていいのかなぁ?」
「バカな事言ってないで行くぞ」
リョータを置いて土足のまま踏み込むと、ピリリと冷たい空気が頬の辺りを刺激する。
他人の家の匂い。いや、これがダンジョンの匂いなのか。
「パッと見は、普通の民家……だな」
振り向いて呟いた僕の言葉に、あとからついてきたリョータが頷く。
市役所で聞いた話によると、杉浦さん宅のダンジョンは〝地下型〟で、1階部分と2階部分はダンジョン化する前の状態をほぼ保っているらしい。
犠牲となった杉浦さん一家の遺体は〝それぞれの一部〟のみが、1階と2階で点々と発見された。
DNA鑑定の結果、家族8人分の〝失えば生存が不可能な部位〟が確認された事で、全員死亡したと断定されたようだ。
「おぉ、ここだよなぁ! ここぉ! 台所んトコに階段マークが書いてあるぞぉ!」
僕の広げた地図をリョータが覗き込む。
「おい、見えないって。自分のを出せ」
僕が邪魔な頭をグイと押しのけると、リョータは面倒くさそうに自分のリュックを漁り始めた。
市役所で貰った地図には、様々な情報が記載されていて、発見した物や体験した事象、遭遇した化け物を書き込んで提出すれば、それに応じた報酬が支払われるらしい。
この地図の場合、1階と2階は綺麗に製図された建築図面で、それより下の階層は手書きっぽい大雑把な線で書かれている。
2階へ向かう本来の階段には、青色で上向き矢印と階段のマークが。そして、元々はなかったはずの地下への階段が、赤い下向きの矢印とともに書き込まれていた。
お気づきとは思うが、赤表記が〝ダンジョン化〟に関わる危険な何かを示している。
ちなみに、安全が確認された設備や、あとづけで設置・施設されたもの、そして化け物を討伐した地点は青く表記される。
「この廊下の先の突き当り。あの左の扉の先が台所みたいだな」
「だから、そう言ってるだろぉ。早く進もうぜぇ!」
薄暗い廊下を、ヘッドライトの光が照らす。
左右にある扉はどちらも閉まっていて、床には何かを引き摺ったような黒い染みが、左の扉の向こうへ続いているようだ。
「いや。杉浦さん一家は、全員1階と2階で亡くなっているんだ。慎重にいこう」
「何だよぉ、ビビってんのかぁ? 1階にも2階にも、化け物のマークはついてないだろぉ」
リョータの言うとおり、地図には〝遭遇〟の赤マークも〝討伐〟の青マークも書かれていない。
つまり、化け物がいるのは地下。台所にある階段こそが、本当のダンジョンの入口なのだ。
……などと高を括っていると、大変な事になりかねない。
僕はリョータの方へ向き直って、真剣な表情を作る。
「リョータ。ここはもうダンジョン内なんだぞ」
地下から化け物が這い出て来るかもしれないし、自然発生するヤツもいると聞く。
1階や2階に潜んでいる化け物に、たまたま今日まで遭遇しなかっただけの可能性だってあるだろう。
「気を抜いたら簡単に死んでしまうんだ。分かってくれ」
「……あぁ、よく分かった」
ん? めずらしく物分かりがいいな。
それに、急にぎこちない動きでバットを構えて……
「シン! うしろっ!」
「化け物か?!」
回れ右と同時に地図を投げ捨て、リュックからバールを引き抜いて身構える。
台所と反対側の扉は開いていて、そこにはヘッドライトに照らされた奇妙な動きをする〝黒い何か〟がいた。
「嘘……だろぉ……?」
「ち、直立軟体!」
全身の毛穴が一斉に開くような感覚のあと、手と足が勝手に震え始める。
ギョロリと大きな単眼は、まっすぐに僕たちの方へと向けられていた。
マズい。あの化け物はマズい。
「シン! 何で〝グニャグニャ棒〟がいるんだよぉっ?!」
「知らん。市役所に聞いてくれ」
一見、上から下まで同じ太さの〝青黒い棒〟で、硬そうな質感なのに、グニャグニャと蠢いている。
学名は直立軟体。通称、グニャグニャ棒。
総じて、成人男性と同じくらいの体高で、電柱ほどの太さ。
上から50センチくらいに目玉がひとつだけあり、体のいたる所から触手を伸ばして攻撃して来る。
底面に無数の短い足があって、移動速度こそ人間より遅いが、複数で行動する場合が多く、囲まれると危険だ。
「シン! 逃げるぞぉっ!」
「ダメだ、玄関からも……!」
そう。直立軟体は複数体が協力して〝狩り〟をするタイプの化け物で、今回の獲物は僕たち。
……コイツら、待ち伏せてやがったんだ。